忘れ物はないね?日記
2001.8.1〜8.10

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8月10日(金)

自転車で郵便局まで行く途中、道ばたに青いイガイガがたくさん転がっていた。
周囲はセミの鳴き声がカーテンみたいになって、気が遠くなりそうな感じ。
で、そのイガイガのことが行く道ですごく気になったので、帰りも同じ道を通り、自転車を
止めて、じっくりそのイガイガを見ていた。コレって栗?こんなにいっぱい?うそぉ〜?
そんなわけないよね。だってこんな町ん中で栗拾いできるの?で、ゆでたら食べれるの?
なんて思いながらマジマジと見るんだけど、見れば見る程やっぱり栗。う〜ん.....。

とそこへ、タモを持った小学生低学年の一団が走ってきた。で、私は町の子なんてイガに
入った栗なんて見たことないんじゃないか、と思って、心の中で『セミもいいけど、ほら、
これ、栗だよ栗(たぶん)。本物の栗っていうのはね、こういうふうにイガイガに入って
なってるんだよ、あ、でもほんとにコレ栗?だよね?』などと一人でぶつぶつつぶやいていた。
すると、その中の子がいきなり『あ〜●☆ちゃん!そこ気をつけたほうがいいよー、栗が落
ちてくるからーっ!痛いからやだー!』って言ったのでびっくりした(私が勝手に)。
小学生、ナメてた。栗の感動ひとつもなし。ホラゆでたらあんなにおいしいのに。それが
こんなとこで拾えるんだよ?どうなのよ?栗拾いよ?なんかよくない?よくないか...。
いつも思うんだけど、よく庭にザボンや夏みかんの木がある家ってありますよね。道路から
パッととれちゃいそうなところにボッコボッコなってる。あれって、みんな家の人は食べな
いの?私は高校生の頃、毎年毎年3学期になると、体育の時間はマラソン大会にむけての練習
一色になって、学校のまわりのコースを何周も走らされるんだけど、その途中にキンカンが
たわわに実ってる家があって、いっつもそこを通るたびにキンカンをブチッブチッとちぎって
食べていました。でもそれがバレて、学校に苦情が来て、『亀の子(その学校の近所をまわ
るコースのことをそう呼んでいた。地名ではなかったと思う。)を走る時に、近所のおうち
のキンカンをちぎって食べるひとがいます(断言)
。そういうことは絶対しないように。』と
朝礼で言われた。ま、まちがいなくそれは私のことだったと思うけど、じゃあ、そこん家の
ひと、キンカン食べるんだね?ちゃんと食べるんだね?食べもしないのに、そんなこと言わな
くたっていいじゃん!と当時は思いました。自分のこと棚にあげて。でも、たぶん食べてた
形跡はない。キンカンせっかくおいしいのに。それと同じように、庭に夏みかんや柿や栗が
たわわに実っても、あんまりみんな食べないんじゃないですか?ぜひ食べてほしいものです。
すごくよけいなお世話だと思いますが、自分ちで食べきれないならご近所にもあげる、とかね。
無造作にころがる栗(たぶん)。


8月9日(木)

偶然に偶然が重なると昨日の日記のようなことになるんですが、タイミングが悪い時に
限って、タイミングが悪いこと、すなわちバッドタイミングが重なる時ってのもありますね。
私の場合、それもまたまた車に乗ってる時が多くて困ったものです。
私ってば短いドライバー歴ですが、その間に
脱輪を2回しております。しかも2回とも
右の前輪。一度は早朝のお墓で。この時はビデオかなんかの撮影をしていました。別に、
お墓でやってたわけじゃなくて、単に、「近道〜♪」と思ってお墓の中の一本道を通っただ
けだったんですが、その道が行けば行くほど先すぼまりになって行ってしまい、とうとう、
自転車一台通るのがやっと、というぐらいの細い道になってしまって、おまけにその先には
道からにょきにょきと「ここから先車禁止!」みたいな棒が生えてる。もう戻るしかないん
だけど、切り返す道幅はまったくない。バックしかない。両脇は一段低くなった墓地。で、
ゆるゆるとバックして、ようやく細い四ツ辻(でも田の字に例えると真ん中の十字が道、あ
とはやはり、一段ひくくなった墓地)みたいなとこまで来たので、ちょっと余裕になって、
切り返しをしようと左にお尻をふった。そして左後方をすぐ脇のお墓石にぶつけてしまった。
『あわわわ』と思った瞬間、右前輪まるまる一個きれいに脱輪。早朝6時。
仕方なく近くで工事を始めようとしていた作業員の方々に泣きついて、あげてもらった。
お墓にも謝った。
作業員の方々にはお礼として、朝ごはん代を受け取ってもらった。御迷惑おかけしました。

