忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年01月07日(木)

先日、『カールじいさんの空飛ぶ家』を3Dで観た。
3Dは初めてで、面白かったけど、わりと想像どおり。3Dの効果として面白かったのは、カールじいさん本編の直前にやったショートムービーみたいなやつのほうが面白かった。
雲のわふわふ感とか空の様子とか。
3Dはさておき、カールじいさんは、すごくよくて、面白かったんだけど、物語が、というよりも、初っ端から物語の本題に入るまでの、すごいスピードでそこまでのことが綴られるシーンでずっとうるうる泣きっぱなし。
私はなぜか、『その人やモノやコトが歩んだ道、とか軌跡、とか人生、とかそういうものがめくるめくスピードでフラッシュバック(までいかなくても)する』というシーンには無条件に弱くて、そういうのに遭遇すると途端に泣いてしまうようだ。なぜだろう。
まあ疑問は疑問でおいておいて、ともかく、まるで人は泣いてないような導入部分からずっと泣きっぱなしで、物語はもちろん面白かったけど、最後のほうはわりと涙がかわいて楽しんで観れた、という感じだった。

で、映画の帰り、とある雑貨店に立寄り、偶然かわいいソックスを見つけたので、大して値段も見ず、色違いを2足買うと、レジで『6400円になります。』とサラッと言われた。高っ!
えー、そんなに高かったんなら先に言っておくれよ(というか値段見なさい)。だって、高い洋服屋さんじゃないし(雑貨屋さんだし)、そんな高いと思わないじゃん!
なら1足にしといたのに、しかし、1足やめます、と言えなかった小心者の私....。

でもいいの。かわいいからいいの。穴あいても繕ってはくから。
しかし、こんな色とりどりのソックスを買ったのは何年ぶりかしら。

それはそうと私、ソックスを洗濯して干す時に、2足ずつハンガーにかけるんだけど、どうしても2足の色とか柄とか質感の組み合わせがマッチしてないと気がすまない。その時々で、これはどれとも合わない、っていうやつもあって(そういうのは1足で干す)、これはその、結構組み合わせを選ぶタイプだなあ。色は色々合うのもありそう。

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[link:1201] 2010年01月15日(金) 18:58


2010年01月05日(火)

柴又の帝釈天へ行ってきました。
三門や本堂の彫刻、やっぱりすごい。
無事お参りをして、おみくじ.....。
おみくじはたいてい初詣の時しかひかないんだけど、去年は凶で、しかもおみくじを引き出しから出してくれる時に2枚重なったままだったらしくまったく同じ『凶』を2枚もらちゃって、お正月早々ブルーになったんだった。
で、今年こそ.....と、列に並ぶ。するとすぐ前のおばさまの番号が見えてしまう。ちがうのを出そうと思って振ったんだけど、混ざってなかったのね....
果たして......がーん。今年も凶でした。
うーん、きっと去年は凶だったけど、にもかかわらず能天気によい年を過ごすことができたから、そのまま調子に乗らないように、ということでしょうか。
はーい。うっかり調子に乗りません。『無事』ってことに感謝します。精進、します。
ということで、今年もがんばっていきます。


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[link:1200] 2010年01月07日(木) 00:47


2010年01月01日(金)

あけましておめでとうございます。

うっかりブリ大根(大根が大量にあったため。お節とかとはまったく関係なし。)を作っている間に明けてしまいました。

毎年、計画ってものを立てない私ですが、今年も楽しい音楽を作っていきたいです。そして、なんとかそれらをまとめて盛ったお皿のようなもの(あー、遠回しだ...去年は実現できなくかったので言いにくい)を作りたい。ほんとに。

みなさまどうぞどうぞ今年もよろしくお願いいたします。



[link:1199] 2010年01月05日(火) 17:49


2009年12月30日(水)

