忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2013年01月01日(火)あけましておめでとうございます

あっという間に2013年。
東京はよいお天気にめぐまれ、よいお元日でした。
みなさま今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年はチョロっとずつでもいいからできるだけこまめに日々録を書いていけたらいいと思っています。
topページの年賀画像は、スポンジ版画。
なんか板より簡単に削れるのないかなーと思って、水だけで激落ちっていう豆腐みたいなスポンジをカッターと彫刻刀で切ったり彫ったりしてみました。
削るのはなかなかうまくできた。
でもスポンジのいけないところは、色を普通の絵の具を筆にしませてスポンジつけてやったのですが、さすがスポンジ、吸いすぎて、一度色を乗せると、もう後はどんなに変えてもまざっていくのみ。
結局PCで色を変えたりというズルをすることになってしまいました。

画像は母から届いた顔のマッサージクリームとマッサージの仕方の手紙。
「自分のを買うついでにアンタのも買ってあげました。美しくなってね。」という涙がとまらない手紙と共に、これまた違う意味で涙がとまらない爆笑図が。
おかあさん、ありがとう!
わたしは美しくなります。

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[link:1288] 2013年01月03日(木) 19:41


2012年12月31日(月)今年もどうもありがとうございました。

2012年も暮れてゆきます。
すっかり日記をさぼってしまったけれど、とにかく今年もみなさまありがとう!
応援してくださった方に、共に過ごしてくださった方に、遠くでも近くでも、いろんなところにいて、たくさんの力を私に与えてくださったすべてのみなさまに、心からお礼申し上げます。

今年は7年ぶりのアルバム「蟻と梨」をリリースしたことで、いつもライヴに足を運んでくださるみなさまや、いつも一緒に演奏したり、ライヴをさせてもらったり、いろいろ支えてくださるみなさまと、今までよりさらに強く信頼関係を築けたよう気がしています。
さらには、新しく私を知ってくださった方や、これまでのつながりからひろがってご一緒できた方もたくさんで、これもまたとてもとてもとてもうれしいことでした。
どのひともみんな大好きで、尊敬するひとたち。
それぞれの場所でそれぞれの時間をもちながら、心から大事なものを共有できているような気持ちがします。

そんな今日この頃に、とくに強く思うことは、お客さんにしても、一緒に演奏してくれるメンバーにしても、お店にしても、そうやってひとたびライヴがあれば寄って、ある人は演奏、ある人は手拍子、ある人はお料理、ある人はPAと、その空間を過ごすために、それぞれのひとたちの貴重な「時間(という名前のついたある感覚)」を費やしてくれてるんだな、ということです。
それってものすごい重大なことだな、ということです。
だからその言い出しっぺである私は、そうやって駆けつけてくれて、みなさんが費やしてくださっている時間(という名の感覚)を大事にしよう、と思うのです。

「時間」という不思議であいまいなような感覚の中で、「音楽」という不思議で所在のないようなものを作り、またそれを、目には見えないけれど、「演奏する」という形でみなさまにお届けしている、という不思議。
そして、自分と同じように、暮らし、動き、生きているほかの人の「時間」を拝借したり、もらったりするありがたさ。
「ありがたさ」はまさに「蟻がたさ...じゃなくて、「有り難さ」という文字通り、そうであることがいかに尊く貴重であることか、と思います。

考えてみれば、世界には、その「費やしたもの」が生み出した結果であるものが「形」として見えていますが、その形が生まれるためには、数え切れないほどのひとたちが費やした「時間」や「行為」や「気持ち」があって、そのほとんどは見えないなにか。
つまり、「見えるもの」というのは、「人間が生まれる前からそこにあるもの」がほとんど、あとは「ほぼ道具」のようなもの、そこで日々動いている「世の中」とはそのほとんどが見えないなにかでできあがっているのですね。
こんなことって、もうとっくの昔から言われてることなんだけれど、自分がちゃんと実感として、やっとわかったのです(アホだから)。
で、ここからがまた不思議なことなんだけれど、その「見えないもの」がいかに大事かってことを実感としてちゃんと気がつくと、今度は「見えないもの」をなんとか「見えるもの」にしようとしてできた「見えるもの」がものすごく尊く、愛おしいものに見えてくる。
中には出来上がってしまったがために新たな苦しみを生むものもあり、太刀打ちできないような出来事に、悲しみや無力感にうちひしがれることもあります。
でも、それならそれをなんとか変えていこうという見えない気持ちや力もまた生まれます。
そういうのをぜんぶひっくるめて、やっぱり、あなたやわたしがここにある間を絶望しないで進みたいです。
極端な言い方をすれば、生き物は死に向かって生きるわけですから、ある意味、生まれた時から「あきらめ」ている。だからこそ、あきらめないで進む道を探り続けるのだと思います。
そうすることが生きるということだと思う。

