忘れ物はないね?日記2002.8.1〜8.18

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8月18日(日
●台風が来てるらしいので、メダカ対策をいろいろやってから、ちょっとお出かけ。
8月17日(土
●有楽町へ。日比谷、有楽町の銀座界隈は地下でつながっていて、結構歩くが、矢印を頼りに行きたいとこまでわりとすんなり行ける。
●名古屋では地下街がすごいので、そういうのは得意。エリアごとというか、ビルごとの地下別にサンロード、ダイナード、ユニモール、テルミナ、エスカ、など名前がついてお店がぎっちり。それらすべてが地下でつながってる。それが名古屋駅にもその隣の隣の駅にもある。名古屋地下街の唄、『もぐらのチカちゃん言ったとさ〜♪なんなんナゴヤの地下八丁〜♪』という唄を知っている人はそんなに多くはないと思いますけど、そんなのがあるほどです。今のJRの駅ビルになる前のJR名古屋駅のコンコースにはそういう地下街とはまたちょっと赴きの異なった『大衆地下街』みたいのがあって、あやしい床屋やあやしいスナックやあやしい純喫茶やあやしい銭湯まであった。女性率も低くて、友達と学校帰りに制服でそこの探索に行った時はそうとうジロジロ見られて、酔っ払いのおっさんに『オネーチャン(友達のほう)、おっぱいデカイなー』とか言われたりしました。でも友達も私もそういうの意外と平気で、友達は『あ、ありがとう』と答えていました。
8月16日(金
●遅ればせながらお墓参りに行く。
手を合わせて心の中で『ナムアミダブツナムアミダブツ.....』と言った後、『カンジンザイボーサツギョージンハンニャーナーラーミーター...』と言いかけてみたものの、覚えているはずもなく、『あ、すいません、先がわからないのでやっぱりナムアミダブツ.....』と言い直す。
●帰って来て汗になったシャツを洗濯機の手洗いモードですぐお洗濯したが、洗い終わってみるとお気に入りの鹿のブローチをつけたまま洗濯してしまっていた。ちょっとショック。鹿は案外平気な様子だった。
8月15日(木
●家で曲作り、それと写生。メダカと遊ぶ。あ〜〜。週末また台風ですか....。
8月14日(水
●CMのデモ録り。夜は塩辛とキャベツのパスタ。
●たまーにかかってくるセールス電話、『先日お送りしたブランド商品の御案内のカタログですが、内容を今申し上げますとですね、「商品を買ってください」、というのではなく、「そのカタログをお暇な時間を利用してご近所に配るお仕事をしてください」というものなんですよ。』とわけわかんないことを言う。めんどくさいので『そんなもの申し込んでもいないし、興味もまったくない。』と言うと、『あ、まだ届いてませんでしたか?それはこちらの手違いで、申し訳ありませんでした。』とまだ芝居をしている。あー、こういうのにひっかかっちゃう人がいるからこういう下手な芝居とかで『巧妙な手口』と思い込んじゃう悪徳業者がなくならないんだよー。
パートのおばさんのぶっきらぼうなマニュアルセリフでかかってくるセールス電話のほうが同じ迷惑でもまだサッパリしているが、この間は、切った直後にまるっきりおんなじおばさんの声でおなじ切り出し文句でかかってきたので、『さっきの人でしょう?名簿おんなじ行を見たんじゃないですか?』と思わず言うと、一瞬頭が真っ白になったらしく、『あ......』と言ったきり黙って、それから『すみません』と切れた。これはこれでおばさんのスキだらけな素顔があらわになり、悲しいものが...。
8月13日(火
●市ヶ谷で軽く飲む(私はお茶)。
全体的に中華風味の店で、頼んだ『鶏肉とくるみの炒め』にはいっていた鶏肉やくるみがきのう『ハンニバル』で食べてた脳の欠片に酷似しており、ちょっとひく。が、食べたらおいしかった。
8月12日(月
●なかなか予定どおりにはいかないものだ。
●リドリースコット監督の『ハンニバル』をビデオで観る。恐かったのは『羊たちの沈黙』のほうが恐かったが、これも恐い。リドリースコットは恐いシーンの『溜め』がなく、『アッと思った瞬間にもう恐い』のでそのスピードが妙に生々しい。
