忘れ物はないね?日記2002.1.1〜1.13

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1月13日(日)
テリー.アダムスからNRBQの新譜が届く。相変わらずの楽しいサウンドで、ちょっと胸きゅん。
早く日本でやってくれないかなー、と思う。
夕方、お友達と少年王者館のお友達の家へ。
途中、巣鴨の地蔵通りを歩いた。あそこはすごい。本当に原宿だ。しかも朝8時からやっているという。
路上にはびっしり露店商が並び、唐辛子、健康グッズ、つぼ関係、漢方関係、つけ毛(ヘアピース?)、つけ毛の隣にワカメの束などが売られている。マクドナルドには優先席もある。通りに並ぶ店々の品物という品物にはいちいち『わかりやすい商品の説明』が書かれていて、演歌のテープを売っているワゴンには『本人が歌っています』なんてある。つまり、北島三郎のテープを北島三郎が歌っています、と説明してあるわけです。カラオケテープとの区別のため?
『古い歌の店(?)』とかいう古い歌を店内で流している店(そのまんまじゃん)では、外の看板のメニューのところの『軽食、喫茶』とかいうのにまじって『ノスタルジー、友達の輪、同世代』なんてのもメニューになっちゃってるし。まあ、メニューのうちか。早い話が。

そんなこんなの地蔵通りの店でくまの湯たんぽを購入。よく見たらドイツ製だった。地蔵通り商店街で買ったドイツ製のくまの湯たんぽってどんなん?と思うでしょう。
こんなん↓です。

それから、菓子の王国という店で、マッチ箱大のある珍しい駄菓子を見つけ、そこにあった18個を全部かごに入れてレジへいったら『1890円です』と言われて絶句した。ガーン、ツえ?個100円だった。
しばらく皆で悩んだ末、それはきっともう手に入らないだろうと踏んで結局買うことにした。駄菓子屋で1890円の買い物........。
通りの店に並ぶ派手派手ラインストーンのブラウスやでっかいバラ模様のセーターなどを見ながら、女性はいつの頃からこういうある一定の趣味の服を好んで着るようになるのか?自分もいつか知らない間にこういう趣味の服を好んで来ているようになっているのか?いや、こういうある一定の趣味の服、というのは、日頃、おばちゃんテイストという一言でかたづけがちだけど、本当にそれだけでしかないのか?ここにある服ひとつひとつをよく見直してみて、今私たちが着てもまあよい、と思える服は本当にないのか?思えた時点でそれはもうおばちゃんだということなのか?などと話しながら、それらのコーディーネイトなどを考えてみたりして、散歩終了。でもな〜、あんまり着たくないよな〜、でかいバラ模様のセーターとか。ヘンに光ってたりするブラウスとかは。
夜は韓国家庭料理の店にいき、はじめてダッカルビというもんを食べる。辛っ。
久しぶりのお友達といろいろ話せて楽しかった。けど、もっと久しぶりー!っていう感じかと思ったら、そういう感じはぜんぜんしなくて、なんかすごくいつもの感じだったのが、ちょっと不思議だった。そのお友達はいつも黒い服を着ているからか、カラスと友達になって、たまにカラスがベランダに唐揚げやむきえびなどを運んで来てくれるそうです。
1月12日(土)
十数年にわたってピアノを教わっていた先生から突然メールをいただいてびっくり。
東京に来てから、なかなかお会いする機会がなかったのだけど、HPを見てさっそくメールをくださった。
日記などでは自分の過去から現在から、すべてにわたって結構ぶっちゃけてるので、ちょっと恥ずかしいけども、ずっと会ってない、なかなか会う機会のない人もそうやって見てくださっていると思うと本当にうれしい。
自分の音楽は、ある意味、手紙のようなものだな、といつも思う。私のことをよく知っているひと、そんなには知らないひと、まったく知らないひと、いろんな場所で暮らしているいろんな人に手紙を出しているような感じ。
