忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

HOME

2004年11月16日(火)

久住さんが作っているアルバムに、もう一曲コーラスをしに行った。この間、『GAIJIN』というのをやったが、今日は『引越し大正解』。この曲は久住さんがやっているバンドのみなさんが全面参加で、そこに私もコーラスをやらせてもらった。やっぱり久住さんのうたはいいなあ。イキオイっていうか、なんていうか、ハートがある(ダサっ)のがよく伝わってきて、録音もとても楽しかった。できあがりが楽しみです。

[link:328] 2004年11月16日(火) 23:35


2004年11月15日(月)

近所のお店で買い物をして、¥11,000払った品物が家に帰って値札を見たらほんとの値段は¥7,800だったことが判明した。
どうしようかなあと思ったが、約3,000も違うとさすがにそれはちょっとなあ、と思い、電話をしてそのことを伝えると平謝りで、『すぐに差額をお返しします』とのことだった。私としてはもうそれで充分で、別に怒ってもいないし、これから気をつけてくれればそれでいいや、と思ってお店へ行くと、店のオーナーが出て来て『本当ならばこちらから伺わないといけなかったのに、本当に申し訳ないので』とめちゃくちゃ謝ってくれて、差額と、お詫びに、とお買い物バッグやらケイタイストラップやら、お店の商品をいろいろくださり、更になぜそんなお店にそんなものがあるのかよくわからなかったが、『今、ちょうどみかんと柿があるのでこれもどうぞ』と袋にたくさんみかんと柿もくれた。
そんなつもりで行ったわけではなかったけど、店先で押し問答しててもなんだから、ありがたくいただいて帰った。なかなかよいお店だ。でもこれからは3000円も値段をまちがえてつけないでほしい。

[link:327] 2004年11月16日(火) 23:31


2004年11月13日(土)銭湯ハシゴ

先日、前々から実行したかった銭湯のハシゴをやった。
一軒目は上野の松の湯。古い路地の残る東上野と呼ばれるあたりにぽつーーんと、ほんとに民家に並んであるふるーい銭湯。日が暮れると入り口の電灯がぽっと灯る。暖簾だけの玄関をくぐったら、入り口からすでに男湯と女湯にわかれて入る構造になっている。外にはババ車(おばあさんが押してるやつ)。がとまっている。暖簾をくぐるといきなり『第十回手品発表会』という手描きのポスターが貼ってあって、一瞬いつの時代のことかと思ったが、ぜんぜん今のことだった。街の手品愛好家たちの発表会らしい。しかも十回目。行きたい。中は至って普通。というか、ずっとこのまま昔から来たんだろうけど、そのまま普通に今もやってる。もちろんお年寄りしかいない。最近の銭湯は衛生上の問題か何かわからないが、腰掛けのないところ(必要な人は持参する)が多いが、ここは腰掛けも気前よく積み上げてあり、いい感じだった。いい気分で電車に乗り、二軒目へ。
と向かったが、途中の古本屋に思いっきりひっかかり、手が真っ黒になるまで品定めする。古本屋のおじさんがまた商売っ気がぜんぜんない人で、いろいろとおせっかいに本を勧めるのだけど『いらないんだったら買っちゃいけないからね。ね。でももし欲しいんだったら、それもこれもうんと(値段を)下げちゃうからね。どんどん言ってね。でもいらないんだったら。。。。』とずっと同じことを繰り返していたかと思うと、急に『おじさんちょっと車を動かしに行ってくるから、見たいだけ見てってね。』とどこかへ行ってしまったりした。結局、お目当ての本を次々と半額に負けてくれた。
手が真っ黒になったところで、次に行ったところは北千住にある「梅の湯」。北千住は銭湯の街と言われるぐらい、古くて立派な銭湯がたくさん残っていて、銭湯マニアにはたまらない街のようだけど、私は別に古くて立派な銭湯にはそれほど興味はない。もちろんそういう立派な所は所で素晴らしく、日本の文化の一端だと思うが、そういう意味で方々でとりあげられている銭湯はもういい。私が行きたいのは、ずうっと昔から昔のままのスタイルで営業し続けていて、あくまでも地元の人が毎日通う銭湯。別に立派な唐破風がなくても、立派な富士山がなくてもいい。という感じで探し当てたところがこの梅の湯で、ここもそうとう古いが、ぜんぜんその古さ立派さをウリにしてなくて、場所もすごくわかりづらい。行ってみると煙突は見えるのに入り口がなかなか見つからず、周りをぐるぐるまわってやっと入れた。玄関の外にはやはりババ車。戸にはここにも「ナントカお楽しみ会」のポスター。出演者として写真のあるマジシャンや演歌歌手も誰ひとり知っている人はいない。入ると、お風呂の中では、早々に出ようとする私たちにおばあさんが『あら、あなたたち、もう出るの?私なんかは30分は絶対入るわよ。』などと話しかけてきたり、
脱衣所では番台のおじいさんが、いつもばあさんの裸ばかり見ているせいで、私たちなんかでもマシなほうなのか、終始チラ見していたりで面白かった。下町のお湯は、噂には聞いていたけどやっぱり熱いねえ。

[link:326] 2004年11月16日(火) 23:23


2004年11月13日(土)

きのう深夜に、録画しておいたDr.コトーを観る。以下、内容に関して触れるところが多いので、ビデオに録ってまだ観ていない人は読まないでください。
いろんな人の日記で「はじめの2分で号泣」「開始から20分ですでに号泣」など恐ろしい文章が並んでいたので、どきどきしながら観たが、私の場合、おそろしく号泣、というところはなかった(いや、なかったというのは嘘か)。が、反対に最初から終わりまでずううっっっと涙腺がゆるみっぱなし、という感じだった。おじい(レギュラーでやってた頃に死んじゃった)が前に編んでくれた草履がアップになってはウルウル、なんにもない空と海と牛が映ってはウルウル。しかしそんな中、今回手術を受けるであろう人物が番組前半から早々とその兆しを見せていて、しかも原因の病気も見当がつき、いつその人が倒れるのかかなり長い時間ヒヤヒヤしながら観なければいけなかったのが苦痛だった。その割に実際倒れるシーンのなんと長いことか。もう倒れるってずっと前からわかってるんだから、さっさと倒れて早く手術にとりかかってくれ!と思いながら、手術中は終わりを部屋の外で待つ小林薫の気分だった。ああ、これはつらい。後半はウルウルから「レギュラー泣き」モードへ切り替わり、以後ずっと泣いていた。言っときますがまだ「号泣」ではないです。

[link:325] 2004年11月13日(土) 14:25


2004年11月12日(金)

都内某所にてアルバムに関するミーティング。目標にむけて考えるべきことはいろいろあるなあ。がんばらねば。

安くておいしい中華料理屋さんでごはんを食べた。山イモと豚肉の炒め定食を注文。サクサクの山イモがゴロゴロ入っていて、ネギもいっぱいですごいおいしかった。てんこ盛りの炒めものにてんこ盛りのごはんに冷や奴にお味噌汁におしんこで730円。とても食べきれないボリュームでおいしくて安い。600円の唐辛子ソバというのも酸辣湯麺(?)の豆腐抜きのみたいで、すごくおいしい。おいしいけど辛い。辛いけどおいしい。

[link:324] 2004年11月12日(金) 23:22

2003年6月16日までの日記


Copyright©2001-2003 Chiaki Kato, All rights reserved.
Contact Us
Do you know DonutFilms?

k-diary script by Office K.

※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。