8月11日(日
●掃除スイッチが入ってしまって、普段あんまりやらないところまでやってしまう。そしてどうしても近日中に連絡をしなければいけない人の電話番号がかかれた古い手帳をやっとことで発見。助かった。
●ゆうべ見た夢はすごい恐い戦争の夢だった。建物の中に高校の時の友達やら先輩やらといて、トイレではなぜかロシア人の男の人が殺されていて、外では攻撃がもう始まっている。何時15分かはわからないんだけど、とにかく『15分までにここが攻撃されなくて無事だったら、そのまま大丈夫だから』誰かが言っていて、ものすごく怯えながら早く15分にならないか、と思っている。その間にも『爆撃されて一発で死ぬのはどういう感じがするのだろう?』『もう死ぬのにこんなにかわいい壺とかかわいいハンカチとか持っていてもしょうがない(なぜかリュックの中にかわいい壺やかわいいハンカチを持っている)。』と思ってそれらをまわりの友達や先輩にあげたりしている。撃たれるのを待つ、という恐怖の時間がやたらと生々しくて、ほんとに恐かった。
8月10日(土
●勢いで一曲作る。悩んでも、気に入る曲ができるとは限らない。では悩まなければ気に入る曲ができるか、と言ったらそうとも限らない。
8月9日(金
●曲を作っているけど、どれもおしいところで止まっている。
●ふとしたことからNHKでやっていた元ちとせのドキュメンタリーみたいな番組を見た。元ちとせという人の人となりや、そのすごい唄声にちゃんと触れるのははじめてだったが、見入ってしまった。
奄美大島でたくさん太陽に照らされ、さくさん風に吹かれ、たくさん台風をやりすごし、たくさん愛されてすくすくと育ったのだなあと思われるようなこういう人のこういう唄が、今のこういう音楽事情の世の中で『売れる』つまり多くの人がその唄にヤラレている、ということはとてもいいなあ、と思う。
民謡はブルースだといわれますが、ことにこの島唄というものは大体が手拍子も裏打ちだし、喜びも悲しみもとにかく唄う、というところがブルースそのまま。ミシシッピーのデルタで抑圧されてきた奴隷の人たちの中から生まれた、というような特別な背景はあるのかないのか詳しくは知りませんけど。とにかく、その素の『心』の部分をすごく唄に直結させている数少ない人だなあ、と思った。
●小学校の時に奄美大島出身の姉妹が近所に住んでいた。小学生の元ちとせの写真が、その姉妹にそっくりだったので、そのことを思い出した。いわゆる奄美大島顔なのでしょうか?目がくりくりと大きくて微妙にタレてる。唇もちょっとぽってりしていた。
私はたぶん3年生ぐらいだったと思うけど、夏休みの自由研究で『各地の方言しらべ』というのをやって、その姉妹のお父さんに取材をした。取材といってもただ家に遊びにいって、おじさんとおしゃべりしただけだ。『各地』の方言といってもあとは岐阜とか三重とかといったショボい『各地』しかあてがなく、奄美大島は私の中では目玉だったので、違いをくらべる『セリフ』はもう完全に奄美大島基準で、なるべく標準語とすごい違いのある奄美の言葉をとりあえずバーッとあげてもらい、それと同じセリフをほかの『各地』でも聞いてみる、というまるでヤラセのような企画。なので、『<愛知>キャベツ、<岐阜>キャベツ、<三重>キャベツ、<奄美大島>タマナ』とか、『<愛知>島に遊びにおいで、<岐阜>島に遊びにいりゃあ(?)、<三重>島に遊びにおいな(?)、<奄美大島>シマカチアップガコウヨ』という具合で、それなら別にはじめから無理に各地にしないで『奄美大島の言葉しらべ』』にしたほうがいいじゃん、という感じのものになってしまった。ほかにももっとあったはずだけど、なぜかタマナとシマカチアップガコウヨだけ鮮明に覚えており、あとは忘れてしまった。そこの姉妹のお父さんはクニマロ(国麿と書いたっけ?)というお名前で、それもまた『へえ、すごいなあ』と思った憶えがある。引越しやなんかで、その姉妹とは大きくなる前にもう別れてしまった。さぞかし美人な姉妹になったことだろうなあと思う。
