忘れ物はないね?日記2002.4.2〜4.9

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4月9日(火
●とにかくピッチをあげて、今度の編成のアレンジ、そしてパート譜書き。
かなり難しいが、あわせるのが楽しみ。
●そろそろ加藤千晶食堂開店一周年。ああ、月日の経つのの、なんと早いことよ。
それに反比例して私の仕事スピードのなんと遅いことよ。いや、待てよ、月日が経つのが早く感じる=私のスピードが遅いからか?ということは、反比例ではなく正比例?っていうか別に比例もしてない?ま、いいか。よそう、深く考えるのは。
これまたすぐ5月、そして、すぐ6月。そして夏。夏にもなれば、もう今年も終わったようなもの。ああ...。

思えば、今年は元旦早々大凶をひいたのであった。それも、混雑するおみくじ売り場で、係りのお兄さんに『六十四番お願いします。』と叫んだら彼は五十四番の引き出しからおみくじを出して渡してくれたのだ。それを見たら『大凶』だったのだけど、上に『五十四番』と書いてあったので、再度『すいません、私、六十四番です。コレまちがいです。』と言ったところ、先方も『ああ、スイマセン』と今度はちゃんと六十四番の引き出しから『六十四番』というおみくじをくれたのだけど、それを見たらまた『大凶』で、ショックも2倍になってしまった。
ということで、そこで私の見解をひとつ述べさせていただきたい。『四番』『十四番』『二十四番』など『〜四番』はすべて『大凶』と見た。そういう簡単な区分けだ、絶対。特にお正月なんて。反対に『〜八番』とかは縁起のいい数だから『大吉』が入っているにちがいない。まあ、それがわかったからといって、引きわけられないから、運には違いないんだけどね。なんかね、安易な『大凶』をひいたようだ。
まあそういうこともあって、結構今年は引き締めていこうと思っておった訳ですが、とりあえず、残された2002年を有意義に過ごそう、と固く決意する私であった。
4月8日(月
●いろいろたまっていたこと片付けたり、いろいろ連絡をとったり、譜面を書いたり。
外にも出なかったし、特筆すべきことはなにもなし。外のはなみずきが咲いている。つつじの匂いもとてもよい。
4月7日(日
●中目黒へ行き、その後渋谷へ。
夜はゴージャスに南仏料理を食べた。飛び込みで急に入った店だったが、めちゃくちゃおいしかった。近年稀にみるおいしさ、仕事の丁寧さ。感動する。
しかしやはり本調子ではなかったのか、店を出てしばらくしてトイレにものすごく行きたくなり、地下駐車場の公衆トイレへまっしぐらに向かった。その道中、お腹がものすごくせっぱつまっていたのをガマンしていたので、Oちゃんが言った『ムスティー(私がこどもの頃から持っている、ミッフィーに瓜ふたつのネコ)の作者がブルーナさんに裁判で負けてお金を払ったらしいよ、やっぱり、あれはニセモノだったんだね〜。』などというロクでもない嘘にうっかりだまされる。確かにその瞬間は腹痛を忘れたので、ありがたかったけども、そういう明らかにわかりそうな嘘に毎回ついひっかかかる自分がイヤでもある。
けど、今日は中目のパーキングでも『猫の目割り引き中(チケットに猫の目が印刷されて出てきて、その目が丸いと空いているという意味で、割り引きがある。反対に猫の目玉が針になっている時は混んでいる時で、料金が高い)』だったし、ずっとさがしていた目的のものがひょんなことから古道具屋さんでみつかったし、飛び込んだ南仏料理のお店もバツグンだったし、
あちこちでツイていて、よい一日だった。こんな日はうれしいなあ。
4月6日(土
●一連の発熱腹痛騒動は結局カンピロバクターではなく、急性腸炎だった。風邪の菌とかが腸にはいっちゃうとか、そういうのらしい。その後徐々に回復して、今日はもうほとんど元気になった。ご心配いただきましたみなさま、どうもありがとうございました。
●気晴らしにちょっと出かける。TSUTAYAのレジでぼやっと並んでいたら、後ろから『どっちの列に並んでます?』と言われ、『あ、スミマセンッ』と振り返ったら、声の主はなんと大河内奈々子であった。お母さんらしき人と一緒で、あまりにも無防備だったので、『ほんとに大河内奈々子かあ?』と一瞬疑いかけたら、お母さんみたいな人が『ナナ、こっちの列(が、空いてる)!』とおかん根性発揮。あれー、思いっきり名前呼んでるがな!しかもバリバリ本名かい!
ってことで、やはり大河内奈々子ちゃん(←もうちゃん付け)であったことが判明。
そのTSUTAYAで奈々子ちゃんとは反対方面へ別れて、しばらく何軒か店を見た後、食料品を売っている店で買物をしていると、さきほどTSUTAYAから反対方面へ行ったはずの奈々子親子にまた会ってしまった。もちろん向こうはな〜んにも気づいてないので、挨拶をする訳もないが。その後、別れても別れても、ふと気がつくと同じ列の向こうから奈々子が肉を持って走ってきたり、向こう側の牛乳の棚を見ていたりで、結局レジも隣であった。
レジをすませて、袋詰めして、さあ、パン屋に寄って帰ろうとしたら、今度は奈々子親子が先回り(?)してまっしぐらにパン屋へ向かっているではないか。なので、私はちょっとパン屋へ行くのやめてみました。でもなんで私が遠慮するのか?気づかれてもいないのに。
4月4日(木
●きのう点滴をうけたにもかかわらず、一向に熱は下がらず、お腹も治らなくて、結局10分おきぐらいにトイレに駆け込んでいた。おかげでほとんど眠れず。しかも、今日は朝から吐き気もしている。
なのでとうとう身内、親族をも巻き込んで日比谷の病院までパジャマで行ってしまった。
しかし!さすが日比谷。病院にいる人も来る人も皆バリッとしており、中には黒塗りのハイヤーなどからおりてくるヨボヨボのじいさんや、いかにもマダムっぽいおばさまなどもいて、いくら腹痛と吐き気とで最悪だったからといって、こんなところにすっぴんボサボサパジャマで来てしまった自分が激しく恥ずかしくなる。しかし、とりあえず苦しいので、もういいや、と腹をくくって診てもらった。昨日の先生がお腹を押しもしなければ触りもしないで、妙なことを言ったので、なんとなく別の先生にもっとちゃんと診てほしかったのだ。すると、ここの先生は『お腹を診せてくださいね〜』の後、あちこち押して、それから『お腹はやわらかいので大丈夫です。』と言っくれた。