私はだいたいいつも詞と曲が同時にできます。まあ、たまにそうじゃないのもあるけど、どっちかがまるっきり先だと、もう片一方がなかなかつかなくて最後まで悩む、というパターンが多い。
特に作詞のみ、ってむずかしいのねー。詞じゃなくて文章ならまだいいんだけど。
あ、アド街ック天国に三鷹の伝説のラーメン屋『江ぐち』が出てた!すごい普通に名店として。
いや、名店には変わりないんだけど、もうちょっと何か『江ぐち』らしさで出てほしかった。『タクヤ』も『ご主人』として紹介されてたしな〜、なんかな〜。って、よけいなお世話か。あ、読んでない人にはわかんなくてごめんなさい。はっ、テレビとか見てる場合じゃなかった。
1月11日(金)
チアキテルリハ。もはや何もいうまい。黙って練習。黙って仕込み。
2月13日の第1回チアキテルは、完全予約ではありませんが、ご予約の方先着30名に限って、特選のおやつがつきます。もちろん当日も入っていただけますが、当日の方はおやつはありませんので、ご予約はお早めに。
リハから帰って、夜、近所のお寿司屋さんで打ち合わせ。日本を代表する競輪の選手の方とお会いする。
競輪の世界はまったく知らない世界なので、聞く話聞く話が興味深く、面白かった。
レースで他の選手の邪魔をしたりして落車させてしまったりすると罰則が点数で加算されていき、それが何十点以上かになると、京都のあるお寺で何泊か座禅を組まされるという規則があるそうだ。その間は精進料理、もちろん自転車にも乗れない。レースでは負ければ罵声、勝ったら勝ったでほかの券を買った人から罵声、どっちにしても罵声を浴びる商売らしい。公営のギャンブルだから、スタンドから応援の声がかかっても、それに応えてはいけない、振り向いてもいけない(すべての人に平等でなければいけないから)とか。なるほど、大変そうです。
1月10日(木)
名古屋のライヴが終わったとたんに次はチアキテルにむけってまっしぐらな私なわけで。
その合間合間にいろいろ仕事とか仕事じゃないこととか、新しいグッズの制作とか、そのほかほんとにいろいろなことが山盛り。
うれしいし楽しいけど、ばたばたです。
札幌のイラストレーター、仲良しの早川司寿乃から速達が来たので、何かと思ったら茶封筒の中から出て来たのはサランラップにくるまれたタクアンだった。しずちゃんがつけたのを私が『一本くれくれくれ』と言っていたら、送ってくれたのだった。茶封筒からタクアン、速達で。封筒全体がタクアンの匂いがしてたのもおかしかった。
なんか私はこんな友達がいて幸せだ。
朝、見てた夢は大勢の人の中で、知ってる顔があったので、『あ、私この人知ってる〜』と思ってよくみると、おじいさんになった、元少年王者館の田岡さんで、『あ〜田岡さんもおじいさんになっちゃって........』と思う、というものだった。田岡さんは昔少年王者館で役者をしていて、今は美術やイラストなんかで活躍してる人です。この前1月のTOKUZOでばったり会って話したからだな、きっと。
夜になって、前青山さんが自分の日記に書いていた『納豆キムチめんたいこパスタ』というものを食べてみたくなり、青山さんにレシピをおそわって、食べてみた。おいしい。もっと食べたい。
1月9日(水)
お正月明けからなんだか忙しい。
なんかしらないがいっぱい用事があり、しなければいけないことがあり、ぜんぜん家にいない。
今日もさっそく学校へ。しかし、生徒も私も休みボケボケで授業で使うプリントはない、どこまでやってたか忘れる、ぜんぜんダメダメ講師だった。すいません。
帰りにつな無しで散歩中の犬とおじさんを発見。ずーっと一緒に歩いていたのに、ある曲がり角で突然犬が左折、なのにおじさんは直進したので、えっっ?ぜんぜん飼い主じゃなかった。びっくりした。
ならんですごく親し気にずうーーっと歩いていたから、てっきり犬と飼い主だと思ってたのに、ちがったんかい!他人かい!と思わずツッコんでしまった。