そして本当のバッドタイミング脱輪はこれからです。
一回目の脱輪の話は家族に黙っていた私は、それから数カ月してまたやってしまった。
その時は昼下がりの住宅街のはずれのガラス工場があった跡地、やはりなんかの撮影をして
いた。で、そこに居たのは、私と、監督兼カメラマンのUさん。で、1時間後に私の友達が

助っ人として合流することになっており、ある場所まで迎えにいくことになっていた。
で、その日私はなぜか朝からツイてなくて、まず坂道で転んで手のひらをすりむいた。
で、その傷をかばってハンドルを握っていたために甚だしく右にコースをはずれ、あっと思
った時にはズサササーッとジェットコースターのように右の草むらにつっこんでいた。
またもや右前輪まるまる一個きれいに脱輪。ひゃーっと思った私はす
ぐさまJAFに電話をしたのだけれど、混み合っているらしく、「みんな出払ってるから1
時間半か2時間ぐらい待ってもらわんといかんね!」と電話に出たひともえらく口調が荒い。
しかしよく聞いてみると、「1時間半から2時間ぐらい待ってもらうと思うけど、ひょっ
として早く現場に着くかもしれんから、その時にアンタが車から離れておられては困る!」
と言う。ということは最高2時間ぐらいまでいつ来てくれるかわからないJAFを待って、
ここにずっと居なければいけない、ということでしょう?この厳密な場所を説明すれば
するほど怪しまれるガラス工場の跡地に。でもまあしょうがない、待ちましょう。ところ
が、問題は1時間後にお手伝いで合流するしてくれることになっている友達の件です。
そうだ、確か、私の時計も遅れてて時間めちゃくちゃで、待ち合わせの時間過ぎてたんだ。
ほんとなんちゅうタイミングの悪さ。しかしとにかく迎えに行かなきゃ。でも......
友達はここの場所を知らない。当時はケイタイなんてまだ誰も持ってない。監督のUさんが
迎えに行こうにもお互い顔を知らない。ではUさんが残ってJAFを待ち、私がUさんの車で
友達を迎えに.....と言うと、Uさんは、とんでもない、自分の車を私に運転され
るくらいなら、胸に赤いバラを刺して見知らぬ友達を迎えに
行ったほうがマシだ
、というようなことを言うので、結局私がJAFを待ち、Uさん
には似顔絵をもって友達を迎えに行ってもらった。
で、ガラス工場跡に傾いた車と残された私。手のひらは血が乾いてよごれており、トイレ
も行きたくなってきた。近くにコンビニはなかったけど、どうせすぐには来ないだろう、と
思って少し離れた所までコンビニをさがして歩いていき、トイレを借り手を洗い、何か買
わなきゃ、と思ってアイスを買った。それをなめながら、車までの道を歩いていると、
後ろからすごい勢いでJAFの車が大音響で演歌をかけながら追い抜いて行った。
『ア!あれあそこ曲がってった!絶対あれって、私の車のとこへ行くんだ!』と直感した
私は、とっさにさっきの電話で怒っていたおじさんの事を思い出し、『車にいろって言わ
れたのに居なくて、おまけにこんなアイスをペロペロしながら車に戻った
んでは
すんごく怒られるのではないか!!』と思ってしまった。
で、私はまだ一口しかかじってなかったアイスを泣く泣くゴミ箱へ。それから猛ダッシュ
で車へ戻ると、頭ごなしにおじさんに怒られ、挙げ句の果てには『こんな脱輪の
仕方をする子は車の運転する資格なんてない!』
と言われた。
で、泣きそうになりながら、おじさんに引っぱってもらって、脱出。
すると、おじさんはなんにも言わないでサッサとロープを片付け、再び演歌のテープを大
音響でONにし、ぐおおおーっと行ってしまった。ぽつーん。しょぼーん。
その2日後、家で母と祖母が叔母が脱輪をしたらしい話をしており、『そうなのよ
あの子、また脱輪したんだって』『へえ、あほやな』の部分のみを耳にはさんだ私は「うそ!
もうバレてる!しかもこの前のやつもバレてる!」と思い、照れ笑いしながら『え〜、なん
で知ってんの〜?』と聞いてしまい、......バレた。アホや、わいはアホや。
私はこの一連の出来事の間にたぶん3年分ぐらい(中途半端)の後悔をしたと思う。
お墓の中の道なんて近道じゃなかったんだ、おとなしく最後までバックで戻っとけばよかった、
坂道で走るんじゃなかった、手が痛くてもちゃんとハンドル握ればよかった、トイレぐらい
我慢すればよかった、アイス買うんじゃなかった、捨てて悪かった、確かに私なんて免許とら
なきゃよかった、祖母と母の話を最後まで聞くんだった、ああ〜、みなさん、タイミングは
悪いとどんどん『悪い』が襲って来ます。気をつけましょう。私が一番気をつけましょう。

