忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2007年05月28日(月)伊東に行くならハトヤ最終回「ハトそしてネコ、しかしハト」

ずいぶん寝ぼけたような間が空いちゃいましたが、ハトっ子通信、最終回です。
チャッピーオンステージや海底洞窟温泉など、めくるめく蜃気楼のような体験の後、お部屋に戻った私たちでしたが、お部屋に一歩入るなり感動したことがありました。それは. . . . 窓辺のサイドテーブルの上に冷えたグレープフルーツのデザートが置かれていたのです!大体こういうホテルはお夕食に出ている間にお布団が敷いてもらってあり、ハトヤももちろんそういうシステムでしたが、デザートはお部屋で. . . .という演出まで施されているとは
なんと心憎いのでしょう!確かにあのお食事の品数のわりに、テーブルにはデザートがなかったんでした。とはいえ、私たちはお食事の後、社交ダンスパーティーののぞき見や、お土産売り場や、食べる気もないくせにハトっ子ラーメンのお店(サンハトヤのHPにはなぜか出てないけど、確か『波止場(やはりシャレか)』って名前だったような. . . .)や、ゲームセンターのマリンファンタジーなどをいやというほど探検していたので、グレープフルーツは若干ぬるくなっており、さきほどの大漁の、いえ大量のお食事がまだぎゅうぎゅうにお腹につまっており、『明日の朝食べようね!』と、とりあえず冷蔵庫にしまっておくことにしたのでした。それからしゃべり続けること数時間、そして気がついたら翌朝でした。
そもそも、チェックインの時に、さんざん朝ご飯は8時半までと言われていたのです。ですが、目覚めた時はすでに8時15分でした。とりあえずボサボサヨレヨレの姿で這うようにまた昨日の夢の跡、レストランシアターへ駆け込むと、そこではゆうべのキンキラ舞台は嘘のようにオーラが消えており、ものすごーく雑然とした、まるでどこかの社員食堂のような様を呈しておりました。私たちが入っても、誰も見向きもせず、バイキングのはずの料理も並んでいないのです。やはり10分前では、もう片付けられてしまったと思い、通りがかりの従業員さんに「もうごはんはないのでしょうか?」と聞くと、「ああお料理は前方ステージのすぐ前にございます」との返事。なるほど食堂が広すぎて向こうが見えなかっただけか。ああ、チャッピーも今頃ごはんなんか食べてくつろいでるかなあ、などと思いながら、とりあえず和洋折衷の料理を和洋折衷のままあれこれ食べました。白いごはんもおかゆまでありましたが、パンとめんたいこ、じゃこ、卵焼き。そしてお味噌汁。うーん。おかゆは中国からの団体さん向けか、それともお年寄り向けでしょうか。そして私たちがほぼドベでノロノロ、もさもさとパンを食べ終える頃には、食堂全体がほぼ後片付けモードになっており、従業員の人たちが世間話をしながらおかずの味見をしていたのが印象的でした。
さて、そんなこんなで部屋に帰り、窓をあけて朝の清々しい空気を入れていると、どこからか聞き覚えのある不吉な音が、『デデッポロロ. . . .デデッポー. . . . バサササ』
うわっ!!!!!!!!!(私はハトが大の苦手。)
開け放った窓辺に数羽のハトが寄ってくるではありませんか。ハトだよ、ハト!ハトだよハト!ししししし閉めて閉めて窓!
そうなのです。そういやここハトヤじゃん(窓のハトとは関係ないかもしれんけど。)!昨日は暗くてハトももう寝ていたので気がつかなかったんでしょうが、ハトの奴らは、ちょっと窓が開くとすぐ何かもらえると思ってやってくるのです。冗談じゃない、オマエラにやるもんなんかひとかけらもないわ!もう人の迷惑も顧みずどこでもデッポーデッポーやってくるたあどういう了見だい!
ああ. . . . . そういえば、改めて、ここはハトヤ(気づくの遅っ)。昨日からラーメン屋もハトバだったし、ハトっ子ラーメンだし、お土産はハトまんだし、ハトづくしだ。
いや!考えてみれば、前回Pちゃんと旅行した奥多摩バードウォッチングブルーズも、そういえば泊まったのは国民宿舎『鳩の巣荘』!そしてお食事は『鳩の巣コース』だったじゃないか!そしてルリビタキを探し求めたにもかかわらず、いたのはハトばっかだった. . . . . . 。
これは!この偶然は!いや、これは偶然か?ハト嫌いの私に対する誰かの陰謀ではないのか?
ハトが嫌いだっていってんのに、鳩の巣荘に泊まり、鳩の巣コースを食べ、ハトばかりを見て、その次の旅行にはハトヤに泊まり、食事中にステージで生バト数十羽に頭の上を羽ばたかれ、呼んでもいないのに朝っぱらから窓辺にハトがやってきて嫌がらせをされる。これはこれは、一体どういうことだろう。ハトの呪いか?それともハトに好かれている?ああ、気が、気が、くるう!
とりあえず逃げるようにチェックアウトしました。
そして、ホテルを出た後、また気がついたのです。冷蔵庫のグレープフルーツを食べなかったことに. . . . 。
そう、すべて、ハトのせいです。マナティーを見るのを忘れたのも(4/23日記参照)、ワニのぼりがあがってなかったのも(4/24日記参照)、チャッピーも(5/1日記参照)、グレープフルーツを食べるのを忘れたのも、電車を堂々と勘違いして乗りそこなったのも(そんなことが?)、こけしを3個も買ってしまったのも(そんなことも?)、キーホルダーだけで3000円も使ってしまったのも(へえ)、そもそも、私が完全にTシャツとデニムでダラーっと来たのに、Pちゃんがタイトスカートにトレンチコートを着てハイヒールでカツカツカツってきたのも!(方や風呂上がりの散歩、方やプチセレブの休日、なんじゃこの二人。そういえば前回の奥多摩BWBの時にもPちゃんは正しいトレッキングアンドバードウォッチング、私は下駄履きだったんだ。). . . . . . 云々、以下ぶつぶつぶつぶつ. . . . . .