8月8日(木
●きのうはちょっと自分の頭の中のややこしい部分を日記に書いてしまって、ちょっと誤解をされることもあるかもな、とも思ったけど、まあいいや、要するに私はその中のある一本の糸をつたって、やっていくのだ、ということにした。
そこでその翌日の今日は頑張るにはやる気が大切、と思いお買物へ。あーブーツ買っちゃったよ、ブーツ。うれしいなあ。これでブーツは5足目。実家に置いてあるのとかもいれるともうちょっとあるのか?人から見れば、なんかおんなじようなの何足も持ってるじゃーん、と言われることと思うが、全部違う。ぜんぜん違う。色の濃淡、革のやわらかさ、長さ、全体の印象、これは靴やかばんにも、そしてスカートセーターコートシャツジーンズすべてにおいて言えることであって、それは音楽と同じである(あー、すごい大したことにしようとしてる。ほぼデタラメ)。自分の靴好き、かばん好き、洋服好きを正当化しているわけではなくて、本当にそうだからしかたがない。って、まあようするに買っちゃったわけですね。さっそく履こう。まだ暑いけど。そしてがんばろう。
8月7日(水
●曲作り。
●7月の29日に少年王者舘KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」を観に行ったことを自分では当然アップしたと思っていたのに、ごっそり抜け落ちていたことに今日になって気が付く。
ちゃんと観に行ったのである。チアキテルの次の日だったので、ぐったり疲れてもう観に行けないかと思ったが、がんばって行った。行ってよかった。私は少年王者館をやめてから、しばらくの間観ていなかったけど、また去年ぐらいから観に行ったりしていて、行く度にぐんぐんいいのである(エラそう。でもエラそうにしたいのではない。)
今回のは少年王者館の芝居ではないけども、すごくよかった。といっても、言葉でいうにはどういうふうに言えばいいのかわからない。この『すごくよかった』という思いはたぶん、普通に芝居を観た人としての『すごくよかった』というのと、私のとても個人的な『すごくよかった』というのを足して、更にもっと私的な感覚上での『すごくよかった』がふりかかっている『スゴクヨカッタ』であるように思える。
今では役者やスタッフの人含めて、知っている人は私があの場所にいた当時からいた数人、そして天野さんしかいない。だから観に行くといつも終わってからは、なんとなく座りの悪い、照れくさいような感じでぼそぼそっと天野さんや田岡さんとバカみたいな話を少しして、とぼとぼと帰ってくるのである。感想らしい感想もちゃんとは言えない。もちろん私はちゃんと気持ちを大事にもって彼等のすることを観ている。でもたとえば、『よかったけど、こうこうしかじかな感じはちょっといやだったかな。私は。』とかいうことも、『あそこのところはグっと来たなあ。』とかいうことも、やはり詳しくは話さない。そんな細かいことは今さら話せない。そういう私の感想が伝わっているかいないかもどうでもいい。
私は少年王者館という集団を抜けるわりと直接的な理由として、抜けてからもずいぶん長いこと『なんにも変わっていかないような気がして、そこが息苦しい』と思っていたのだけど、それは私の浅はかな思い込みで、実は、当たり前のことだけど『なんにも変わっていないところ以外のところは確実に変わっていて、いろんなものを吸ったり吐いたりしてカタチをかえ、一部分はパラパラ漫画のようでもあり、一部分は植物や、または石のようでもある。その真ん中に<私>や<僕>や<オレ>がつきささっているだけだった』のだ。ほんと、当たり前のことなのに、ある程度現実の時間がすぎてみるとなおさらよくわかった。渦中にいるより渦中にいなくなって初めて、渦中にいることがよくわかったりもした。私は音楽に表現の場を移したけど、同じである。
まあ、この文章もずいぶんとわかりにくいとは思うけども、要するにこれからもがんばってねーと彼等にいうかわりに、私は私のなすべきことをがんばろう、ということなのです。
