忘れ物はないね?日記2001.6.11〜.17

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6月17日(日)

とうとう向井さんが乗り込んだスペースシャトルの打ち上げが明日に迫った。
ここんとこ何をやっていても、続きが気になってしょうがない向井万起男さんの本がとうとう佳境に
はいったわけ。もとはといえば、向井千秋さんが文字は違えど同じ名前、というだけの理由で読み出
した本だったが、これほど面白いとは...。この夫婦は向井千秋さんも千秋さんだが、夫の万起男さん
も万起男さんだ、と凡人の私はただ感心するやら笑えるやらの、いろんな意味でスゴイ二人だ。そして、
スバラシイ夫婦であると思う。宇宙飛行士のふだんの様子や、ベールに包まれているNASAの様子、
スペースシャトル打ち上げまでの記録などから向井さん夫婦の出会いから結婚にいたるまで、といっ
たさまざまな事柄がどばーっとぶっちゃけられているところがまたよい。まあ、私も宇宙飛行士ほど
の頭脳、体力、度胸はないが、『わたしもやるかな』という気持ちになる。単純。
ところで、今、私はそら豆をゆでることに凝っている。
そら豆はさやが空にむかってなることから『そら豆』というらしい、と知って、なおさらそら豆が
好きになってしまった。なんかそういう雰囲気なのに、中からあんなかわいい形の実が出て来て、
なんともかわいいじゃありませんか。
しかしながら、あのかわいいそら豆を色よく、しわが寄らずに、しかも絶妙の塩加減と堅さでゆで
あげる、というのはなかなか難しいものですよ。しかも、買ってくるのは、よくスーパーでパック
されて売っているむいてある豆じゃいけません。ちゃんとさやにおさまって、パッキと割ると分厚
いジュータンみたいなのにほっこりくるまれているのを取り出すところからやんなくちゃいけませ
ん。そのほうが鮮度が保たれていて美味しいのです。
このさやつきのがなかなかないので、まだたまにしかそら豆をゆでることができません。
おとといはちょっとやわらかすぎ、今日はおとといよりは堅くゆでられたけど、塩があまりきいて
ない。やはり、豆のコンディションによってもゆであがりがちがうのです。
今日はほかにもとうもろこしもゆでました。こちらは抜群によくゆだった。あまーいともろこしで
大変おいしかった。梅雨時のあお空にそら豆ととうもろこしはよく似合っている気がしました。

6月17日(日)

最近になって、曲を作っている合間に、ヒョッと昔の曲ネタ集を聴いてみようという気になり、
ザボンドボンというバンドをやっていた頃に曲の切れ端をためていたカセットをさがして、聴き直
してみる。
私は昔、インストバンドをやっていて、その頃はちゃんとしたライブハウスで演奏したことがない
どころか、ちゃんとしたスタジオでリハをしたこともなかった。
本番はもっぱら知り合いのギャラリーや、お店、倉庫、など。そしてリハ、というより練習はメンバー
の家や、家の物置きなど。さらに、曲はすべて私が作っていたが、本番当日になって一曲新曲ふえた、
みたいなことも平気でやっていた。
しかしなぜかメンバーはイヤな顔もせず、今にして思えばよくつきあってくれたなあ、と思う。
で問題のネタテープを聴いてみると、ザボンドボンで唯一CDに記録のある『ヒネコッタコマメパン』
の元ネタや、現在私のソロの1stアルバムに収まっている『よわいウルトラマン』の元ネタなどが、
今聴いたらひっくりかえるようなひっちゃかめっちゃかさで入っていた。
この
『ヒネコッタコマメパン』を作った頃は、当時私が働いていた(私は20歳から24歳まで、ある
広告関連団体の事務所でおじいさんと二人っきり、という環境で働いていた。これも今から思えばか
なり特殊な状況ですが、まあこの話はまた今度。)事務所で、お休みの日に勝手にバンドの練習をし
たりしていました。
そして、バンドと平行して、私がすごーーーくはまっていたことがもうひとつありました。
それはパン作りです。それも、独自のレシピによる独自のパンを、せっせ、せっせと生地をこね、私
は毎日のように焼いていたのです。
しかしその頃私の家では、私が懲りもせず次から次へとパンを焼き、しかもそれがあまり食べるのに
適さないマズいパンばかり(フランスパンも一度、ぴったりレシピ通りにやってみたが、これはどこ
でまちがったのか、すりこぎみたいな、または武器にでもなりそうな『カチンカチンの棒』になって
しまったので、正当派のパンはそこでやめた。)なので、私のパン作りがちょっとした問題になって
いた。で、私はなんとか家の人の目に触れないところで独創的なパンを焼ける場所はないかと考えた
のです。すると、よい場所があるではありませんか。そうです、事務所でやればよいのです。都合の
よいことにレンジもあるのです。
というわけで、私はお休みの日に事務所でバンドの練習もする、そして時にはパンも焼く。パンを作
る時には机や書類に粉が飛び散って証拠が残ったりしないよう細心の注意を払ったものです。
で、長くなりましたが、その実験パンのひとつに、生地にレーズンではなく、ひよこ豆やうずら豆を
入れてみてはどうか!と思いついて焼いてみたものがありました。やはりそれはすっごく失敗でした。
しかし、それがヒネコッタコマメパンと名付けられ、のちに曲ができあがりました。
いやはや、曲ができる瞬間とは、なんという謎に満ちたものなのでしょうか。
言ってみれば、このひっちゃかめっちゃかさ加減が、私の出発の原点でもあり、未だ自分でもその
正体をつかめないでいる『わけのわからない情熱』なのかもしれません。