しかし旅はまだ終わりではない。とりあえず観光しなければ、ということで、伊東の町を歩き回りました。そして誰も人のいない観光地かどうかわからないエリアにふるーいふるーい民芸品アンドおもちゃアンドよくわからないもの屋さんを見つけ、そこでおよそ1時間半ほど過ごしてしまいました。出てくるもの出てくるもの、ハンパじゃない代物で、骨董、ガラクタ、ただ古いもの、売り物じゃないもの、とりまぜて手が真っ黒になるまで見尽くしました。おかげで、あろうことかこけしを3個も買ってしまい、よくわからないネコちゃんの鏡も買いました。置くとこもかけるとこも無しですが。
そしてその後、その辺の何かを見ようということになったのですが、特にこれと言って興味を引かれるところがなく、無理矢理選んだ最後の選択が『ネコの博物館』か『ジュディオング記念館』になり、結局『ネコの博物館』へ行きました。
ネコの博物館はどうやらネコ研究の施設に併設されているもののようで、大きく分けると『剥製』のコーナー、『いろんな種類のネコがいて触れ合える(←でも一部だけ)』コーナー、そして、お約束の『あらゆるネコグッズを展示した』コーナーの3つがありました。
そしてまず入った途端、『剥製』。ものすごい量のネコ科動物の剥製が展示されており、剥製独特のこわいような臭いにクシャミが止まらなくなりました。巨大なガラスケースにライオンやトラやヒョウやチーターや原始のネコやピューマやとにかくヤバイ目線の剥製がデンデンデンといて、ほんとにこわい。夜はおばけ屋敷よりこわいかもしれないぐらいで、思わず息を止めて早足で通り抜けました。
次は『触れ合える』コーナーで、ほとんどペットショップと同じようなフロアがあって、ネコと触れ合える部屋がありましたが、人のうちに遊びに来てネコを触っているのとほとんど変わらないのと、他のお客さんもただのネコ好きで、自分の家のネコ同然にその辺のネコを独り占めして触っているのとで、どうもその場にとけ込むことができませんでした。
そしてやはり最後は『ネコグッズ』のコーナーで、本当にありとあらゆるネコの置物なおが完全に雑多に置かれていて、つまり、ある意味、博物館だな、と思いました。
帰りはバスがなかなか来ず、駅までの道を途中までとぼとぼと歩いて帰りながら、やっぱりジュディオングのほうへ行けばよかったかな、とちょっと思いました。

そう、この旅はいつにも増して、大変楽しい旅でした。いつにも増して興奮し、そして脱力しました。起きるイベントはことごとく嘘のようで、いちいちツッコンでいたらまったく前に進まないほどで、まして日記になど書ききれません。
なんだかここまで書いたところで、もう読み返す元気がなくなりましたので、これにて終了とさせていただきたく存じます。
長々と読んでくださったみなさん、どうもありがとう。
来年はハトじゃないところへ旅立ちたいです。


