忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2013年03月02日(土)かんぴょうの皮

「かんぴょうの皮をむくうた」を作った夢をみて、夢の中では「けっこういい曲」で、「よし、これは起きたらすぐにメモしよう。いや、メモでなくて、ボイスメモしよう」とまで思っていたのに、起きたら1mmも憶えてませんでした。

「歌の雰囲気」だけはなんとなく憶えていて、意外にセンチメンタルな曲で、ただかんぴょうの皮をむくっていう状況を歌ってるのではなく、サビのとこが、たぶんだけど「かんぴょうの皮をむく日もある〜」とかいうようなふうだったような気がぼんやりしているのですが、もう思い出せない。

Twitterでそうつぶやいたら、「いっそ今のそのもやもやごと歌にすれば」などとの意見ももらったのですが、それだと、やっぱりどうしても自分に都合のよいように(?)ある程度オチがあって歌として面白いように考えて作ってしまいそうで、いまひとつなのではないかな、と思うのです。
あの夢の中で盛り上がってた(わりにたぶんぜんぜんカスみたいな)曲のバカバカしさにはかなわない気がしますものね。
って、夢の中の歌も自分が作ったには変わりないんですけどね。
あ、しかも、夢って「見てる時間は一瞬なんだよ」って聞いたことがありますが、本当はどうなんでしょう。
だって、夢の中で作った歌を歌うだけでもう数秒は確実に経ってるけど。
実際には歌ってないのかな。
ということは、夢の中では一瞬で曲ができるのでしょうか。
夢の中では夢のようです。

[link:1301] 2013年03月09日(土) 15:39


2013年03月04日(月)ゴンチチさんありがとう

1月に沖縄へライヴへ行った時、ちょうどライヴ当日の26日の朝というすごいタイミングで、またゴンチチさんが『蟻と梨』から曲をかけてくださいました。

パーソナリティをつとめられているラジオ『世界の快適音楽セレクション -南国の音楽-』で、『おばけのメロディ』をかけてくださったそうです。(世界の音楽セレクションオフィシャルサイトのバックナンバー10/13「ロバとラクダの音楽」、1/26「南国の音楽」をご参照ください。)

この番組では、昨年10月の『ロバとラクダの音楽』の回でも『I Want To Be Your Sunshine』をかけていただいていて、まさかの2度目!
感激なのです。
しかも初めての沖縄ライヴ当日に『南国の音楽』の回でかけてくださるなんて、偶然にしたってイカシすぎています。

『世界の快適音楽セレクション』は、いつも一筋縄ではいかないすばらしいセレクトで、有名な曲も知ってる曲もまだまだ知らない曲も、ひとつのテーマやカラーを通して聴くことで、それがたとえ「なんでこの曲がこのテーマで?」と思うような不思議な選曲であっても、聴くとやっぱりその素晴らしさを再認識したり、意外な楽しさや「あ、そういえばそうか!」というような新しい味わいの発見ができる、というそれは素晴らしき素敵な番組。

ふだんそんなに会えない遠くの友達や、しばらくごぶさたしているあちらこちらの人たちがたまたま聴いていたりして、連絡をくれたり、というのもまたうれしいことのひとつです。

そんな番組でかけてくださるなんて、ほんとうにうれしく、一生の自慢になるなあ、などと思っております。

ゴンチチさんや番組スタッフの方々にこの日記という場を借りて、心からお礼を申し上げます。

[link:1302] 2013年03月25日(月) 13:51


2013年03月24日(日)珍道中

いつも3月下旬あたりにはleteのライヴをするのですが、今年は24日の日曜日になりました。
この日は誕生日で、でも誕生日ライヴなんていうと、来てくれるひとが気を遣うんではなかろうかと思いできるだけ静かにしていたのですが、たくさんの方がライヴに来てくださり、それ以外にもほんとにみなみなさまから心のこもったお祝いのお言葉やメッセージ、プレゼントなどをいただだき、それはそれはうれしい誕生日になりました。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。

43歳、という、自分がそんな歳になるわけない、と思っていたような歳になりましたが、改めて43年前に私をこの世に登場させてくれた両親に、
これまでと今とこれからもわたしと出会ったりすれちがったりしながらどこかでわたしとつながってくれているすべてのひとに、
まわりの愛おしいすべてのものごとに、心から感謝します。

そしていつもと変わらず、こうして目を覚まし、ごはんを食べ、靴を履き、おしゃべりし、町に出て、ライヴができるということが、じつはとても有り難いことなんだなーとつくづく思うのです。

しあわせのかたちはいろいろあると思うけれど、ありがとうって思えることはとてもしあわせなことで、わたしはありがとうって思えば思うほど、しあわせにしてもらっているのだと思います。
ライヴだって、なんだって、自分が楽しくなりたいから、みなさんの力をお借りしているのです。
だから、そのありがとうを、わたしも誰かに使いたい。
たいしたことはなんにもできないんだけど、うれしい気持ちはためておくより使おう。