6月16日(土)

忙しい一日。
にもかかわらず今、私は宇宙飛行士の向井千秋さんの夫の向井万起男さんが書いた本を読んでいる。
『君についていこう』というちょっと恥ずかしいようなタイトルなんだけど、自分の奥さんがスペース
シャトルに乗って宇宙へ行く、という普通の人ではまずあまりできない(しかも長期に渡る)体験を
等身大の目線からつづった記録。まあ細かい説明は省きますが、あまりに面白くて、今ちょうど下巻
の打ち上げ2週間前の時点まで読み進んでいてもう読むのがやめられない。
ちょっとの暇にも読んでしまう。あんまり私が読むので、ついに、CーNーションのOちゃんに中身を
みうらじゅんの名著『見仏記』にすり替えられる、といういたずらまでされる始末でした。びっくり
したー、もうー、『さ、続き続き...』と気分は完璧にスペースシャトルに乗り込んでページをめくっ
たら、仏像の絵が出て来るんだもん。『えぇーーーー?!』って思いました。いたずらでよかった。
で、それはともかく、今私が読み進んで来ている段階では、スペースシャトルの乗り組み員はシャト
ルがいろいろな段階の時に緊急事態が起きることを想定して、その段階ごとの脱出の仕方を何度も訓練
するのですが、その中で、『スペースシャトルが打ち上げられてから2分以内の
(この段階はまだこの後
切り離されることになる固定燃料ロケットブースターも切り離されていないので一番危険だそうである)
段階で緊急事態が起きて脱出する』という訓練をするくだりがある。そこを読むと、この場合はまず
脱出口のフタを爆破し、とにかくいちかばちかで全員が急いで外に出る。
ほかの段階での緊急脱出法にはいろいろと手順や脱出機具なども使うのに、この打ち上げ直後に緊急脱出
しなければならない状況になった場合はもう手順とか、そういった余裕はないらしいのである。
だからその為には緻密に、その時のそれぞれの役目を決めておかなければいけない。
で、その際機長が乗り組み員(たとえばトーマス)に『ふたを爆破するよう』指示する→でも万一交信回線
が故障していたらどうすのだ→その場合は別の乗り組み員(マークだとする)人が機長からの指示を直接
トーマスに伝える
→が、電気系がやられていてシャトル内が真っ暗になってしまうかもしれない→しかし、
それでもマークは必死だろうから、なんとか這ってでも指示を伝えに行こうとするだろう→そうしたら
きっと階段ぐらいは踏み外して転ぶだろう→すると、ドスン!という音がするにちがいない→それが爆破の
合図だ!
という具合に延々と『万一』についての非常に細かい第一段階、第二段階、が決められていくのである。
ここで、私は以前ドイツに行った時、同じことをしたのを思い出した。
日記にも書いたがパンの人と一緒に行ったドイツ旅行のことだ。ドイツへは何のツアーでもなく、まったく
のフリーで行ったのですが、友達は名古屋空港から、私は成田から、ということで、本当は成田で待ち合わ
せをしたかったのに、ちょうどいい便がなく『香港で待ち合わせ』をするというはめになってしまった。
つまり、私は成田から香港で乗り継ぎフランクフルトへ、友達は名古屋から香港で乗り継ぎフランクフルト
へ行く。その途中で落合いましょう、ということだ。香港の空港へは一度も行ったことないし、ましてそこ
からドイツ行きの空路に旅立ったこともない。お互いひとりぽっち。待ち合わせなんてできるのか?
という子羊のむき出しの心臓のような状態で、私たちは第5段階ぐらいまで待ち合わせをつくった。
1.(時間は忘れたので仮)16:00、
先に到着する予定の友達が私の到着出口へ来る。
→そこで万一会えなかったら、2. 16:15、友達は自分の到着した出口へ戻る(私はそこへ行く)。
→そこでも会えなかったら、3. 16:30、乗り継ぎの手続きのところで待つ。→そこでも会えない場合は
4. 塔乗口のところで17:00に。→それでもダメなら、5. 飛行機の中で。→万一、そこでも会えなか
ったら、ドイツの飛行機をおりる時一番最後まで残る。
という感じでした。まあ、たかが香港での待ち合わせと、スペースシャトルの一番危険な段階での緊急脱出
とを同じにするのは何だと思いますが、私がいいたかったのは、人間の考えることはどこの国でもどういう
状況でも、意外と似ているのだな、ということです。
ちなみに私たちはあっさり第一待ち合わせで会うことができよかったのでした。