1月8日(火)
実は実家から帰ってくる日に、母が年末からの忙しさの過労のためついにぶっ倒れた。
けど、あたふたと何の足しにもならない家事をちょろっとやっただけで、結局何もすることができないまま、様子を見て、母がちょっと回復したのを見て東京へ戻ってきた。
その母もなんとか元気になったとのことなので、母にエールを送る意味でひとつ書いておこうと思う。
母はこの話を布団に寝たまま、自分と私の気を紛らわすためにしたのだと思うけど、それにしちゃ面白かったから。
普段、母はキティーのしゃべる目覚ましを使っています。それは声を録音できて面白いから、という理由だけで、キティーのほかにそういう声が録音できる目覚ましがなかったのでそれになった。
で、そのキティーを自分の右側に置いています。目覚ましをとめるには、キティーの頭の真ん中にあるボタンを押します。
しかしその日はたまたまキティーが自分の左側におり、朝、いつもの時間にキティーがしゃべり出したので、目はつむったまま手探りでキティーの頭のボタンを探して押したら毛が生えていたので、びっくりして目が覚めた、というのです。
で、飛び起きてみたら、母が押したのは父の頭だった。幸い父は気が付かずに眠ったままだったのだけど、それからしばらくして父が起きて来て、『朝、僕の頭をなでてくれたでしょう?』と言っていたので、おかしくて笑いが止まらんかった、という話しでした。『もしお父さんがつるつるの頭だったら、私、もっと何回も押してただろうか?』ってそういう問題じゃないです。
過労で倒れこんだ布団の中で、心配している私にこんな話ができるんだから、うちの母は大丈夫だ、と変に安心して私は新幹線に乗ったのでした。
今日になって、元気になった母からの電話を受けていると、 NRBQのテリーから電話がかかってきてびっくり。
NRBQの新しいCDの話や私の手ぬぐいの話など、訳のわかんない英語で奮闘会話。
1月7日(月)
昨年末からの忙しさで母がぶっ倒れたため、てんやわんやと実家のいろいろをしてから新幹線で帰京。
あわただしかったお正月も終わり。
さっそくいろいろなことがまた始まって、2002年になだれ込んでいくようです。
今年はどんな歌をうたおうかなあ。
1月6日(日)
昨日のLIVEに寒空はだかさんが見にきてくださっていて、話してみると、大須演芸場に出演中とのこと。さっそくお正月の大須へ出かけ、演芸場へ。大須演芸場という所は、もう10年ぐらい前に一度来たことがあるけど、そのころからもうかなり年季が入っていて、壁はシミシミ、椅子はぼこぼこ、舞台もあちこちガタが来てて、天井からは提灯提灯提灯......という、もう今どきどこにもないようなどうしても壊してほしくない感じの場所。入るとちょうど寒空はだかさんが舞台でしゃべってた。東京タワーの歌がいかしてました。
続いて『若井ぼん』さん。浪速のギラギラコテコテ漫談。で、次が『青空球児.好児』。声デカい。すごい動き。で、その次に登場してきたのが、コミックマジック(?)の『多嶋ゆきお』翁。この人がすごかった。今までに見た事のないような芸風のおじいさんで、一番強烈。どういうふうに見た事ないかというと、今までこれほど『ヤル気がない芸人さん』というのは見た事がない。それがわざとなのか素なのかわかんないような声の小ささだし、まるでただの酔っぱらいのおっさんが出て来てマジックをしているよう(な芸風)。コミックマジックというジャンルはこういうもんなの?見ていてひやひや。客席から今にヤジが飛ぶんじゃないかとひやひや。マジックのタネをまちがえちゃったりしてるのもわざとなのか、本当にまちがえちゃったのかよくわかんなくてひやひや。しゃべりに間が空くとひやひや。とにかく何に対してかよくわかんないけど、祈るような気持ちだった。こんな気持ちにさせる芸人さんていうのは、ある意味すごいんでしょうか?