そして、「見えないもの」も「見えるもの」も、「やっぱりすべてのことに意味があり、それはどんなこともやっぱりすべてのことに関係している」ってことなんだな。

近頃は、世の中で「つながり」とか「つながろう」とかという言葉を聞くことが多くて、それはたぶん「あなたのことを思っていますよ、応援していますよ」という意味で使われていて、それはそれでとても大事だしよいことだと思うけれど、ほんとうは「つながろう」じゃなくて「つながってるんだよ、あたしたち」と思うのです。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ように。
でも、桶屋ばかりでなく、途中で売れた三味線で楽しんだ人もいるでしょうし、ネズミに齧られたせいで無くしたものが出て来た人もいるかもしれない。
なぁんだ、そうか。
それがまるごと「暮らし」というものか、って思います。
そんな、自分も含んだこの愛すべきごちゃごちゃ世界が、わたしは大好きです。

「町屋の塀」は俯瞰、「マカロニスコープ」は断面、「あじさいの人」は
局所ですが、もうずっとおんなじことを歌っています。
でもべつに、とくに歌いたいことはないのです。
そしてまた、とくになにもできません。
ただ、このあちこちに無数にある世界の断面や様子をいつだってずっと見たいし、聴こえたいし、触りたいし、切り取った断片を話したり歌ったり演奏したりしていたい。
誰かに手紙を書いたり、おしゃべりをしたり、遠くをゆく列車に手をふったりするようなものです。
だから、時々、私が手をふるのを見かけたら手をふりかえしてくれたらうれしいです。
とてもとてもちっぽけで一瞬のことだけれど、それだけでたぶんそのひともわたしも、それを見たひとも、少し楽しい気持ちになるんじゃないかと思うから。

来年もみなさま元気にまいりましょう。
どうぞよろしくお願いいたします。



[link:1287] 2013年01月02日(水) 00:00


2012年09月10日(月)『蟻と梨』日記 12 

このへんですこしジャケットのお話を。
今回、このすてきなジャケットを描いてくださったのは豊永盛人さんです。
豊永さんは、沖縄で張子を作ったり、絵を描いたり、玩具を作ったりしている方ですが、そのあまりにも楽しく愛らしく、そして可笑しみが炸裂した作品は大人や子供に大人気で、全国の展覧会や物産展にひっぱりだこ。お忙しく各地を飛び回っておられます。
そんな豊永さんの作品を私が知ったのは、信陽堂 の丹治さんと美佳さんから。
いつもライヴにいらしてくださるお二人から、ある日、沖縄のお土産として、豊永さんの作られた「すごろく」をいただいたのです。
ぶっ飛びました。
なんだかすべてのことが「はみ出している」!(もちろんいい意味で。)
すごろくなのに、絵が気になってすごろくができない!
沖縄に遊びに行くよりも、この豊永さんのお店に行くためだけに沖縄へ行きたい、と思いました。
そして即座にネットであれこれ他の作品をみて、カルタを買ったりして、ますます虜になりました。
そのすごさについては、口では説明できないので、サイトなどをご覧ください。

そして、これはもう、次のジャケットはこの人に描いてもらう以外に考えられない!と思うようになり、丹治さんになんとかご紹介いただき、豊永さんが新宿の京王百貨店に作品を並べられる期間を狙ってお願いにいったのでした。
そうして、無理矢理ジャケットの件を引き受けていただくことができました。

さて、その同じ頃、絵は豊永さんにお願いして描いていただくとしても、それをジャケットやブックレットにしていただくのはどうしたらよいでしょう?丹治さん?と、またもや丹治さんにご相談しました。
丹治さんは、私に豊永さんを紹介してしまった手前、今更「さあ?」と言えなくなってしまった気の毒な人、というか、もうその時点で「大変頼りない方向音痴の船頭がユラユラ漕ぐタライの船」にもう乗り込んでしまっていたのです。

丹治さんは、電話のむこうでおそらくいろいろお考えになってくださった。
そして、横須賀拓さん という、またまたすてきなデザイナーの方を紹介してくださったのです。
横須賀さんは、淡くてきれいな、和菓子を思わせる色使いと、作為を感じさせない、それでいて、心地よいかどうかがおそらく無意識下で本能的に?計算された配置で、すばらしく気持ちのよいデザインをされるひと。
横須賀さんのデザインは、とても風通しがよいので大好きです。

豊永さんの天真爛漫な絵を、横須賀さんの、穏やかで、それでいて心がうきうきするようなデザインで包んでいただき、こうしてそれはそれはすてきなパッケージができあがりました。

いろんなワガママや無理をきいてくださりながらこんなかわいい絵を描いてくださった豊永さん、すてきなデザインをしてくださった横須賀さん、そして、シロウトの私をなだめ、デザインチームのリーダーとして船を導いてくださった丹治さんと、成り行きをずうっと笑って見守り続けてくださった美佳さんに、心から感謝しています。