6月15日(金)

南青山マンダラへ水谷紹さんのライブを見に行く。
水谷さんのソロを見たのは今日が初めて。実は名古屋にいた頃から私は水谷さんの、水谷さんは
水谷さんで、当時少年王者館というところで役者をしている人...?というぼんやりとした噂は耳に
していたものの、ちゃんとお知り合いになったのは最近なのである。ライブは笑いあり、しゃべり
あり(?)で、とても楽しいものでした。終わって水谷さんとも少しお話し、栗Qの川口さんにも
出会い、バリ島のおみやげ(バリの塩)をいただき、ラーメンなどを食べて帰宅。
で、実はライブの前に代々木にあるかこさとし専門書店へ行ったのです。
しかし、私はそこへ行くのにちょっとした心配があったのです。それは『もしそのお店でアルバイ
トなんて募集していたらどうしよう』ということです。たぶんそんな貼り紙のひとつでもしてあろ
うものなら、私はたぶんその場で応募してしまうことでしょう。
でも、単にそこでしか買えないかこさとし先生の本を買いたいのなら、そこで買えばよい。それに、
私は『かこさとしの作品ならなんでもよい』というコレクターではなくて、あくまで『絵が中心に
なっているかこ作品が好き』なのだから、そこまで目の色を変えることもない。
では、かこさとし御本人に会いたいのか、というと、それは会ってみたいことはみたいが別に勝手に
尊敬してるだけなので、とにかくかこ先生!というミーハー的趣味もない。
なら別にアルバイトにまで応募しなくてもよいではないか?と思えるのですが、それは違うのです。
私がアルバイトの応募をしてまでその店にいたい理由、それは、そこには(もちろん非売品の)かこ
さとし先生の原画があるからです。かこさとしの絵のナマがある。→店員になればその店は私の部屋
も同然。→ということはかこ原画も私のものも同然。→ならば店員になるしかあるまい。
という浅はかな考えがどうしても脳裏に浮かんでは消えるのです。
などとうじうじ悩みながらそのお店に行きました。が、(当然だけど)アルバイト募集の貼り紙など
はどこにもなかった。あーよかった、なくて。
おまけにやっぱり、かこ作品は数が多すぎる上に絶版になっているものも多いので、そのお店ですら
私のさがしている本はあまり揃ってはいなかったのでした。が、それでも数冊購入し、とりあえず満足。
今日は大変遅くなったので絵は、なし。

6月14日(木)