8月6日(火
●作詞の修正を出したり、あちこちと電話連絡をとったり。
メダカも大きくなった。
●ぶどうを食べる。
●やらなくてはいけないことがいろいろあるけども、どうもやる気が出ない。
8月5日(月
●昨日の夜中に詞の第一稿が一段落したので、今日は気をよくしてスターウォーズを観にいく。もっと混んでるかと思ったけど、そうでもなくて座れた。これから観る方のために粗筋を書きますと...、あ、嘘です嘘です、これから観る方のために何も書かないでおきましょう。面白かったです。すごく。
●帰りに古本屋さんで「ジュゴン」¥100購入。
なんとなく夏休みな感じの一日で楽しかった。
8月4日(日
●昨日、今日と作詞の仕事。
今日はそれに加えてほうぼうへ電話連絡やFAXでのやりとりなどあっと言う間に夜になってしまった。
●その合間にサンタクロースをいつまで信じていたか?という話題になり、私が小学5年生ぐらいまで、と答えるとびっくりされた。
ではいつどうやってサンタクロースがいないと気がついたのか、と言われると、私はそれはよく覚えている。
そもそもうちの親は枕元にプレゼントの自転車とかを置いて、わざわざ朝起きた時にそれにつまづいて転んで見せたりする、という家族ぐるみの芝居で私にサンタクロースの存在を信じ込ませていたので、友達にいくら「サンタさんはいない」と言われても、それを全否定して『いや、絶対サンタさんはいる。だってうちの親、プレゼントにつまづいて転んだりしてたもん。自分で置いてたらそんなことあるわけないじゃん!』と私はずっと言い張っていた。
ところがその日は突然あっけなくやってきた。ある時ピアノに行く途中のバスの中で、ふと、『待てよ、お父さんやお母さんがお芝居してたとしたら?』と思ったわけである。もっと早くそこに気がつけよ、と言ってやりたいアホな私であった。で、ひとたびそこに気がついたら、「そういえばサンタさんに何をもらうかを誰にも内緒にしてた時はプレゼントが全然ちがうものだったっけ」とか、「私がこっそり『髪の毛が早くのびる薬』を頼んだ時も、『これであさってからロングヘアーだ』と思ってすごい期待して寝たのに、起きたら『ヘアピンセット』が置いてあって、がっかりしてたら母が何を頼んだの?と聞くからしぶしぶ『髪の毛が早くのびる薬』と言ったら、母は溜息をつきながら『そんなものはサンタさんの国にもないんだよ...』と言ったっけ」と、何か知らんがつじつまがどんどんあってきて、どんどんサンタさんは本当はいないんだということを裏付けるような事柄が思い出されてきた。で、私は「ああ、みんなが言ってたように、サンタさんはいないんだ...。お父さんとお母さんだったんだ...。」と目からウロコが落ちたように気がついて(だからもっと早く気がつけよ)、バスの外をぼんやり見た記憶がある
確かにお兄ちゃんやお姉ちゃんがいる友達にくらべて、一人っ子の私はそんなにマセた情報が入らなかったけども、これはひとえに私の思い込みの激しい性格のせいと思われる。一度こうだ、と思い込むとそれが怪しく思われるようなことまで全部都合のいいように解釈してしまうから、なかなか勘違いに気がつかない。それは今でもガンガンに持ち越してる困った性格のひとつである。不自由だ。
8月3日(土
●どうも夏バテと思っていたのは食あたりのような感じなのだった。薬局へ正露丸を買いにいく。腹痛といえば正露丸だけど、私は正露丸も飲むけど、百草丸という正露丸より更に小粒のやっぱり臭い黒い玉状の薬のほうがまだ飲みやすくて、そっちを飲むことが多い。それがなくなってしまったので、今日薬局に行ったのですが、さすがに東京あたりには百草丸はなかった。なので正露丸購入。実は正露丸は種類も値段もいろいろあって、安いのと高いのがあるので注意が必要だ。世間的に有名なのはラッパのマークの正露丸だけども、つづみのマークの正露丸もあるし、今日見たのはなんかよくわかんないお盆が2枚重なったような抽象的なマークだった。別にそんなに効き目に違いがあるとは思えないけど、やっぱり値段の一番高いラッパのマークのを買ってしまう。