わたしのだいすきなひとたち、しらないひとたちや、仮にもいまはあのやろう、と思うようなだいきらいなひとたち(がいたとしてもね、仮に)だって、やっぱりしあわせでいてほしい。
そうだといいなあ、と思います。

そのためにはやっぱりわたしが楽しくないとなあ!
と、結局、自分かい!という強欲さを改めて認識する、という堂々巡り。
そんなこんなしながら、またわたしの珍道中がはじまります。

みなさま、いままでありがとう。
そしてこれからもありがとう。
どうぞよろしくおねがいします。

[link:1303] 2013年08月14日(水) 00:20


2013年08月13日(火)そしてまた珍道中

暑い盛りの、夏のツアーを終えて、ちょっと日記でも書こうかな、と思ったら、前回の日記のタイトルも珍道中。
一体どんだけ珍道中なんでしょう。
年柄年中珍道中。
ネンガラネンジュウチンドウチュウ、ってなんかとても語呂がいいですね。

そんなことはどうでもいいのですが、今回の珍道中は、2013年夏、「加藤千晶&ブラウンノーズのガッタントン珍道中」なのです。

かれこれ、ブラウンノーズに出会ったのは、おそらく、2枚目のアルバム「ライラックアパート103」が出た後。
なので初めて彼らをライヴに誘ったのはおよそ10年ぐらい前のようです。
あの、初めてブラウンノーズを観て、聴いた衝撃は忘れません。
それから、なんとか彼らと一緒になにかやりたい、と3枚目の「おせっかいカレンダー」にコーラスで入ってもらいました。
その時には、まだちゃんと本格的に参加してもらえるようなシステムがどちらにも整ってなくて、コーラスだけだったのですが、ライヴには時々誘ったりしていたと思います。
なにせ、ブラウンノーズはライヴが少ない。
なので、なんとかブラウンノーズのライヴを観ようと、半ば強引に自分のライヴと対バンでブッキングしたり。
それでもさすがに地方へはなかなか行けなかった。

で、去年、「蟻と梨」には、コーラスだけじゃなくて、演奏やアレンジやアイディアなんかも一緒に作ったりして、さらに一緒にツアーに出たい熱が高まったのでありました。
そんな時、レコ発で行った名古屋のTOKUZOで、「千晶さん、ブラウンノーズが名古屋で観たいんです。どうか名古屋にブラウンノーズと一緒に来てください」と言ってくれたお客さんがいました。
そこでじゃあ、ぜったい来年はブラウンノーズと来るね、と約束。

果たして今年の8月、お盆休みもはじまろうという猛暑の名古屋、大阪へブラウンノーズとの対バンツアーが実現したのです。

大人数のバンドでのツアーはそれはやっぱり大ごとで、体力も気力もいろいろ大変です。
特に今年は日本全国、最高気温をマークしただのしないだの、という猛暑で(ツアーの日程を決めた時は今年の始めで寒かったから、あんまり気がついてなかった)、一緒にまわってくれたメンバーのみなさんも本当に大変だったと思います。

それでも、ほんとにやってよかった。
わたしが一人で喜んでいるだけかもしれませんが、このメンバーで珍道中に出かけることができて本当にうれしかったです。

また、今回のツアーでは、思いがけない人たちがたくさん観に来てくださって、それもすごーくすごーくうれしかった。
なかなか普段会うことのない名古屋や大阪の人はもちろん、遠くに住んでいる人、東京からわざわざ応援に駆けつけてくれた人、何年も会っていない同級生、ひょっとしたらもう会えなくなってしまうかもしれない、と一時は本当に心配した人、本来ならこの時間にここに来られるはずのない人、それから、いつか会えるといいなあ、とぼんやり思っていた半分夢のような人などなど、あの場所で会えたすべての人たちと過ごした時間が、ほんとに素晴らしかった。

時間や距離を飛び越えていろんなものをみなさまからもらったりお返ししたり、知らされたり知らせたり、助けられたり助けたり〜♪みたいな。
距離も時間も関係なく、知ってる人も知らない人も、どこかで手を振れば誰かが振り返してくれたりなんかして、演奏しながらステージ上を振り返ったり、お客さんの顔を見たりして、なんだかいいなあ!と心から思ったのでした。

誰かがそうしてくれるように、私もどこかの誰かの「いってきます」や「ただいま」に「いってらっしゃい」「おかえり」と答えたい。
「チッ」と誰かが舌打ちしたら、「おうおう、どーしたんでい、おいらもムシの居所が悪いんでい」と酒でも酌み交わして毒を吐き出したりしたい。

ただの町のちっぽけな挨拶だけど、そんなちっぽけなコール&レスポンスがしあわせの原点じゃないかと思うのです。
こんなふうに思わせてくれるまわりのみなさん、ほんとにありがとう。
一緒に演奏してくれるメンバーのみなさんに、私たちの音楽を聴いてくれるみなさんに、場を用意してくれるみなさんに、私と出くわし、手を振ったり口笛を吹いたりウィンクをしたり挨拶を交わしてくれるすべてのみなさんに心から感謝します。