食中毒の季節がまたやってきました。
食べ物全般に気をつけなければいけないが、とくにナマモノは恐い。中でも貝なんてスゴク恐い。
聞くところによると、貝の中で、これから美味しいのはアワビぐらいだそうで、その他はこれから
の時期子持ちになるものが多いのであまり美味しくないらしい。
しかし、美味しさはともかく、私は去年あさりにあたってから、どうもあさりは食べるのが恐くな
ってしまっている。これももしかしてトラウマティック略して寅馬か?
まったくあの時はひどかった。ちょうど例の専門学校へ行く途中の電車の中でそれは起きたのです。
熊谷まではかなり遠いので、上野から高崎行きの電車に一時間と更に15分ほど揺られて行くのですが、
いわゆる朝のラッシュとは逆方向とはいえ、車内は結構な混雑。そこで突然の腹痛、しかも激痛。
続いて吐き気。そして、サーッと血の気が引いていく感覚。運良く座ってたのだけど、もう座席に
座ってすらいられないほど、自分の体を支えられない。で、次第に手や足がしびれてきて、硬直して
しまった。結構スゴイ状況。で、どうしても体が倒れて、隣に座っていたサラリーマンの人に膝枕状
態になっていってしまう。もう限界で、とにかく次の駅で下車。そのまま駅長室の長椅子で寝かせて
もらう。すると、駅員さんらしき人が来てくれ、『学校に電話はしなくていいの?』と優しく聞いて
くださった。私は苦しみながら『はあ、大丈夫です。』と答えはしたものの、『なぜ、駅員さんは私
が学校に行くことを知っているの?』とぼんやり思った。壁には立派な人物の写真があり、その下に
細かい月間予定などかかれた紙が貼ってあり、元気な時なら『あ〜、駅員さん同士もカラオケ大会す
るんだ〜..』などと楽しい想像を膨らますところだけど、そのまま眠ってしまった。
しばらくして、少しおさまったのでもう引き返すより行ったほうが近い、と判断し熊谷へ。が、着いた
途端また吐き気と貧血。いよいよ学校どころではなくなって(あ、さっきの駅では私が学生だと思われ
た?とこの時気がついた)、病院をさがしたけれど、こんな時に限って慣れない土地では見つからない
もので、這うように歩いていると右手に耳鼻咽喉科、左手に眼科が...。
もうダメダ.....と思い、私は耳鼻咽喉科に入りましたよ。あさりであたって、腹痛、吐き気、貧血でふら
ふらしながら耳鼻咽喉科の門をたたく人はさすがにあまりいないらしく、看護婦さんたちはおどろいて
待ち合い室のソファに私を寝かせてくれた後、洗面器や水やと、いろいろと親切に、本当に親切に対応
してくださった。しかも『治療』はしていないので、お金も受け取ってもらえなかった。
ああ、本当に今思い出しても感謝の気持ちでいっぱいです。しかしあさりは恐い。
結局、私は夕方の5時頃までその耳鼻咽喉科のソファで寝かせてもらい、その後内科を紹介してもらって、
点滴をうち、特急に乗り、タクシーに乗り、命からがらという感じで帰りました。後日、耳鼻咽喉科に
お礼に行ったことはいうまでもありません。寝かせてくださった駅の皆様もありがとうございました。
そしてその数日後、私は前を歩いていたおばあさんが突然バタン、と倒れたのを見過ごせず、道ばたで
世話をすることになる....。みなさんも気をつけてください。以上、ちあぽん食堂食中毒情報でした。
アデュー!

6月13日(水)

