忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2005年03月17日(木)

昔一緒に仕事していてお世話になった人と久しぶりに近況報会。
恵比寿のカジュアルなフレンチダイニングに連れてってもらった。そのお店はなぜか内装がやたらとバブリーで、入り口から店内からいたるところに余白(余分なスペース)がいっぱいあり、そこに「椅子を積み上げたオブジェ」みたいなやつとか、「白い胸像」とか、「でかいバラの絵」とか「スターウォーズのナントアスーツ(よくわからない)」みたいなやつとかがドーン、ドーンと置いてあり、趣味的にはまったくよくわからないところだったが、料理はどれもこれもすごく丁寧に作ってあってはげしくおいしかった。全部がどうやって作ったのかよくわからない微妙なさじ加減で、それが素材とソースと組み合わせですごくおいしくできあがっている。「リゾットの上にポーチドエッグと穴子のローストが重ねて乗っかっていて、穴子をローストしたプライパンで赤ワインを煮詰めて作ったソースがかかっている」とか、「カジキのソテーにラタトゥイユみたいなのがたっぷりかかって、横にオリーブと何かをどうにかしてなんとかした『タプナード』っちゅーのがそえてある」とか、「骨付きの分厚い豚肉のシンプルなソテー」とか。デザートの「小豆と黒糖のブリュレ黒糖アイス添え」もすげーおいしかったです。

話しの中で、「『傍目からは実体、実力がよくわからないが、言動がおおよそにおいて奇をてらいがちで、自分ではその出方がよいと思っている人、あるいは自分のウリはそれだと思っている人』は苦手だ」と言ったら、「常に魔球を投げるピッチャーとか?」と聞き返され、それを『常に薪を投げるピッチャー』と聞き間違えたまま、まさにその通り!と思ってそのまま『そうそう、ピッチャーなのに薪を投げるのがウリかよ!みたいなね。ボール投げてないじゃん!っていうような人。たまにいますよね。それがねらって『フン、こっちは薪だぜ。』っていう投げ方ならそれはそれで確信犯的でいいんだけど、ただ『薪を投げる』だけで何気なく目立とうとしてる人とかってなんか腹立ちますよね!』と調子に乗ってしゃべっていたら、『魔球』だったことがわかりかなりバツが悪かった。あー、魔球投げ続けるんだったらいいんですよ、ちゃんとボール投げて勝負してるわけだから、魔球が投げ続けられるっていうのもその人の実力ですよ......。私がヤなのはそもそもボールじゃなくてわざと薪を投げるような人ってことで......ってモジモジとなって、すると『薪を投げるピッチャーって?』とツッこまれて非常にマヌケな毒舌になってしまった。ただ笑うしかなかった。アンタが薪投げとるがな!と自分ツッコみ。聞き間違いに注意。

[link:407] 2005年03月18日(金) 04:15


2005年03月16日(水)

ぽっかり時間ができて、流山児事務所の天野天街演出『夢の肉弾三勇士』を観に行く。この作品は33年前の1972年、いわゆるアングラ全盛の頃に上演されたものを再構成して舞台にのってたものだという。私は80年代後半の高校生の頃、アングラ演劇の後期のものをテントや小さい小屋でたくさん観たが、このお芝居は、その独特な気配を天野さんが巧みに料理しているのがよかった。どうしても目がいってしまう魅力的な役者さんも何人かいた。しかしなんか照れてしまう。

終了後、近くのラーメン屋さんに入る。早稲田近辺のお店はさすがに学生でにぎわっている。その後お茶飲みに入ったモスバーガーでも隣のテーブルで学生が台本の確認をしあっていた。さすが早稲田。演劇人口が高い。

[link:406] 2005年03月18日(金) 04:07


2005年03月15日(火)

今日は祖母の88歳の誕生日。おばあちゃんおめでとう。
米寿かー。すごいね。つくづくこの喜寿(77歳。「喜」の略字が七を3つ書くことから)、米寿(88歳。八十八を重ねて書くと「米」になる)、卒寿(90歳。おなじく「卒」の略字は縦書きで九十と読める)、白寿(99歳。「百」から「一」を引くと「白」)、などという字からとか形からきている洒落のきいた日本の習わしなどを聞くと、つくづく良いなー。と思う。
そのおばあちゃんに、数日前、今日届くように祝電を打った。
しかし祖母は母方で、うちの実家に同居しているため苗字がちがう。しかし日頃の郵便物はいちいち「加藤方」と書かなくても祖母宛に届くため大丈夫かと思ったら、電報はそうはいかないらしく、確認のために電話をしたらまたうちが留守だったようで、おまけにもう何年も前に区画整理で住所の名称と番地のみが変更になったのだが、それすら把握してくれていなくて、もう半分取り乱したような電話が電報の配達担当の人からかかってきた。で、数年前の住所を教えてくれといわれた。なんかアナログです。しかしそのわりには電報とどける前に電話って.....。昔は電話がなくて電報だったんですから。とかいろいろ思ったが、もとはといえば「加藤方」を抜かして言ってしまった私がいけなかったわけで、担当の方にとんだお手数をかけてしまいました。で、留守だったうちの実家になかなか連絡がとれないその担当の人はもうすごいあわてようで何度も何度もこちらに電話をくれ、あげくの果てにはこんがらがっちゃって、私に『△×○様(祖母の名前)に電報が届いてますが、そちらで受け取っていただけませんでしょうか?』ってもうめちゃくちゃ。「祝電だから今日中に!」って思ってくれてのことだろうけど、明らかに手元の地図がすっごい古いらしいってのがバレバレで、もうちょっとちゃんと調べてくださいよ、と思ってしまった。すごい高い電報代払ってるんだから。それでもなんとか夕方には無事届いたらしくよかった。

