忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2009年12月30日(水)

さて晦日だ。
明日はいよいよ大晦日。
おせち料理とか大それたものは作れないけど、今年もお正月用になにか作ろう、と密かに計画を練っている。
思えば、一昨年、私は大胆にも、かの有名な『ブフ・ブルギニョン』に挑戦したのであった。それがどういう料理なのか、大してよく知りもしないくせに、とにかく私は、かれこれ10年ほど前にいただいた、Darieさんお手製の『ブフ・ブルギニョン』が忘れられず、どうしても自分でも作ってみたくてDarieさんにレシピを教えていただいて、やってみたのであった。
私はDarieさんの『ブフ・ブルギニョン』が好きだ。Darieさんはもちろん音楽家として尊敬する先輩ですが、その料理の腕もスゴイのである。
『ブフ・ブルギニョン』は牛肉のスネを赤ワインにつけこみ、そのままことことと煮込んだ料理で、私がいただいたDarieさんのそれは、一口食べればもうホロホロトロトロにお肉がほぐれとろけて、本当に激ウマなのである。レシピを聞くと、一見、材料と時間は大掛かりだけど、料理過程はシンプルそうだったので、挑戦する気になったのだけど、果たして...... 何がどうよくなかったのか、やはりうまく行かなかった。いや、味はそこそこであった(しかしDarieさんの味からはほど遠いものだった)。味はそこそこだったんだけど、後がいけなかった。どうやら私は赤ワインにもアレルギーがあるようで、お正月早々全身に蕁麻疹が出て、丸二日苦しむこととなった。しかしDarieさんのをいただいた時にはそんなことはまるでなかったので、きっと私のワインにつけこむやり方がまずかったのか、つけこむ時間が長過ぎたのだろう。一緒に食べたトバ夫さんやお友達は、私を慰めるように『いや、そんなにマズくないよ!っていうか、おいしいよ!これは(きっと)おいしいんだよ!』などと矢継ぎ早に自分に言い聞かせるような褒め言葉を継いでくれたものである。
しかし!私は知っている。私のあの『ブフ・ブルギニョン』は決して、『それほどおいしくはなかった』ことを。
本当であったら、それを反省してリベンジをしたいところであった。けども、蕁麻疹の恐怖がトラウマとなり、それ以来挑戦していない。
ちょうどDarieさんが12月28日の日記に書いておられるが、Darieさんの『ブフ・ブルギニョン』は絶品だ。しかしDarieさんでさえ『修行』っていうほどのものなのだから、いくら同じレシピでやったところで私などがうまくできるわけないのだ。ああ、Darieさんの『ブフ・ブルギニョン』がまた食べたい。
と、結局自分ではまだ何も作っていない晦日。
本日はタマコウォルズのライヴです。今日はそれどころではない。料理のことは、明日考えよう。

[link:1198] 2010年01月01日(金) 00:41


2009年12月28日(月)

大掃除。
今年もいろんな人、いろんな場所、いろんな物にお世話になった。
最近では、人が聞いたら「えー!いまさらー?」と怒りに狂うような(自分でも、えー?いまさらー?と思う)、あまりに有名すぎてうっかりしてたけど、ビートルズのサージェントペパーズってすごいアルバムなんだね!と今更ながらにその素晴らしさを確認したり(←確かに遅すぎると思うが、何事も、気付くのに遅すぎるということはない、と信じたい。)、あまり人にはわかってもらえないかもしれないもの(まあ古いジュータンね。椅子の下に敷く。)にわりと大金をはたいてしまったり。
20年近く前に、当時のピアノの恩師と2台のピアノで弾いたミヨーのスカラムーシュを改めて聴き、その当時のまるでなにもわかってなかった自分の青さに愕然(←いや...いまも相当わかってないと思うけど)。
あと、ほかにも、これまた有名すぎるボブ・ディランですが、こないだのクリスマスアルバムもなんとも素晴らしかった。私は、ボブ・ディランは、一番はじめの出会いが本人が歌うものではなくて、The Byrdsがカヴァーしたやつだった。20年近く前に、当時、うちの近くに変てこな本屋さんなのか雑貨屋さんなのかよくわからないお店ができて(それが今や全国区のヴィレッジ・ヴァンガードの最初のお店。本社は今もそこ。)、しょっちゅう行ってたんだけど、そこでかかっていたのがThe ByrdsのBob Dylanのカヴァーアルバムで、お店で一瞬聴いてショックをうけて即行買って帰ったんだけど、本当のBob Dylanが歌うのを聴くのはそれからまだしばらく後で、実はそんなにたくさんは聴いていないけど、今、あのアルバムを作ったってのがなんかすごく心にくる。