春先『女優・杏子』にハマった私も、さすがにその後にスタートしたなんとかっていうドラ
マはノーチェックだった。なんとなくついてるテレビから垣間見ることはあるものの、別に....
という感じで、話の内容も全くわからず今日に至っている。
しかし、今日また偶然についていたそのドラマの画面をぼやっと見るともなしに見ると、大変な
ことが起きていたのである。
この際ドラマの内容はどうでもよい!ともかく場面はどっかのバーで、主人公と彼女をなぐさめ
るオバサン、そしてそれをカウンターのあちら側で見守るバーテン、その三人のやりとり。
なんとオバサンが突然、回文を言い出したのだ。しかも画面にはタテ書きで俳句のような回文が
オバサンの言葉にあわせてスラスラと映り、またそれが『これは回文だよ』といわんばかりに逆
からも文章を赤字にかえて見せる、という始末。というか状態。オバサンも『回文よ、回文』な
んて言ってたし。
たぶん『主人公にかける言葉を俳句に詠む』というようなことだと思うけど、なぜ回文?
あまりに突然だったので回文は全然憶えられず、ポカーンとしてしまいました。が、その直後、
今度はバーテンまでもが『わたし、まけましたわ。.......うふふふふ』などと返して来た。
なぜここで回文?このドラマってそういう(どういう?)ドラマだったのでしょうか?
もしかして回文は流行っているのでしょうか?そうでもなければ、あのドラマのプロデューサー
は私のHPを見て、『回文...か..。ドラマで使うにはちょっと面白いかも...な?』なんて思ったと
しか思えない。それは、私のうぬぼれでしょうか...。今後も回文出てくるのか?
そして、今日は江東区にある運転免許試験場へちょっと事務手続きに行った。
手前にある有料駐車場の入り口の発券機は、『女性の声』のサンプリングがおかしくて、なぜか
『いらっいらっしゃいませ。』という。
思わず『いらっいらっしゃいませ』とオウム返しにツッコんでしまっていると、あとからあとか
らたたみかけるように『駐車券をとりくださぃワクの中にクルマを...』と言ってくる。
あれは一人じゃないな。昔鉄砲を撃つ時、撃ったら後ろへつく、撃ったら後ろへ...みたいに、
『女性』が何人も待ち構えてセリフを言ってる感じ。おっかしい。

それから、また話飛びますが、久住昌之さんの「小説中華そば『江ぐち』アクマとタクヤの
ラー
メン屋」(新潮OH文庫)という本がやっと出て、さっそく購入。
何をかくそう、これの元の本はすでに絶版になっている「近くへ行きたい。秘境としての近所〜
舞台は”江ぐち”というラーメン屋」というたいっへんに面白い本で、私は知人から借りて読んだ
この本がどうしても自分でも欲しくて、出版社に問い合わせたのです。で、残念なことに、もう
それは絶版になっているけど、久住さん本人なら持っているかも、と出版社の人が直接久住さんに
問い合わせをしてくれて、久住さんとお知り合いになるきっかけになったのです。その後、久住さ
んとはライブを一緒にしていただいたり、その他いろいろ交流させていただいているわけですが、
問題のその本は結局、久住さんの手元にも一冊ぐらいしかないので、ということで、私はあきらめ
ざるを得なかったのです。
それが今回!こうして文庫で出たのです。どれほどこの日を待ったことか。みなさん、これは面白
いです。ぜひ読んでほしい。私は当時この「江ぐち」まで行きました。(読まないとなんのことだ
かわかんないと思いますが)いや〜、ラーメン食べるどころじゃなかったです。ね、読んで。

6月12日(火)

銀座へ行き用事をすませたついでにふらっと古本屋さんへ入った。
そこで大好きな画家の熊谷守一の自伝を見つけてしまう。熊谷守一は岐阜の出身で岐阜に美術
館があるので、5〜6年前に見に行ったことがある。とても好きなんだけど、画集とか自伝とか
そういう類いのものは持っていなかったので、即買い。ほかにもさがしていた『おばあさんの
引き出し』という本や、今回かこさとし先生のことが掲載されているAERAという雑誌など、
新旧おりまぜて数冊購入。昨日も古本屋でかこさとし先生の絵本じゃない研究文庫みたいなのを
見つけたばかりで、たて続けにかこさとし先生の素顔に触れることができ、めちゃくちゃ満足。
昨日はそのほかに『絶対音感』という本も買った。前にも書いたと思うけど、私は絶対音感が
あるらしいが、しかしどうも大それた音楽家のひとがいうような大した能力ってほどでもなさそ
うだし、聴いた音が音名で聴こえるというのはその通りだけど、全部が全部聴こえるわけじゃな
いし、楽器のピッチがほんのちょっとズレてるのがものすごく気になるときと、全然気にならな
い時があるし、ある特定の楽器だと例えば『レだ』と思った音が違っていたりすることもあって、
本当のところどうなの?と思って買ったんだけど、読みはじめてつまらないのであっさりやめ。
それより何より、やはりかこさとし先生は素晴らしい。っていうほど著書も持ってないし、絵本
ってもの自体大人がどうこういうもんでもないんでアレなんですが、何ひとつメルヘンじゃない
ところがすばらしい。子供のリアル、大人のリアル、人間の、生き物の、宇宙の、架空の生き物
の、それぞれのリアルが淡々と描かれている(のにあの絵って....)ところが私にはとにかくぐぐっ
と来るのです。
それはともかく、毛虫の季節ですね。うかつに道ばたの草を触ると、ひっ!ということになるの
で注意が必要です。
去年のちょうど今頃、道を歩いていると、道路の反対側に自転車に乗った男子中学生らしき一団
が来て、すれ違った。すると、急に『ひゃあああああ』という叫び声が聞こえて来て、振り向くと
その中の一人が『とってぇぇぇぇぇ〜!ねえ!虫!虫!
とってぇぇぇぇぇ〜!たすけてぇぇぇぇ
ぇ!』と言いながら、必死で仲間を追い掛けている。どうやら首筋に毛虫が落っこちたようで、
首を変な角度に曲げながら、猛スピードで自転車をこいでいた。が、仲間も毛虫が恐いらしく、
全員逃げモードでこちらもすごい速さでペダルをこいでいる。そして彼等はそのまま遠く小さく
なって行きました。またそんな毛虫の季節。
私は毛虫ばかりでなく、イモ虫、青虫、すべてダメですが(むかで、ミミズは意外と平気。)
今までで一番青虫が恐いと思ったのは、家の庭にあったザボンの木についたバカでかい青虫を、
母が平気な顔で火バサミでつまみ、たき火で直焼きしたのち見せてくれた時です。
軽く人さし指くらいあった青虫(ザボンなどの柑橘類につく青虫はすごくデカイのが多い)は
焼けて茶褐色になっており、色よく焼けたウィンナーそっくりでした。その後かなりウィンナー
食べられなかった.....。この季節、それを思い出しては寒ぼろができる今日この頃です。