ところで百草丸というのはやっぱり整腸薬で、正露丸と宇津救命丸の中間ぐらいの真っ黒な玉ですが、これは成人で20粒、というすごい数飲まなくてはいけない。子供でもその半分なので、10粒。どちらにしろそんなに大量に飲ませるならそこまで小粒にしなくてもいいのに、といつも思いながら数えるのが面倒であり赴きでもある。私は
正露丸、百草丸、宇津救命丸、そしてヨーチン(赤チンではない)、オロナインで大体のことは足りる。ほうぼう試して行き着いた厳選の薬である。私はかなり生傷の絶えない子供だったので、ヨーチンの消費もかなりのものだった。外傷はヨーチンとオロナインさえあれば、大体のものは3日で治る。そのかわりヨーチンはすごくシミるので、我慢しなければならないけど、3回痛みを我慢してつけると爪をはがすぐらいの結構ひどい怪我でも化膿せず治る。そして不思議なことにヨーチンはねんざにも効く。小さい頃から近所の友達はシミない赤チン(って今あるの?)をつけていたけど、私はずっとヨードチンキ略してヨーチンをぬっていた。爪をはがした時も車に手をはさんだ時も顔をすりむいた時も。痛いからいやなんだけど効くからしかたがない。今ではシミないと効いてる気がしない。それも考えもんだけど。たまに犬にもぬる。
8月2日(金
●夏バテ。完全に。
●メダカの瓶に猫が悪さをしないよう網戸の網にコッパを打ち付けた猫ガードを作る。これで外に出しても大丈夫。メダカももらった時は1mmぐらいだったのが、3〜4mmにまでなった。同級生なのにデカイのとちっちゃいのの差がすごい出てきて、ほんとに小学校のようだ。
●宣伝をひとつ。栗原さんのイカした音楽とシュールでかわいい内容でおなじみのNHK教育番組『ピタゴラスイッチ』ですが、その中の歌のコーナーに曲を作りました。タイトルはズバリ『おんなじとこちがうとこ』。ピタとゴラが歌います。8月27日から約一ヶ月間放送される予定とのことなので、みなさんぜひ見てね。
この歌のバックで流れる映像がこれまたバツグン。収録は7月にあったんですけど、その現場を見学に行って、本物のピタとゴラも触らせてもらい(ちょっと動かした!)、すごく緻密に丁寧に作られた粘土のいろんなブツ(画面に次々登場してくる)も間近で見せていただいて感動しました。ああいう人形というのは、演じ手のニュアンスひとつで驚くほど表情が出て、頭の上に『?』マークや『.........。』や『!』マークなんかがまるで見えるようだ。よく似たことがディック・ブルーナさんの描く絵にも感じられるのですが、ミッフィーとかはあんなに無表情なのに、驚くほど表情が豊かなのはほんとにすごい。ピタとゴラも(その演じ手の人たちも)すごいです。2分
弱の放送時間、何も逃さず画面をチェックしたい。
曲ではテルミンRom-chiaki、ギター鳥羽修の各氏に演奏をお願いしました。お楽しみに。
8月1日(木
●昨日は花火大会見物。日頃仲良くしていたりお世話になっていたりするミュージシャンやスタッフやお友達やその家族など結構な大人数で花火を見た。すごい間近で見る花火は大きさも音もほんとすごい。私は色がついてない金色一色の花火が大好きで、しだれ柳とかもうすごい好き。スターマインはあんまり好きではなかったのだけど、近年は花火研究が進んで、今までは出せなかったオレンジ色やうすい水色などが花火で再現できるようになったそうで、水色一色のあじさいが大量にもりもりもりっと咲いているような感じのが空にひろがったりするのもあって、それはスターマインでも好きです。そんで、音楽はいらない。花火の打ち上がる音だけでいいです。
●でも見れば見るほど、職人さんはすごい。私は今、何でもいいから職人さんのところへ見学に釣れいってあげると言われたら、すかさず花火職人とあと、食堂のウインドーにある鑞細工のメニュー見本(あのかっぱ橋とかで売ってるやつ)を作ってる現場を見せてもらいに行きたい。

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