など、目から鱗が落ちるようなこともいろいろあって、つまり、なにも新たな刺激ばかりが人の心を動かすもんでもない、という、むかーしからよくわかってたはずのことを改めて感じたりした。
こういうことをしみじみ思うってのも、年の瀬のせいなのか、年のせいなのか、よくわからないんだけど、よくわかったのは、今までスルーしてたこととか、ピンとこなかったものが、突然自分にしっくりくる時が、一番いい時なんだってことでした。それについて、早くから自分なりに理解して吸い込んでしまうこともあるけど、早くに知ってたり、存在は認識していても、その時には気付いてなかったり、自分には入ってきてないことってすごいあるんだなーと。
そう考えると、なんだか自分がものすごくなにかの一部分を知っているだけの知ったかぶりで今を生きてしまってるような気もする。でも、その時点でそう感じたり、そこしか気がつかなかったり、っていうのもひとつの通過点だから、それは当然のことで、それを繰り返して行くんだなあ、と。
これからも、うんと色々を味わおう。

[link:1197] 2009年12月30日(水) 14:28


2009年12月27日(日)

例年どおり、クリスマスは特に何ということもなく(←でもバッグは買った。)過ぎ、25日は青山さんのライヴをMANDA-LA2で観戦。BM'sの演奏も脂が乗って、勢い、説得力、みなカッコイイ。

そして今日はやっとカーテンの洗濯と、散らかり放題の仕事コーナーまわりの片付けに着手する。一昨年あたり、資料と楽器と本と洋服その他ガラクタで飽和状態になり、仕事ができなくなった仕事部屋を出て、リビングの一角にほんの束の間、間借りするつもりで設置した仕事コーナーがどんどんふくれあがり、今、我が家ではMacの隣(同じテーブル上)でごはんを食べている。
ものでいっぱいになってしまった旧仕事部屋は現在、保管部屋として活躍(?)している。
で、現在のこの仕事コーナーにあふれたものをスッキリさせるには、@捨てる、A保管部屋へ保管する、のどちらかしかないので、とりあえず、捨てるものは捨てた。が、意外と減らない。なので、保管部屋のものを更に捨てて、そこへこちらもものを保管する、という二度手間な感じのことをやりはじめたわけだが、保管部屋のほうは一度大片付けをやって、捨てられるものは捨てているので、もうどうにも、捨てるものはないのだ。
そうこうしているうちに、昔のネタ帳とか、ドロップ横丁やライラックアパート一○三を作った当時のいろいろが書かれたノートなんかも出て来て、ふむふむ、なんて、ぜんぜん片付けにならん!
結局、ゴミ袋2袋分のゴミなどが出たが、見た目はまったく変わっていない。
本やファイルなんかは、もうどの棚にも1mmの隙間もないので、そもそも収まらないに決まっているのだ。なのでこれを片付けるには棚を買うしかないが、その本棚はどこへ?
堂々巡りに突入して、激しく消耗してしまい、今日のところはひとまず中断することにする。
年が越せるのでしょうか....。



[link:1196] 2009年12月28日(月) 23:11


2009年12月24日(木)