さて晦日だ。
明日はいよいよ大晦日。
おせち料理とか大それたものは作れないけど、今年もお正月用になにか作ろう、と密かに計画を練っている。
思えば、一昨年、私は大胆にも、かの有名な『ブフ・ブルギニョン』に挑戦したのであった。それがどういう料理なのか、大してよく知りもしないくせに、とにかく私は、かれこれ10年ほど前にいただいた、Darieさんお手製の『ブフ・ブルギニョン』が忘れられず、どうしても自分でも作ってみたくてDarieさんにレシピを教えていただいて、やってみたのであった。
私はDarieさんの『ブフ・ブルギニョン』が好きだ。Darieさんはもちろん音楽家として尊敬する先輩ですが、その料理の腕もスゴイのである。
『ブフ・ブルギニョン』は牛肉のスネを赤ワインにつけこみ、そのままことことと煮込んだ料理で、私がいただいたDarieさんのそれは、一口食べればもうホロホロトロトロにお肉がほぐれとろけて、本当に激ウマなのである。レシピを聞くと、一見、材料と時間は大掛かりだけど、料理過程はシンプルそうだったので、挑戦する気になったのだけど、果たして...... 何がどうよくなかったのか、やはりうまく行かなかった。いや、味はそこそこであった(しかしDarieさんの味からはほど遠いものだった)。味はそこそこだったんだけど、後がいけなかった。どうやら私は赤ワインにもアレルギーがあるようで、お正月早々全身に蕁麻疹が出て、丸二日苦しむこととなった。しかしDarieさんのをいただいた時にはそんなことはまるでなかったので、きっと私のワインにつけこむやり方がまずかったのか、つけこむ時間が長過ぎたのだろう。一緒に食べたトバ夫さんやお友達は、私を慰めるように『いや、そんなにマズくないよ!っていうか、おいしいよ!これは(きっと)おいしいんだよ!』などと矢継ぎ早に自分に言い聞かせるような褒め言葉を継いでくれたものである。
しかし!私は知っている。私のあの『ブフ・ブルギニョン』は決して、『それほどおいしくはなかった』ことを。
本当であったら、それを反省してリベンジをしたいところであった。けども、蕁麻疹の恐怖がトラウマとなり、それ以来挑戦していない。
ちょうどDarieさんが12月28日の日記に書いておられるが、Darieさんの『ブフ・ブルギニョン』は絶品だ。しかしDarieさんでさえ『修行』っていうほどのものなのだから、いくら同じレシピでやったところで私などがうまくできるわけないのだ。ああ、Darieさんの『ブフ・ブルギニョン』がまた食べたい。
と、結局自分ではまだ何も作っていない晦日。
本日はタマコウォルズのライヴです。今日はそれどころではない。料理のことは、明日考えよう。

[link:1198] 2010年01月01日(金) 00:41


2009年12月28日(月)

大掃除。
今年もいろんな人、いろんな場所、いろんな物にお世話になった。
最近では、人が聞いたら「えー!いまさらー?」と怒りに狂うような(自分でも、えー?いまさらー?と思う)、あまりに有名すぎてうっかりしてたけど、ビートルズのサージェントペパーズってすごいアルバムなんだね!と今更ながらにその素晴らしさを確認したり(←確かに遅すぎると思うが、何事も、気付くのに遅すぎるということはない、と信じたい。)、あまり人にはわかってもらえないかもしれないもの(まあ古いジュータンね。椅子の下に敷く。)にわりと大金をはたいてしまったり。
20年近く前に、当時のピアノの恩師と2台のピアノで弾いたミヨーのスカラムーシュを改めて聴き、その当時のまるでなにもわかってなかった自分の青さに愕然(←いや...いまも相当わかってないと思うけど)。
あと、ほかにも、これまた有名すぎるボブ・ディランですが、こないだのクリスマスアルバムもなんとも素晴らしかった。私は、ボブ・ディランは、一番はじめの出会いが本人が歌うものではなくて、The Byrdsがカヴァーしたやつだった。20年近く前に、当時、うちの近くに変てこな本屋さんなのか雑貨屋さんなのかよくわからないお店ができて(それが今や全国区のヴィレッジ・ヴァンガードの最初のお店。本社は今もそこ。)、しょっちゅう行ってたんだけど、そこでかかっていたのがThe ByrdsのBob Dylanのカヴァーアルバムで、お店で一瞬聴いてショックをうけて即行買って帰ったんだけど、本当のBob Dylanが歌うのを聴くのはそれからまだしばらく後で、実はそんなにたくさんは聴いていないけど、今、あのアルバムを作ったってのがなんかすごく心にくる。

など、目から鱗が落ちるようなこともいろいろあって、つまり、なにも新たな刺激ばかりが人の心を動かすもんでもない、という、むかーしからよくわかってたはずのことを改めて感じたりした。
こういうことをしみじみ思うってのも、年の瀬のせいなのか、年のせいなのか、よくわからないんだけど、よくわかったのは、今までスルーしてたこととか、ピンとこなかったものが、突然自分にしっくりくる時が、一番いい時なんだってことでした。それについて、早くから自分なりに理解して吸い込んでしまうこともあるけど、早くに知ってたり、存在は認識していても、その時には気付いてなかったり、自分には入ってきてないことってすごいあるんだなーと。
そう考えると、なんだか自分がものすごくなにかの一部分を知っているだけの知ったかぶりで今を生きてしまってるような気もする。でも、その時点でそう感じたり、そこしか気がつかなかったり、っていうのもひとつの通過点だから、それは当然のことで、それを繰り返して行くんだなあ、と。
これからも、うんと色々を味わおう。

[link:1197] 2009年12月30日(水) 14:28

2003年6月16日までの日記


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