でも、どの芸人さんが出て来ても、一番前の席に座っているおっさんが必ず一度はトイレや電話で席を立ち、『おっさんどこ行くの?』『おかえり』と毎回ステージ上からつっこまれていておかしかった。

大須演芸場はいいところです。みなさん、名古屋に行ったらぜひ行ってみてください。中にはいるだけでも行ったかいがあります。それで、機会があったら『多嶋ゆきお』のコミックマジックを見てください。
多嶋ゆきお翁。花がぴろん、ぴろん。
1月5日(金)
TOKUZOにてLIVE。
夕方からみぞれが降ったりして、寒くて冷たい日にもかかわらず、たくさん見に来てくださった。
水谷さんも飛ばしてて、すごくいい感じで会場が湧いていたので、えいやっ!とやる。
冷静な自分的にはいろいろあったけど、すごく楽しくできた。自分が楽しかった分、お客さんにも楽しんでもらえてるといいんですが、友達やいろんな人が見に来てくれてうれしかった。来てくださった方、どうもありがとうございました。水谷さんも、ありがとうございました。TOKUZOの森田さんやスタッフのみなさんやサポートの皆さんにももちろん感謝でいっぱいです。
父と、父の仲良しのおじさんが連れ立って見にきてくれていて、べろんべろんに酔っぱらって、終わってから顔も見ずに帰って行きました。
1月4日(金)
明日のサポートをしてくれるザボンドボン時代からのドラマー、丸市さんに来てもらってリハ。
スタジオも、昔たまーに練習していた(ザボンドボンの時はスタジオでリハなんてしてなかったから)スタジオ。ザボンドボンの現存する唯一の音源、メトロトロンレコードの『International Avant-garde Conference vol.3』に入っているヒネコッタコマメパンもここで録音した。
何年かぶりに行ってみると、そこのスタジオの人が私の名前を覚えていてくれて、びっくりする。8年ぐらい前に2〜3回来たことあるぐらいなのに。で、壁にはザボンドボンのLIVEのチラシが貼ってあって、更にびっくり、感動しました。『うちは剥がれ落ちるまで剥がさないの....』と言っておられて、なるほど割礼のめっちゃくちゃ昔のチラシなどもあった。で、トイレに入ったらカレンダーは1990年のだった。
なるほど。その脇に『犬を探しています』という貼り紙もあったが、犬の体格のところに『かなり大型(ただし今は痩せているかも)。』と書いてあった。見つかったのか.....?
そこで夜までやって、その後水谷さんや鬼頭くんと合流して打ち合わせ。
前日の吐き気がやっとおさまったので、1日おとなしくして、あまり食べないようにしていた。
お腹がすいた。
1月3日(木)
大雪の名古屋へ帰郷。
17cmも積もったのは41年ぶりとかで、ということは、私が生きている中で一番雪が積もったということ?そうだったかな....。なんかそういうわれると、このぐらいの雪が積もったことぐらい過去に結構あったような気もするけど、それはきっと10cmぐらいだったんだろう。高校生の頃は玄関を出たところですってーんとマンガのように転んで、向かいのバス停に並んでいた人達に思いっきり笑われた。
今年は気をつけよう。
が、夜になって突然の吐き気。乗り物酔い?食あたり?えび食べ過ぎたか?といろいろ憶測が飛び交う中、結局朝の5時頃までトイレと布団を行ったり来たりしてぐったり。胃の中からっぽなのに気持ち悪いのがおさまらないのって本当につらい。
12月31日(月)1月1日(火)
大晦日。そしてもう2002年、1月1日。
あけましておめでとうございます。
さっき近所へ初もうで行っておみくじひいたら凶でした。ショック。また引きにいくしかない。
でも気をつけよう、この1年。しかし早いな〜、1年。
ここ2〜3年は旅先でお正月ということがなくなったけど、子供の頃は親とのお休みが合うのはお盆とお正月ぐらいだったので、毎年お正月はスキーに行っていた。その道中は8時間ほどもかかるので、車の中でカセットテープレコーダーを持ち込んで『おなら採集』やったりした。採集の対象はうちの両親と、一緒に行ったいとこ、それから私。出そうになると、『あ〜出る出る、し〜〜〜っ』『.........ポコッ』なんて。そのカセットが残っていたら、どんなによかったことか。今はもうどこかへ行ってしまった。
さて、2002年、どういこうかな。
欲張りすぎないように、自分のすべきことをして、いるべき場所に身を置いて、元気にすごそうと思います。
近くのこの人、遠くのあの人、みんなに手紙を書くような気分で歌をうたいます。

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