忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2007年09月10日(月)ゴヘゴヘゴホホホホとセキグチの法則

やっぱり風邪をひいたみたい。ああ、風邪みたい。
熱とかはないんだけど、喉が激しくいたいのと咳がゴホゴホ出るのでこれから熱が出たらマズイですな。用心用心。
カナダで寝てるか。寝て、オーロラ出たら見て、また寝てるか。オーロラ見たら治りそうだもんね。

それはそうと、昨日外出先で咳き込みながらも、フと目に入ったムーミンのぬいぐるみがあまりにかわいくてつい手に取ってしまったら、やっぱり『セキグチ』でした。セキグチっていうのは、ぬいぐるみ会社なのですが、以前から、私が本能的に『ああこれなんてかわいいの!』と思って手に取ると必ずセキグチのぬいぐるみであるという法則があるのです。大体、わたしが『あっかわいい!』と思うものは洋服とか着てなくて飾り気がなくて、そのキャラクターがドボーンと丸出しになっている素材感とか、そういうのが多い傾向にあると思うんですが、セキグチは私のツボを知りすぎている。セキグチの作ったぬいぐるみ全部を私が好きというわけじゃないのですが、逆の確率は大変高い。絶対セキグチには『ぜったいコレ加藤さんひっかかるよ』課があると思います。それに逐一ひっかかってる私。さすがにぬいぐるみの衝動買いというのはなくなりましたが。
一度セキグチの見学に行ってみたいです。


[link:902] 2007年09月11日(火) 19:13


2007年09月08日(土)iTunesでもおせっかいカレンダー

繰り返します。
iTunesでもおせっかいカレンダーが買えるようになったようですー。どぞよろしくですー。

なんか喉がイガイガしています。なんででしょう。
毎夜、お腹を出して寝てるんでしょうか。
初サンマを食べました。


先日、フとテレビをつけたら数学の秋山仁先生が『音楽を数学的に分析する』というのをやっておられました。
ボサノバ、ルンバ、タンゴなどのリズムのアクセントを数学的に当てはめて理解したり、1オクターヴの12音を円形にならべて、4:3:5の直角三角形と3:4:5の直角三角形をつくってその頂点にくる音を同時にたたくと『きれいな澄んだ音がする』、『少し悲しく暗い音がする』と説明しておられました。それはどうもピタゴラスの定理だそうです。
で、最後は秋山先生もアコーディオンを弾いて、なじみのない合唱曲みたいなのをみんなで歌っていました。
すっごく意味がありそうで、でも結局それを知っても『へぇ〜』で終わってしまうどうでもよさで、面白かったです。さすが数学です。

[link:901] 2007年09月10日(月) 15:45


2007年09月06日(木)台風にご用心

10月13日のleteのライヴ『加藤千晶の二人三脚シリーズ”加藤千晶とのんき大将”』のご予約が本日開始になりました。
三回目を迎えた弾き語り企画、今回はなんと『のんき大将』こと川口義之さんとサシでのライヴです。この二人の二人三脚は一体何が飛び出すんでしょうか。見所いっぱいのライヴになることマチガイなしでしょう。限定20名のライヴですのでご予約はお早めにお願いします。詳細はトップページでどうぞ。

さて、またまたやってきました、台風の季節。
外ではびゅわびゅわと風が吹きまくっています。情報によるとこの辺りでは浸水することはまずないようですが、とりあえずベランダのメダカの瓶が水があふれるといけないので、よいしょ、よいしょ、と屋根の下へ移動しました。
子供の時に住んでたあたりは低めの土地だったし、近くに川があったのでけっこうよく道路まで水が来ていました。大人の苦労も知らず、こどもは楽しかったもんです。特に田んぼは、田んぼ部分とあぜ道の区別がつかずぜんっぶがでえかいプールみたいになって、どえらい泥水プールでしたがジャーブジャーブと遊んだもんです。
ある停電の夜には、台所の冷蔵庫の横に光るものが二つあるので近づいてみたら、ズブ濡れの野良犬が座っていたことがありました(どこから入ったのか?)。
またある台風の日には、ひよこで買ったのに想定外にニワトリにまで育ってしまい、コケコッコーコケコッコーと朝晩とにかくよく鳴いて家人を苦しめていたピーちゃんがオリごと吹き飛んでいなくなっていました。しかし、その日の午後には、道路をはさんだお向かいの人からキャベツつきで再びオリごとあっさり戻ってきて、家族をガッカリ、いや、安心させたのでした。
それもこれもある秋の日。

[link:900] 2007年09月08日(土) 22:00


2007年09月03日(月)