いろいろなところで宴会やパーティーがあったりする季節。
あちらこちらでおいしいごちそうをいただく機会も多いのですが、それが立食バイキング形式だった場合、中にはちょっと謎の料理があって、話題を呼ぶことが。
〆サバの隣に、クレープ?でもこのソースはどう見ても酢みそ...?と思ったらサーモンがクレープに巻かれたものでソースが甘い、というものであったり、そのお隣の、完全に全員がストロベリームースだと思っていたものはまったくスイーツではない「何か」だったり、面白いです。

そんな中、実家の母がダンボールにいろいろを詰め込んだ宅急便を送ってくれました。
空けてみると、北海道名物『ROYCE'』の箱が!狂喜乱舞して箱を空けると中からお漬け物が出てくる。がーーーーん。
そして、隣に六花亭のストロベリーチョコレートの箱があって、これも喜んで冷蔵庫にしまい、さて食べようとパカッと空けると中には天津甘栗がぎっしり。
おかーーーーさーーーーん。
お漬け物も天津甘栗も大好きだからすごくうれしいけど、なんでー。

なぜ「おかあさん」という人はこれほどまでに箱の再利用をするのでしょう。
かれこれ10年前ぐらい前の初夏、母から送られてきた荷物に唐突に6Pチーズ(あの丸いケースのね)が一箱入っており、『もうおかあさん、この時期にチーズなんて常温の荷物に入れたらヤバイでしょー!』とつぶやきつつ、すぐさま冷蔵庫へしまい、数日して、食べようと、あの丸い箱をあけたら中身が蚊取り線香(母的には少量パックのつもり)だったことがある。
母からの荷物はうれしいが、若干注意が必要。
でもおかあさん、ありがとう。


[link:1195] 2009年12月27日(日) 01:06


2009年12月20日(日)

昨日はスズナリで流山児★事務所の公演『田園に死す』を観た。
あまりにも有名な寺山修司作品を天野天街の脚本・構成・演出で、ということで、どういうことになってるのか楽しみにしていた。
果たして、予想はしてたけど、もう、完全に天野作品だった。でもちゃんと寺山修司のエスプリっていうのか(フランス語でなく、難しくなくこの感じを表現する言葉はないかしら)そういうのはずっとその天野時空に横たわってて、それでいて体感は完全に天野さんの作品、というのがすばらしかった。
まだ公演中なので、具体的に書くのはやめますが、観てるうち、途中から「その感覚」が実際に舞台に表現されている、それを観ている自分、という「感じ」がこわくなってきて、気持ち悪くなった(←ホメ言葉です)。最後のほう鳥肌がたってしかたがなかったし。平太郎化物日記の時にも特にひしひしと感じたことではあるけど、これは芝居っていうか、やっぱり体感型アトラクション(なんだろう?この薄っぺらな言い方しか思いつかない自分が情けないが)なんだな、って改めて認識した。脚本が、とか、役者さんが、とか、演技が、とか、構成が、美術が、とか、いい芝居、とかそういうことではなくて(いえ実際にはそれらの集合なんだけど)。天野さんが少年王者舘で、昔からやろうとしていることはそもそもそういうことだと思うんだけど、それが回を重ねるごとにすごいことになってると思う。
二足歩行になるまで長くかかったロボットの開発が、二足歩行が可能になったと思ったら次々いろんなことがどんどん可能になってスゴイとこまできてる、みたいな。
って、思いつつ、でも現実にはこれは芝居だから、そこがすごい。
って、なんのことかぜんぜんわかんない感想になっちゃいましたが、ともかくスゴイとこ行ってます。
寺山修司かあ....って人も、寺山修司とか知らない、という人も(これを観ても寺山修司の検証や勉強にはまったくなりませんが)ぜひ観てみてください。23日まで。

[link:1194] 2009年12月24日(木) 01:56

2003年6月16日までの日記


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