そうか!お腹はやわらかいので大丈夫なのか!痛いけど、もう大丈夫なのか!と思えてきて、うれしくなった。
そして、やっぱり点滴。その後はおとなしく眠る。
4月3日(水
●朝、熱も下がったので、うかれて洗濯をしたり、ちょっとアレンジなどをしたりしていたら、夜になってまた腹痛が復活してしまった。それがもう、大変ダメな感じに悪化してきて、ちょっと手の先もケイレンしてきた。
そう言えば、ちょっと前の飲み会で、鶏肉の刺身っぽいのをいつもなら絶対口にしないのに、その時に限って食べたのを思い出して、もう絶対食中毒だ、カンピロバクターだと思い、苦しみながら夜間救急病院へ駆け込んだ。
しかし、当直の先生が『お腹を見せてくださいね〜』というので見せたら、5センチぐらいチラッと診ただけで押しもせず、触りもせず、『今、特別に何かを必要としているお腹じゃないです。』(?)と言って、先生は奥へ引っ込んでしまった。
後は点滴2時間。その間、隣の部屋のほうからもれてくる看護婦さんと守衛のおじさんの世間話を、腹痛に耐えながら延々と聞いていた。看護婦さんがあさって(つまり5日)36歳の誕生日だとか、守衛のおじさんのおかあさんもこの病院に入院していたとか、どこそこのシュークリームがおいしいとか、ワシにもあんたぐらいの娘がいるけど、もうあんたもそろそろ嫁に行かんかね、とか。夜中っぽいねー。
4月2日(火
●突然の発熱で、あれよあれよと言う間に38度7分にまで熱があがってしまう。
それと一緒にお腹もこわれて、頭痛もして、最悪な感じになってきたので、とりあえず寝る。

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