きのう、少年王者舘公演の終演後、天野さんとU5さん、Sさんでプチ飲みとなった。そこへ後から天才チェロプレイヤーの坂本弘道さんが合流。坂本さんはマルタくんやパスカルズなど何度もステージは拝見しているが、ご本人とはちゃんとお話しするのは初めてだった。奏でる音と、ステージ上で火花を散らす坂本さんを拝見すると、なんだかちょっとお話しするのはこわそう、と思っていたのだが、それが全くのまちがいであったことがよくわかった。ごめんなさい。
坂本さんはものすごーく優しく面白くおしゃべり好きなとても気さくな方であった。でもだからと言って、火花を散らしてチェロを操るあの人とまるで別人という感じではない。ちゃんと目の前でにこにことテレポーテーションやお気に入りダジャレベスト3について話す坂本さんと、あのチェロの坂本さんがバッチリリンクして、まことに素敵でイカした人物像をなして私の中にインプットされました。
そんな初めてちゃんとお話しした坂本さんに開口一番、『加藤千晶さんといえば、あの関島さんとの対決で有名な. . . . 。なんか作曲対決やったんだって?すごいね。関島さんが、「毎回絶対勝ちに行くつもりでやってる」って言ってましたよ。』と言われたのには驚きました。え、対決で有名?しかも関島さんがそんなことを?そんな. . . . 。なんか尾ひれがついてないか?そりゃ、関島さんにはよく挑んでいますけども。そして毎回負けてますけども。作曲対決も私のほうは大失敗でしたけども. . . . . 。
そんなに対決が有名(?)になっていたとは、信じられないけれども、うれしいからいいや。関島さんにはこれからも引き続き胸を貸していただこう。

[link:899] 2007年09月07日(金) 00:36


2007年09月02日(日)

お仕事ダッシュして、スズナリで本日楽日の少年王者舘の最終公演を観る。開演ギリギリで駆け込んで横っ腹が痛くなりながら客席に飛び込む。
観るのは2回目。毎度のことだが、少年王者舘の芝居の感想は『体感』でしか言うことができない。よかったかよくなかったかと聞かれればもちろんよかったと答える。でもよかったとかよくなかったとか、そういう感想はものすごくどうでもよいもののように思える。それよりも『何がやって来たか』というような感覚的に受け取ったことのほうがはるかに大きく、それをちまちま文字につむぐしかない。今から言おうとしていることもまさにそれで、多くの人は読んでも意味がわからないかもしれません。
天野さんは、少年王者舘は、根底に横たわるテーマというかやってることはずっと同じだ。変わっても変わってもまったく変わらない核というか管というかのようなモノがある。いや、反対で、その核というか管というかのようなモノがあるからやっている。今回の芝居はいつもよりよりイメージがくっきりはっきり伝わるように作られているようで1回目に観た時はその躊躇のない包みのない感じがちょっとハードボイルドだぜ、と感じた。2回目はそのハードボイルドさに自分を慣らしてから観る。当然だけど、よりはっきりとイメージが見え、1回目では像を結ばなかったモノまでくっきり浮き出して見えた。
ついにそれを言っちゃったか、と思うところもあった。
私の非常に非常に個人的な心の中にある尺度でいうと、もう6mmぐらい引っ込んでるはずのものがそこにむき出しで出ているために感じる痛さっていうか違和感ていうか知覚過敏っていうか、そんなもの。それに触るな、と思うものにも『触って見せる』。つまり今回はそういう作品であったということだ。新鮮でもあり、珍しくもある分類の引き出しにしまっとこう。
それから今回、石丸さん、カシワさん、いむじいといった古くからの人たちが出演している中、天野さんもずーいぶん久々に役者で登場して、なんかグッと来たのだった。なんか『ゆるぎのない確信のある新人さん(?)』を見るようなドキドキ感がないでもなかった。役者さんたちはみなかわいかったでした。
田岡さんの顔も見れたし。
しかしいざおなじみの顔を見ると、なーんか照れくさいのだ。だからいつも『久しぶりー』『よかったよー』とかあれやこれやということもナシに、『HPの更新が遅い』とか、『髪型がよい』とか、どうでもよいような話をして終わりになってしまう。しかし「歯のない神様」ハマジには会えず、少々ものたりない気持ちに。以上、感想そんなこんなでした。

普段、自分が表現する側にいると、自分も同じく、『根底にある内容』というのは驚くほどいつも同じことを歌っているにすぎないのだけど、だからこそ、それを『どのくらいのさじ加減にするか』ということがものすごく重要な部分を占めている。つまり例えば『あいうえお』という内容の歌を『あいうえお』と歌わずにどれだけ『あいうえお』にするか、ということ。
ピストルで『あいうえお』と打ち抜くか、あぶり出しで『あいうえお』と浮き出させるか。あるいは『あいう』で止めるか『あいうえ』まで出すか。
結局、自分が何かを見たり聴いたりする時には、常にその『さじ加減』を感じているのだということに改めて気がついたのでした。しかし、いつもいつもそのさじ加減ばかりにとらわれていると、熱した衝動がもったいないことになることもたぶんたまにある。だから時には衝動を衝動のまま出したほうがいいのかな、と思う時もあり、悩みはつきない。ああ、表現には、いや、人生にはバランスとコントロールが重要だけども、バランスが良すぎても気持ち悪いのだ。なんと難しいことか。

[link:898] 2007年09月03日(月) 23:34

2003年6月16日までの日記


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