みんなで珍道中しましょう。
みなそれぞれの珍道中の途中で、声をかけたりかけられたり、迷惑かけたりかけられたり、傘をさしかけたりさしかけてもらったり、お醤油を借りたり貸したり。
それこそ珍道中のしがいがあるというものです。



[link:1304] 2014年05月13日(火) 22:11


2014年05月13日(火)お引越はたいへんだ・1「現場はモノで溢れてんだ!」

あれよあれよと時は流れ、気がつけば2014年もとっくに明けて、あと少しで半分ぐらいにもなろうとしています。
といったところで、毎日、概ね浮かれて過ごしているわたしですが、今年の春、お引越をいたしました。
音楽を作る環境の快適化と、機材があふれてきちゃったことで、引越を思い立ったのは去年のはじめのこと。
でも、思ったとおりの条件を全部満たすような物件なんてそうそうあるものではありません。
結局1年近く物件を探し続けていたことになります。

楽器は弾けないと困る、広い、駐車場も!あ、陽当たりもいいほうがいいなあ、冬は暖かいほうがいいもの。でも夏は涼しいほうがいいよね〜。築年数もあんまり古すぎるのも困るし。で、駅から近くて、仕事でよくいくスタジオとかにも行きやすくて、ライヴでよくいくあたりにも行きやすいとこ希望。うーん、あと、隣のひともいいひとだといいわあ。もちろん家賃も重要。すごく重要。
ネットであらゆるサイトをみまくり、見に行ってはああでもないこうでもない、って言ってる間に下手な不動産屋さんより物件に詳しくなり、出してもらう物件ことごとく見たことある、というとてもやりづらいお客になってしまい、やりとりしてくれていた何人もの不動産屋さんがフェイドアウトしていってしまいました。

そんな中で、ひょんなことから内見に応じてくださったとある不動産屋さんのOさん、この人に救われました。

物件を一緒に見に行ってくれて、そこのいいところも悪いところも全部教えてくれて、ここはちょっとやめたほうがいいかもしれませんねえ、などと言い出す商売っ気のなさ、そして「あわてて探すことはないので、ゆっくり自分に合うところを探してください。内見は早朝でも夜中でもいつでもおつきあいします。」という涙の出るようなことまで言ってくれるのでした。
あげく、都合で途中何ヶ月間か物件探し自体を中断したりもしたのですが、その間、フェイドアウトすることもなく、付かず離れず待ってくれるというありがたさ。
結局、私たちが中断している間に、Oさんは颯爽と独立して不動産業をされることになり、よりフットワークが軽くなったのか、ますますこちらのワガママにもつきあってくれるようになり、最終的には12月30日、という暮れも押し迫った、普通ならとっくにお休みモードのさなかに内見につきあってくれたり、お正月をはさんでの契約作業もすばやく進めてくれたりで、ようやく、ほんとうにようやくめでたくお引越ができることになったのでした。
物事の決まる時というのは早いものですね。
あんなに探していたのに、その物件が出たのがクリスマス、内見に行ったのが晦日、そしてお正月あけには契約の交渉と相成りました。
当初さがしていた地域ではなかったのですが、いろいろな条件がとても都合がよく、そこに移ることにしたのでした。
Oさんにはほんとうに感謝しています。

さて、めでたく物件が決まった。
次は引越。
客観的にみて、荷物はまあ多い方だと思うけれど、ちょちょっと断捨離すれば、たいしたことないよね、と思っていました。
だって大事なものだけを持っていけばいいんでしょう?
この部屋の中にあるものはぜんぶ大事なものだから、このままあっちの家の……え、どの部屋に?

驚きました。
古い家では、わたしはリビングで仕事をしていたのです。
というか、最初は仕事部屋がちゃんとあったのです。
でもそこがいつの間にか、使う頻度が低い鍵盤や機材、本棚に入りきらない本、あと大事なものと洋服の荷物部屋になってしまったので、わたしがリビングにはみ出てきてたのでした。ということは、つまり元仕事部屋の現在は、一部屋まるごと荷物。
そして、新しい家は部屋の数は同じなのですが、そのうちの一部屋は防音室で完全に仕事のスタジオ仕様にすることになっているので、いままでのようにまるまる一部屋を荷物部屋として使うなどというのが許される部屋はないのです。ということは、機材類はいいとして、わたしの「本棚に入りきらない本」や「洋服」や「大事なもの」は一体どこへ行ったらいいんでしょうか?
首をかしげていたところへ、「今度のあっちの家のスタジオには、音楽に関する以外のムダなものを置くことを一切禁ずる。」という家人の言葉。
家人の機材なども当然そこに置くわけですから(今までは自分の部屋にぎゅうううっと置いてた)向こうも真剣で、言葉には「このせっかくの防音室をオマエの荷物置き場には絶対にさせん!」という殺気がありました。
「だ、だよね〜…。」
大変なことになりました。
ちょちょっと断捨離、というレベルでは完全にありません。
逃げたい。ここから、この荷物から逃げたい。
そしてまだなにも始まっていない引越の騒動は始まるのであります。

[link:1305] 2014年05月16日(金) 13:58

2003年6月16日までの日記


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