とかなんとか朝からバタバタしつつ、午後からはCMの録音。そこでプロデューサー氏が「花粉症が治まる周波数のナントカ波が出ているMP3プレイヤー」を見せてくれた。普通のMP3プレイヤーとおんなじようにただ聴いてるだけでひとりでに鼻水くしゃみが治まるという。氏も『気のせいかもしれんが聴いてる間は鼻も出ないけど、はずすとまた出る』と。ほんとですかあ?でもちょっとそれやってみたい。いやかなり、やってみたいー!

[link:405] 2005年03月16日(水) 02:22


2005年03月14日(月)

3/12日、13日と急な仕事で曲作り。花粉もあり外出せず。
14日、出来上がったデモを持っていき、軽く打ち合わせ。
その後、残りの時間がぽっかり空いて返事を待ちつつお友達と夜ごはん会。ちょっと奮発して、(今まで知っている中で)日本一おいしいとんかつのお店(値段高め)へ行く。ここはカツはもちろん一品一品がいちいちおいしくて、ごはんも青じそごはんで、キムチやおしんこや「めんたいこと細切り野菜の和え物」みたいなちょっとしたものが食べ放題で、それら全部がおいしい。今は牡蠣のシーズンじゃないけど、冬場だけに出る生牡蠣や牡蠣フライはちょっとびっくりするおいしさです。牡蠣はこわいのであんまり食べないようにしているけど、このお店へ行くと我慢できなくなって頼んでしまう。あまりのおいしさに上機嫌で帰ってきて、このうれしさを分かち合おうとメダカにエサをやったが無視された。
花粉て、外に出たから症状が出るとは限らない。外から中へ入った途端くしゃみ連発だったり、座る場所をかわっただけで鼻水が止まらなくなったりして、もう何かに操られているような一人花粉芝居みたいな。お友達がわざわざ持参してくれたアールグレイにおろし生姜と黒砂糖をたっぷり入れてジンジャーティーをいただきました。うーん、最初違和感があるが、このピリピリ感クセになるなあ。

[link:404] 2005年03月15日(火) 02:34


2005年03月11日(金)

銀座方面へお出かけ。銀座は昨年暮れにMacが動かなくなってアップルストアへ泣きながら持っていって以来。
大好きな洋服屋さんの春物をチェック(しただけ)。うーん、かわいい。ほしい。洋服でこういうアプローチは今までやっぱりあんまり見たことなかったよなー、とつくづく感心する。
その後、近くの画廊でふるーいふるーい友人の東京での初個展が催されているのをのぞきに行く。たまに銀座の画廊でグループ展をしていたことは知っていたが、実際にはもう10年ぐらい会っていないのでひょっとして顔すら忘れられているかもしれなくて(←それは大げさ)どうしようか迷ったが、初個展だし、まあ本人がいなくてもやっぱり作品だけでも観て帰ろうと思って寄ってみた。
そしたらたまたま会場にご当人がいて、意外なほどあっさり気がついてくれた。昔から難しい分野に取り組んでいた人が、その信念を曲げずに今日に至り、少しずつでも活躍の場を着実に広げているのを知るのはうれしい。しかし相変わらずわかりづらい絵で(ごめん)、その場にいた2〜3人の人が皆「水面」だと思って見ていたのが「芝生」だったり、「木」をえらい人に「この建物」と言われたりしていて、それも含めて、面白かった。少し話して、キャラメルをもらって帰宅。

「よいもの」つまり「それを生み出す気持ちがちゃんとつまっているもの」は、ちゃんとそれを見る人を惹き付けるつける力を持っていることがよくわかった日。でも実際そういうものを見ると、どういう感想を言ってよいのかよくわからない。そして何度も何度も見てしまう。見たすぐは、ついそれが欲しくなってしまうけども、何度も見ているうちにだんだん「それがそこでその良さを放っていてくれていればそれでよい」ような気分になってくる。昔はちょっと違ったのだけど、最近は「またしかるべきタイミングが来てまたそれらに出会えるんなら出会えるだろう」などと思うにもなってきた(←という割には日頃のくだらない物欲のなんと強いことよ)。しかし、そんなこと思っていたらそういうモノを生み出している側にしかるべきお金が行かないことになってしまうので、ということはやっぱり『コレダ!』というものにはどんどんお金を使うべきだね、みたいな心の声も聞こえてくるし、だんだんよくわからなくなってきたなあ。
まあそれはさておき、私の作る音楽も、私のそれを作る気持ちが聴いてくれる人にたとえ「なんとなく」でも伝わればいいなあ、と改めて思った。

それはそうと、日比谷でちゃんと降りてたしか改札も通通ったはずだが、外に出てからも切符を持っていることに気がついて驚いた。うろうろと出口をさがしてさまよっているうちになんとなく出て来ちゃったのでしょうか?

[link:403] 2005年03月12日(土) 14:52

2003年6月16日までの日記


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