6月11日(月)

ひょっとしてこの先、忘れてしまった時のためにどうしてもここに記しておきたい。
『〜♪今日は朝から夜だった〜♪カラリと晴れた雨の日に〜♪遠い南の北極で〜♪
若い女のおじいさん♪黒い白馬がやってきて〜♪前へ前へとバックする〜♪それを×●☆〜♪』
あ〜覚えててよかった。最後はちょっと表記にムズカシイので省略。
ところで、この歌知っていますか?反対の歌。私の中ではめちゃくちゃはやったんですけど。
特に『若い女のおじいさん』というところがとても好きです。知らない人には、今度ライブの時
歌ってあげます。気になる人はライブに来てください。あ!コレってえげつない勧誘?
でもま、いいや。えげつなくても。もう私はギラギラ野心的に行くことにした!手段は選ばん!
大体、私にはゴツっといこう精神が足りてないのではないか?いっつもこ〜んな日記書いてて、
曲は作ットルノカ!!!とお思いの諸氏も多いことでしょう。あ、急に自己分析モードだ。
いや、まったくこんなことをHP上にぶちまけるのはどうか、とも思うのですが、こんな私でも
こんな自分に向き合って苦悩することもあるのです。というか、苦悩、苦悩の連続です。(?)
できた曲がかたっぱしから気に入らない→ではなぜ私は曲をつくるのか→でもやめられない→そん
なにしてやってて、楽しいのか→楽しい→自分が気に入ればそれでいいのか?→いや、たくさんの
人に聴いてもらったほうがいい→では他人が気に入ればそれでいいのか?→う〜ん→自己満足?→
う〜ん→そんなこと考えてるヒマがあったらもっと曲作れよ!→そうだな→できた曲がかたっぱしから.....
などという堂々回りの中に入り込んでしまう日々です。みなさんも一度や二度はあるでしょう。
なぜ今日は雨が降っているのか、なぜ今日はテレビが無表情なのか、なぜ今日はパスタが変な味に
なったのか、なぜ今日は何をしても面白くないのか。ここでの暮らしも楽じゃないな、と思うこと。
まあ、そんな時はですね、この反対の歌をうたうとちょっとはいいです。今日は朝から夜だった〜
カラリと晴れた雨の日に〜遠い南の北極で〜若い女のおじいさん。
極端の両極はホラ、つながってますから、大体。すごーく長い時間も一瞬がつながってできてるんで
すから。前へ前へとバックしてるわけですよ。(?)だから北極をめざすなら今の一歩が出ないと。
あ、でもバックしたほうが近いってこともありますね(笑)。まあそれを見極めるのも自分ですからね。
なんだろ、この日記。

すごく意味不明。オットセイは合成です。


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