[link:1286] 2012年12月31日(月) 15:09


2012年09月09日(日)『蟻と梨』日記 11 ◆かじやんの巻◆

かじやんこと、梶田真二くんは、コーヒー屋さんの店主です。
名古屋にある「コーヒーカジタ」という、それはすてきな、コーヒーとお菓子のお店をやっています。
コーヒーカジタはそのお店のすばらしさで、開店以来、大人気のお店ですが、かじやんは、そのお店を開く前はベーシストでした。
かれこれ20年以上も前からの友人で、その頃から名古屋でザボンドボンというインストバンドをいっしょにやっていたのです。
今回もコルネットで参加してくれている中野明美ちゃんもザボンドボンのメンバーです。
当時、かじやんのお家のお庭にあった物置小屋が練習場所であった我々ザボンドボンは、それはそれはまじめにユルい音楽を研究して作るバンドでしたが、一方でまじめに楽しみを追求する仲間でもあったので、いつも練習を終えると、河原へ行ってカレーを作ったり、でたらめのナンを焼いたり、ただ、外で鍋をしたり、練習帰りにそのまま郡上八幡へ徹夜の盆踊りに行ったりしては過ごしていました。
そういう、ナンを焼いたり、郡上で踊りを覚えたりしたことが曲になったりして、メトロトロトンレコードのオムニバスに入れていただいたことが、今の私につながっています。
前置きが長くなりました。
それからみなそれぞれに大人になり、かじやんはコーヒー道に進み、現在のコーヒーカジタがあるのですが、時々お店へ立ち寄ってカウンター越しに話していると、ある時ベースをまた買ったという。
では、せっかくだからそれを演奏しよう、と誘い、かじやんにとっては10年ぐらいのブランクを経て、いきなりレコーディング、ということになりました。
前々から、カジタの曲を作りたくはあったのです。
果たして、デモを渡してから3ヶ月、お店やイベントで日々忙しいかじやんは、東京まで録音にかけつけてくれました。
忙しい合間を縫って、ずいぶんと練習をしてくれたそうです。
今回のアルバムは、河瀬さんのベースはすべてコントラバスです。
でも、この「コーヒーカジタで」だけ、かじやんの登場により、かじやんが買ったエレキベースになりました。
なんだかロマンを追いかけているふうに見えてしまうかもしれませんし、変てこかもしれませんが、それもまた楽しいものです。

この曲ではちゃんとコーヒーカジタへの行き方も歌っていますから、ぜひ歌いながらコーヒーカジタを訪ねてみてほしいです。

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[link:1285] 2012年09月11日(火) 00:00


2012年09月09日(日)『蟻と梨』日記 10 ◆ブラウンノーズ巻◆

はっきりいう。何度でもいう。このひとたちは天才だ。
例によって、「天才」という言葉を使うのはまったく好きではありません。
なのだけれど、そういうふうにいう他にないのだから仕方がないのです。

「アメリカの太ったおじさんがバケツリレーをしている感じで」
「ジャングルの人」
「ここでいろんなおばけがわらわら出て来て一斉にいなくなる」
などの注文を、次から次へとなんの迷いもなく「あ、はい、わかりました」っていう。
私としては、言っておきながら、「わかったんかい!」と、心の中で笑いながら軽くツッコむのですが、直後、それがすぐに形になって出て来てしまうので、「あ、やっぱりわかったんだね!」と大笑いしてしまうのです。
その心持ちというか、想像を超えるなにかが次々と飛び出してくる快感は、ちょっと口では言い表せません。
音符の名前はすぐにわからなくても、私の出した音を、バンジョーでもマンドリンでもすぐ弾いたり歌ったりできてしまう。
そして、どんな素材だろうが、場所だろうが、人の描いた続きだろうがなんだろうが、そこにびゃーっと引く一筆で、もうブラウンノーズの絵にしてしまうのです。
なんとおそろしい二人組か。
私は、そんなおそろしい二人組と、またどうしても「一緒に」やりたかったのでした。

前回のおせっかいカレンダーでは2曲コーラスをお願いしたのだけれど、今回はどうしても、楽器ごとブラウンノーズ、というのもやりたくて、曲は作った時から決めていました。
決めていたけれど、あえてそれをこういうふうに、とは言わず、まずは好きに料理してもらいました。
その結果、期待を遥かに上回る、徹底的にブラウンノーズ節が炸裂したデモが送られてきたのです。
それはすでに素晴らしく変てこでめくるめくブラウンノーズの世界ができあがっていて、もうどこからも壊すことができない、という完成品であったため、録音当日はとにかく、それを「多重録音で作り込む世界」ではなくて、「なるべくライヴでやろうと思えばできるぐらいのスタイルで」再現することを考えました。
私がぼんやり描いていたアレンジの骨組みとブラウンノーズに前もってある程度考えてきてもらったデモの設計図をもとに、「あとはあんまりなんにも考えないでとりあえずやってみますか」という方式。
録音中にこんなに笑ったことってあっただろうか、というほど、録っている間じゅう笑いがこみ上げてきてしかたがありませんでした。
曲数は少ないのですが、その心地よいユルさと、狂気の共存する絶妙の世界が、その空気感ごと、切り取れたと思います。
エッセンス、とかそういうことでは全くない。もう、居るだけで世界の立ち位置が変わります。
見えていてもいなくても、確実にそこにあるっていうあの存在感はほんとにすごいです。

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[link:1284] 2012年09月09日(日) 13:38

2003年6月16日までの日記


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