忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年04月14日(水)四国〜尾道の旅「なんじゃこりゃ日記」その3・そして観音寺

さて翌日はこんぴら歌舞伎に後ろ髪をひかれながらも(前日寄ったスーパーのおじさんに参道でばったり会い、歌舞伎を見るよう薦められる)何はともあれうどんを食べて、観音寺へ行き、愛媛の道後温泉まで行かなければいけないのでとりあえず琴平を出発する。
まずはうどんを食べようとホテルで教えてもらったうどん屋さんの住所をナビに入力し、勇んで出かけたけれども、ナビはどうしても神社の境内に入らせようとする(鳥居があってその先はどうしても神社)。
まさか神社の境内にうどん屋さんはないだろうと思いつつ、よく、香川の讃岐うどん屋さんは「思いもよらないところに普通の民家のようにあったりする」とか噂に聞くので、神社の境内にあるのかもしれない、と思えてきて、車でどんどん鳥居をくぐって入っていってみた。
が、うどん屋さんらしきものはなく、敷地を通り抜け、一本道の住宅街に入ってしまった。うどん屋さんはない。ナビは都合が悪くなったのか、すでに黙っている。
しかたがないので、結局コンビニでヒトに聞く、というとてもアナログな方法で、案内も、「あ、この道をこっちに行って、もうそこの電信柱のところをすぎてちょっと行くと左にあります」というまったく数値や機械にたよったものが一切ない方式で無事に辿り着く。ナビ、全然まちがってるし!黙ってるし!ごめん、の一言ぐらい言わんかい。
しかしながら、辿り着いたうどん屋さんのうどんはとてもおいしく、私の食べた正統派ぶっかけは冷たい分うどんのコシも半端じゃなくて、それはまさに、昔、讃岐うどんを食べた友人が「まるでマリリン・モンローのようだ」と口走ったごとくだった。

さてうどんで腹ごしらえをして、一路観音寺へ。観音寺は大林宣彦監督の映画で町が出て来て、ぜったい行ってみたいと思っていた。
特になんにもなくてもいいのだ、町が見られれば。と思っていた。
果たして、ビューンと辿り着いた観音寺。
あれ、ほんと?ほんとにここまでなんにもないんだ?覚悟してたし予測もしてたけど、私が見たかったあたりの景色なんかも、ガンガン普通のキレイな道路や町並みになっているのであった。したがって、景色そのものは地方の町の特に古くも近代的でもなく、特におしゃれでも特に味わいのあるわけでもないとても平均的な感じ。しかもヒトとかほとんど歩いてないし、商店街の店も6割閉まってる。ひょっとしてみんな水曜日休み?
おまけに困ったことに車を止めるようなパーキングというものがひとつもない。駅にとまっていたタクシーの運転手さん方に「このへんに車をとめて散歩したいんですが、どこか駐車場的なものはないでしょうか?」と尋ねると、「え?散歩?どこを?」と数人が同時におっしゃる。「え、このへんを」と答えると、「このへんを?ふうん、散歩でどこをね?」と怪訝な顔をされ、さらに「駐車場はないねえ。イオンに停めて、なんか買い物してついでに散歩すればいい。そこしかないから。」と断言される。
ので、言われたとおりイオンの駐車場へ停めてウロッとしたのだけど、町は前述のとおり。商店街に一軒開けていた手芸屋さんでデッドストックのボタンと「にせキャラキーホルダー」を発掘して、古本屋さんで「伊予三島のくらし」という地元の子供が作った研究誌を買って散歩終了。結局、お茶も飲めず、イオンに戻ってお惣菜売り場で「たこの唐揚げ」を買い、自動販売機でお茶を買う。が、このたこから揚げが大正解で、すごくおいしかった。
旅ってものはまさにこういうことで、期待して行ったことは意外とそのとおりにはならないで、まったく思いも寄らなかったイイコトが横からピョーンと飛び込んでくるんである。観音寺のこともそうで、私はこのことを一生忘れない。来てみなければ、私の中の「行きたいとこリスト」にいつまでも観音寺が残ったままになってしまうから、ほんとに来てよかった。さらば、観音寺。「たこ唐あげと変な黒ネコキーホルダー」の町!