[link:846] 2007年05月31日(木) 00:07


2007年05月23日(水)ロボっ子スピーカー

20日のライヴが終わり、月末締切の仕事にとりかかるところが、いままでスピーカーがわりにデスクに置いて使っていたラジカセが壊れて音が出なくなってしまった。
とりあえず、無いと困るので、秋葉原へ見に行った。
秋葉原はずいぶんかわったのね。しばらく来ないうちに。外国の人も相変わらず多かったけど、こうして見ると、明らかにアニメオタクのような人は日本人も外国人も大体雰囲気はおんなじに見える。ちょっとぽっちゃりして髪が長くて眼鏡をかけている。女の子とかは特によく似た雰囲気。
よくテレビで見るメイドの格好で頭に耳をつけてなんか配ってる女の子もいたんだけど、Oちゃんがそれを見て『あれってネズミ?』って言ってたのが面白かった。ちがう!猫です。ネズミ少女はいないと思う。いや、でも、いくら世界的に秋葉のメイドが有名だっていったって、まったくキョウミのない人にとってはメイドもそんなもんなんだよね。そりゃ私だったら、甘ったるい猫じゃなくて、ネズミの耳ととんがり口もつけるけどね。
まあそれはさておき、結局スピーカーを買うことにした。当初はまたラジカセを買おうかと思ってたのだけど、ラインインのついてるラジカセはわりと数が少ない上に、考えてみればCDもmacで聴くし、カセットはほとんど使わないし、MDもそんなに使わないし使う時もポータブルのやつがあるからそれでいいので、別にラジカセを買う必要はないことに気がつきました。ラジカセを買う金額でスピーカーを買えば、音の面ではラジカセよりよいはずとの助言もあったし、そもそも、その場所に必要なのは高価で上等なスピーカーというより、音が素直で小型で使い勝手のよいスピーカーがいいということもあって、ROLAMDの小型のスピーカーを買い、一件落着。
左右に並べてみると、どうもロボットの顔に見えます。もう片一方は歯がゲジゲジだ。左右に揃うとロボ子とロボゲジです。



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[link:845] 2007年05月28日(月) 20:36


2007年05月21日(月)みなさまどうもありがとう

今日のライヴ、無事に終了いたしました。
ミオフー、レムスイム、木下さん、とそれぞれにまったく個性のちがうバンドがそれぞれのカラーと持ち味を存分に持ち寄ったイベントで、とても楽しかったです。
私ももちろんがんばったことはがんばったんですが、個人的な反省点は例によって次回のライヴでリベンジ。
しかしとにもかくにも、ご来場くださったみなさま、どうもありがとうございました!
そして企画してお誘いくださったH氏、共演者の方々、スタッフのみなさん、ありがとうございましたー。

[link:844] 2007年05月23日(水) 23:08


2007年05月20日(日)

5月20日、今日は渋谷の公園通りクラシックスにて、イベントライヴに出演します。日曜日なので開演が早いのでご注意ください。私の出番はおおよそ6時40分頃だそうです。
お時間のある方はお出かけのついでにぜひお立ち寄りくださいまし。親指削れてるけどグランドピアノでがんばります。

今朝、メダカ鉢の睡蓮が咲きました。やったー!


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[link:843] 2007年05月21日(月) 01:29


2007年05月17日(木)

きのうは三茶へ活版に関する展覧会を見に行った。活版のよさをもっと広めて、再生していこうという主旨の展覧会。活版というと真っ先に思い浮かぶのはなぜか「銀河鉄道の夜」でジョバンニが活版所で活字を拾うアルバイトをしている場面(←単純)。
昔は印刷ってほんとに大変な頭脳と肉体両方の労働だったんだな、と思う。今でもある意味肉体労働の部分は多分にありそうですが、技術的にはずいぶん楽に幅広いことができるようになったのでしょう?
でも、実際に活版の機械とか活字とか間近でみると、やっぱりすごい。デジタルではぜったい出ない肌触りがあると思う。お友達のグラフィックデザイナーが活版を使った作品を出品していたのだけど、その活版の肌触りをすごく飲み込んで、「ただの昔のモノのよさ」を伝えるだけではない、作品としてすごくいいモノになっていた。他にもいろんな人が出していたけど、私はお友達の二人のがダントツによかったなー。
私のイメージが安直にジョバンニに結びつくように、活版というとやはり文学的なイメージというか、詩的な雰囲気が強いのか、そういう表現をしているアーティストな人も多くて、まあそれもひとつの技法と思うけど、私個人としては好みじゃないのでした。あくまでも独断と偏見に満ちた感想。

そんなこんなで、まったく別の話ですけど、また指を削っちゃった。前は包丁で小指。今回はおろし器で親指。イッテー!
いつもすごく気をつけているのに、なんてこった。おろし器も大根おろしをやってたんじゃなくて、大根サラダを作ろうと思って細めの拍子木切りカッターをつけてて、それでやった。
私はヨーチン派なので、飛び上がりながらヨーチンを塗った。小さい頃からうちにはヨーチンしかなくて、ケガをするともんんのすごーーーーーくしみるのが当たり前だったのだが、友達はみな赤チン派で、塗ってもしみないからいいなあ!!と本気でうらやましかった。母に何度赤チンを買ってくれと言っても「しみないと治らない」という無茶苦茶な理屈のもと、ヨーチンを塗られ続けた。一時世間で赤チンは水銀がナントカカントカで製造中止になった、ということがあったが(今はまた製造されているようです)、その時になってはじめて、普段赤チン慣れしている甘っちょろい近所のガキどもに「ふん、ザマアミロ」と思ったことを思い出します。
そんなことを思いながら早二十数年、私もやはり「しみないと治らない」というデタラメな観念にとりつかれ、今日もヨーチンを塗るのです。あまりにもしみそうなヒドイ傷は、傷の横の関係ないところを激しくつねりながら、そっちに気をとられるようにして塗ります(どっちみち痛いのは自分だけど)。
ライヴまでに治りますように。

[link:842] 2007年05月20日(日) 01:12

2003年6月16日までの日記


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