8月8日(水)

ロス珍で、たまたま行った古本屋さんにずっと探し続けていた(当然アメリカでも珍しい)
本が偶然あったことを書きました。

私はこの他にも今までに何度か、かなり『えっ??』と思うような「偶然のイタズラ」の
餌食になっていますが、その一つは以前日記にも書いた「病院の待ち合い室で偶然にも
『加藤千晶』という名前の人と二人っきり」事件です。
そして、まだあるのです。まさに偶然が偶然を呼び続けた嘘みたいな話。
その日、私は当時やっていた少年王者館という団体の公演の稽古で、その日初めて借りるこ
とになっていたスタジオへ車で向かっていました。でもそこのスタジオの住所というのは
聞いてなくて、そこまでの地図と、電話番号とスタジオの名前を持っていたのですが、私は
甚だしい方向音痴なので、大体初めての所はどんなに詳しい地図があってもまず一回では行
けないのです。そこで、私は近くまで行ったところで場所を聞こうとスタジオへ電話をかけ
ました。すると、『ハイ、○×★です。』と先方が出た。「あの、今日そちらお借りするこ
とになっております少年王者館の者ですが、」
『はあ....』
「で、ちょっと場所を教えていただきたいのです。今〜〜〜の交差点にいるんですが。」と私。
『え?えぇ〜〜っと....それはちょっとまだ遠いですねえ。えっと、そこからまっすぐ
15分
ぐらい走っていただくと○○っていう交差点がありますから、そこを左折して、そこから2本
目を..........(中略)........と、電話ボックスがありますから、そこの脇です。』と先方。
私はまだ遠いんだ、と思ってちょっと不思議な気もしたんですが、まあ、それはその人が言う
うんだから、と疑いもしなかった。それで、
「あの〜、ちなみにうちの者は誰かもうそちらに到着してますでしょうか?」と聞くと、
先方はなぜかすごくハテナマークな様子で『え?おつれさまですか...?ええっと...さあ..?』
というのだ。だから仕方なく私もその人は事情のわからないスタッフだと思って、「じゃあ、
もし誰か着きましたら、加藤が少し遅れると伝えてください。」とお願いして、電話を切った。
さて、私はその教えられた通りの道を走った。目指す交差点も曲がり、そこから2本目の道を
行き、目印の電話ボックスも3メートル先にちゃんとある。なのに、スタジオはないのです。
電話ボックスの脇って言ったらココか、もしくはこっち側の脇でしょう?百歩譲って通りの反
対側ってとこだ。でも通りの反対どころか、向こう6軒ぐらい両隣りのまた隣の向いもナナメも
裏までまわりこんで見ても、そんなスタジオどこにもない。恐くなって私はもう一度電話した。
『ハイ、○×★です。』
「あの〜、何度もすいません。今さっき言われた電話ボックスのところにいるんですが、え
えっと、どうしてもまだ場所がわかんないんです。」
すると、電話の主の人は突然、『じゃあ、そのまま受話器を持って走って来た方向見ててくだ
さい。』と言う。で、返事をする間もなく、いきなり私の車の約5メートルほど前の車道に人が
飛び出て来て、大きく手を『ココ、ココ、』とやった。私が驚いていると、先程の電話から
『モシモシ、今見えましたあ?そこです。お待ちしております。』と再び声が聞こえてきた。
私はおかしいやらびっくりするやらでしたが、とにかく電話を切り、目をこらしてさっき人が
飛び出て来た所へ行ってみると、なんとスタジオと同じ名前のビデオレンタル屋。
私はずっと、ここのお店の人とお話しをしていたのです。まず名前が同じ、そして『そちら...
借りる....』なんていう用件もへんに通じてしまったから、話しがこうなってしまったのです。
どおりで不思議そうだったわけだ。そうだよね、だって向こうにしてみれば、「うちの者そち
らに着いてるか?」なんて聞かれたら、『ええーっ、そんなにみんなで示し合わせてビデオ借
りに来るのー?』って思うよなー、しかも『加藤が遅刻するって伝えてくれ』って言われても
........。で、極めつけは、店の前まで来てまだ「場所わかんない」って電話してくるし、もう向
こうにしてみれば変な客この上ない。それなのに、あんな丁寧に案内してくれて、まったく頭が

下がる思いでした。しかーし、私は....どのツラ下げてそのビデオ屋に入れと?さんざん案内させ
といて、根本的にまちがいでした?しかもすでに名乗ってる。例えビデオ借りたってそんなん
いつ返しに来られるの?という自問自答をした後、結局素通り。ごめん!お兄さんあの時はすい
ません!
でも、その時の私は本当のスタジオがどこなのかまたわからなくなって、もう泣きそうだった。
それで仕方なくもう一度地図を見直してそっちに向かっている途中でスタッフから電話が。
なんと、私に教えた番号1ケタ違ってたわ〜、間違えてかけてくるといけないと思って〜って。
そうなの!違ってたの!もう間違い終わったの!ってことで、やっとの思いでスタジオに行った。
しかしそれにしても数々の偶然の苦難を乗り越えて、よく到着したものだ、と自分でも思います。
神隠しにあったのかと思ったもん。っていうか、いい加減気がつけよ、私!って感じ。
いや、
ほんとうに遠かった。夏の思い出。
あれ?右側通行...。ほんとはもっとドラマチックだった。

8月7日(火)

うちには柱時計があります。
もちろん正真正銘の昔、祖母の家にあったやつです。当然手巻きです。
ボーンボーン、はそっちのネジが錆びついてから鳴りません。だから何時になっても静か
です。たまに少し遅れます。この時計は私が実家にいた頃からずっと使っているものですが、
その柱時計のある部屋に、他にも別の時計を置くと、途端にスネて、何も触らないのに、
柱時計は動かなくなります。ネジを巻いて振り子を振って動かしても、1分ぐらい経つと
知らない間に止まっています。「アンタしか頼る人いないんだかんね!止まっちゃ困るん
だかんね!」という立ち場に追い込むと張り切って動いているようです。
これは永年一緒に暮らしていて、大変不思議なことのひとつです。
だから、今の部屋にも、この柱時計を持って来てからは他の時計は置いていません。
しかし柱時計だからいくぶんアバウトで、毎日一分一秒の時間と争って家を出たりしなけ
ればならない人には不向きです。それから慣れない人は、カチコチうるさい、と言います。
でも私はこの柱時計が大好きです。「大きなのっぽの古時計」を3番まで唄うと泣けてきます。
たまに、すごく暑い夏の日に、この道をこうやって歩いている自分って一体何だろう?と
思ったりする時、今の今から現象はすべて過去になっている、という当たり前のことが不思
議で不思議でたまらなくなります。
コチ、コチ、という時計の音を聴いていたら、そうか、すべては思い出だったのか、と気が
ついたような、ついてないような、少し心細いような変な気持ちになりました。
今日は立秋です。茄子を食べました。
犬はフィクションです。


8月6日(月)

例えばね、例えばですよ、「痴漢にあったりなんかしたら、『ちょっとーぅ!アンタなんか
がアタシにさわろうなんて100年早いのよ!バッカじゃないの!』なんて言ってやるのに!」

とか、「イタズラ電話がかかって来たりしたら『あら、ナカジマさんのおじいちゃん?いまお
ばあちゃんとかわるね?』なんて言ってみたら相手はどうするだろう?」とか、「想像はいくら
でもできるのに、いざその場面になるととっさにそうはできない行動、言えない言葉」っていろ
いろありますねえ?
で、私の中では「混んでるレストランで、順番待ちの際名前を聞かれたら嘘の名前を言ってみる」
というのもそういったひとつだったんですね。あれって、別にそれが私だということに自分
ですれば、別に『加藤』じゃなくたっていいじゃん?と思ってはみても、なかなか人って、嘘は
つけないもんで、実際にそれを実行する勇気ってそうそう出るもんじゃない。
が、ある時、すごーく退屈だったんで、勇気を出してやってみた。『お客さま、お席が準備でき
ましたらお呼びしますので、お名前を....』と聞かれ、よし、今だ!と思い『トトリキです。』
と言ってみた。まだ東京の地名で『等々力』っていうところの読み方がわからずに、『コレって
なんて読むんだろう?トトリキ?』なんて話してたからとっさにそれを言ってみたんだけど、お
店の人は『は?ト...?』と聞き返してきた。そこでもう一度『トトリキです。』。
さーあ、もうこれで私は『トトリキさん』だぞー。なんて思って、待っていると、しばらくして、

『3名様でお越しのト....ト..トリキさまぁ....』と呼ばれた。なんとなくまわりのお客さんも『変な
苗字....』っていう顔で見てる。
すっごく暗い遊びといえば暗い遊びですが、あ〜、一度本当にやってみて気がすんだ。
言ってみれば日常の中にさりげなく組み込まれた虚構、っていうんですか、なんか寺山修司氏あた
りが考えてそうな、日常の
中の演劇性っつうかね。な〜んてぜんっぜんそういうことじゃないんだ
けどね。あはは。ただトトリキさんが自分でおかしかっただけ。
トトリキさん一行。


8月5日(日)

きのうに引き続きひきこもり。私って、どうもエネルギーの使い方のバランスがとれない
ようです。というより、完璧に短距離走型。瞬発力しかないみたい。
今日は近所で盆踊り大会をやっていて、ずっと太鼓の音がしていたから、元気が出たら見に
行こうと思ってたのに、結局家から出ずに終わった。しかし、気をつけて聴いていたところ、
やっぱり『東京音頭』を何回も何回もくり返しやってたようです。ずっと。
それはそうと、うちから少し行ったところにある踏み切りで、棒が片方固定でナナメに下り
てくるタイプのスタンダードな踏み切りではなくて、棒が地面に水平のまま上がったり下がっ
たりするタイプの所があるんですが、いつもその踏み切りは『閉まる』の時に中途半端な高さ
まで下りて、人がみんな渡り終わるのを待ってるので、常々不思議だなあ、と思っていました。
センサーで人が通るのを感知してるんだとしたら、電車が来ても人が通って来たら下りないこと
になっちゃって困るし、と思って、『きっと手動なんだ』なんて勝手に思っていたのです。踏み
切りの棒に黄色と黒のピラピラした短冊みたいなのもついてるから、きっと最初の第一段階である
程度の所まで自動で下りて、そこから下までは、最後に渡った人が引っぱって下ろすことになって
るんだろう、と思ってた。で、たまにそこの踏み切りを通る時は(私は車でしか通らないんだけど)
この通行人の中の誰が最後の『ひと引き』の役をするのか、を見極めようと最後に渡るっぽい人を
目で追うんだけど、いつもよくわからないうちに、ちょうどいいタイミングで下まで下りる。『あ
れ?今誰が下ろしたんだろう?あっち側のひと?』なんて思ってるうちに終わっちゃう。
しかし、その謎がやっと解けた。それは踏み切りの脇に『踏み切り上げ下ろしボックス』みたいな
小さい小屋があったんだね。そこで係りの人がぐるぐるなんかをまわして踏み切りを上げ下ろし
しているんだった。気が付いてみると、当たり前っていうか、それが普通だよな、っていうか。
な〜ぁんだ。そうだったのか。そうだよね、最後の人が引っぱって踏み切り自分で下ろしちゃ、
踏み切りの意味ないじゃん。だからあんなに人の動きに合わせて下りたり止まったり、また下り
たり自由自在だったわけだ。まあ、手動だと睨んだところは当たってたね。
しかし、そうと分かると、今度はその『踏み切り上げ下ろし係』の人はそうとう大変だよなあ、と
思えてくる。交代制だとしても、一日何回ぐるぐるぐるぐるやるのか。筋肉もつくでしょう。肩だ
って痛めてしまうかも。世の中にはほんとうにいろいろな職業があって、其の道其の道のプロ、と
いうのはなんでも素晴らしい。その人ももしかしたら『踏み切り閉めて20年』みたいなドラマが

あるのかもしれないし。ね?



8月4日(土)

なんとなくっていうか、一気にバテが来て、これはイカン!と夏バテによいときくゴーヤ
をチャンプルーにして食べたりしてみた。ゴーヤっていうのは、琉球言葉なんですよねえ?

私は小学生の時、近所にご両親が奄美大島出身という友達が住んでいたので、『方言調べ』
というのを自由研究にやった。研究とは名ばかりの、ただ思い付いた言葉を『****のこと
はなんて言うんですか?』なんてその子のお父さんに聞いて、それを表にまとめただけのも
のすごーく単純なものだったと思う。今となってはあんまり覚えてないんだけど、確か『キャ
ベツ』のことは『たまな』っていうんだったと思う。いろいろある言葉の中からなんで『キャ
ベツ』を聞いたのかは不明。しかも今なんでそれだけ覚えているかも不明。ほかには、『島
に遊びに来て下さい。』というのは『島かちあっぷがこぉよ。』だった。たぶん。そんなこ
んなをB紙にでっかく表にして、提出したんだった。
夏休みの自由研究は、私たちの小学校は『研究』か『工作』かどっちか好きなほうをやれば
よかった。だからまた別の年には、ウィスキーの瓶に、道に生えてる数珠玉(っていう草)を

糸に通したやつを巻き付けて、『カバサ(知ってる人も多いと思うけど、パーカッションの
楽器ね)』を作ったこともあった。あと、陶芸教室へ行って、結構凝ったデザインの小物入
れを作って(葡萄の実や葉っぱを一つ一つ作ってくっつけたりして、自分では洒落たつもり)、
提出した後、母にプレゼントしたこともあったが、それはいつの間にか父の灰皿にされており、
ショックをうけたこともあった。大体そういう子供が手作りしてくれたやつって、親にしてみ
れば『宝』とかじゃないのー??小物入れだって言ってんだから指輪の一個ぐらい入れといて
くれるもんじゃないのー??ねえ?しかもこの間実家へ帰ったら、『アンタこれもって行きな
よ。』とソレを押し付けられた。ヒドイ。でも私もいらなかったんで、断りました。
しかし実家へ帰って机の引き出しなんかを開ける度、ヘンなものが出て来て閉口する。
この間なんて、箱の中に『クサカゲロウ』の死骸がビンに入れてしまってあって、驚いた。
まあうすーい草色で羽なんてほんとにキレイなんだけど、なにも虫の死骸とっとかなくても
ねえ?私。しかもとっといたこと忘れてるし。ほかにもめっっっっっちゃくちゃくだらんクズ
のようなものがたくさんある。それらは捨てるべきか?




8月3日(金)

昨日のライヴ、いやー、ほんとに楽しかったです。
お越しくださったみなさま、改めてお礼申しあげます。
そして素晴らしいサポートをしてくださったミュージシャンの方々、MANDA-LA2の
スタッフの方々、いつもながらどうもありがとうございました。
また次回ももっと楽しいライヴをお届けできるようにしたいと思っておりますです。
とりあえず昨日の曲目書いておきましょう。

メンバー*夏秋文尚(per.),関島岳郎(tuba),棚谷祐一(org.,acc),鳥羽修(A.G),
加藤千晶(pf.,gl,vo),guest*ROM(Theremin)


1.今はいつ
2.南雲通り交差点
3.チュウインガムと私
4.燦々午後
5.君とぼく
6.ライジングサン
7.ヒネコッタコマメパン
8.犬とならんで
9.はにかみながら
10.カナブン
11.留守番ライス
12.誰そ彼のうた
13.あじさいの人
14.棒がいっぽん

アンコール(をいただきました).見上げる空に手をあげて

という感じです。
さてそれで今日は、というと、いやーーーーー寝ました。みなさんのアンケートなどを
かたわらに、ひたすら眠りましたです。外に一歩も出ていないどころか、家の中でさえ
全部歩いてないんではないか?というほどです。
ほんとはやんなきゃいけないことあるんだけどね.....。ごめんなさい。



8月1日(水)

いやあ、もう8月ですってね。8月っていえば、もうめっちゃくちゃ夏じゃないですか。
入道雲もくもくー!かき氷シャカシャカー!ラジオ体操行けてねー!日記書けてねー!
てなとこでしょうか。
私は明日のライヴに向けて、準備が準備を呼んでおり、日記もこんなふうにしてお茶を
濁しておるわけです。
『おお、そうだろうともよ。』とうなずいて下さっている方、またそうでもない方、いろ
いろおられることと思うのですが、まあ、今日はそういう日か、などと思っていただければ
幸いです。
それではみなさま、よい夢を。
吉祥寺でお会いしましょう。




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