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[link:1228] 2010年05月22日(土) 19:12


2010年05月22日(土)

うわ、またずいぶんサボっちゃった。
飛ぶように日が過ぎます。
ヒマだったかと思えば、いろんなことが一度に来たりして、これって世の中の人大体みんなそうだっていうけど、一人一人の配分は結局偏ったまま、人がそれぞれの周期がちがうことでバランスとってるんだろうか?世の中は。

私は4月の黄金週間突入あたりからバタバタしはじめ、それぞれの返事待ちや直しなどで落ち着かない日々でしたが、その間にも電車で具合悪くなって知らない駅で途中下車したり、大事なイベントの日にちを1日まちがえたり、数年前から約束してたフレンチのお店へようやく行けたりしました。
とくに印象に残った出来事といえば、某イベントのゲネプロを見学させていただくはずだったのに、日にちをまちがえてしまったことでしょうか。翌日の本番当日の公演がすべて終わってみなさんが搬出をされてるときに鼻歌まじりで会場入りしてしまった時の衝撃と脱力感は筆舌に尽くしがたいものがありました。
もちろんステージのものは一点の名残もなくすべてが撤収されており、「サザエか!」というまるで的確なツッコミを真正面から入れていただき、プロデューサー各氏はもちろん、はじめてお会いする大勢のスタッフの方々にも、とにかくその場にいらした全員に大爆笑されながら、なんかショックで頭がぼーっとしてしまいました。
お誘いくださったみなさまには本当に申し訳なく、せっかくのステージを観る事ができなかった自分の情けなさといったらありません。
昔、私のライヴを父が観に来てくれるというのに、母が日にちを1日まちがえてチケットを買ったせいで、父は知らない人が出演する前日のステージを、ハテナマークを出しっ放しのまま最後まで観て、お店の人にたずね、ようやくまちがいに気がついた、というネタのようなことがありましたが(母については他にも山ほど伝説がある)、それをネタにして笑っていた自分にまさか同じことが起きるとは、しかも後にズレてまちがったので取り返しがつかない(父は翌日の私のライヴにも来てくれた。)という点では母よりタチが悪いなどとはユメにも思いませんでした。
人生、したい時にするのも勉強、するつもりなかったのに、ふいにすることになるのも勉強です。後者のほうがより自分に強く教訓として叩き込まれますねえ。「日にちは死ぬほど確認!(レベル低!)思い込み禁止!(低!)」

[link:1229] 2010年06月06日(日) 01:26


2010年06月06日(日)

leteにお越しくださったみなさま、どうもありがとうございました。
梅雨前のよいお天気なひと時、たくさんの方が駆けつけてくださり、とても楽しい時間を過ごすことができました。
いつも思いますが、leteでのライヴはなんだかいろんな人がお家からちょっと出て、集って立ち話する井戸端のよう。
ライヴ中も私もあちこちでお一人お一人とおしゃべりしているみたいな気持ちになるし、お客さん同士も終わってもいつまでもおしゃべりされてたりして、なんだか楽しいのです。たいした話でもない、ほんの世間話で笑いあったりいろいろ教えてもらったり、私のライヴが、そんな井戸端会議の井戸のような役割になっていられたらうれしいなあ、と思います。
あの場にいてくださったすべてのみなさんに、心から感謝します。


[link:1230] 2010年06月30日(水) 21:23


2010年06月30日(水)福島お楽しみ会・まずは二本松

Pちゃんとの「おたのしみ会」が今年もやってきました。
今年は福島。
なんとなーく、福島の飯坂温泉ってところへ行ってみよう、きっと寂れてるよ、なんにもないよ、デッドストックの嵐かもよ、といいつつ、例によってなんの下調べもないまま東京駅で待ち合わせ。
待ち合わせの場所は、コンコースの、以前ハトヤへ行った時、電車に乗る前にPちゃんがカツサンドを買ったとこ。
私はてっきりそこが東京エキッチンだと思い込んでいて、『東京エキッチンね!』と自信満々に伝えてあったのだけど、行ってみるとそこは『東京エキッチン』ではなく、『旨井門』という一瞬読むのが難しい駅弁屋さんだったことが判明する。
あわてて、Pちゃんにそこが東京エキッチンじゃなかったことを伝え、カツサンドを買ったとこだよ、と言っても、Pちゃんはまったく記憶にないと言い、ちがうところで迷っている様子。『旨井門』という名前を説明するにも『ウマ、イ、モン?ってとこ。旨い!っていう字に井戸の井、それから門、で、ウマ、イ、モン』と、もう駅の雑音の中でごちゃごちゃ。
さらには、そこが中央コンコースだということも確信がなく、結局、コンコースを巡回しているおまわりさんまでわずらわせて、Pちゃんと落ち会うことができた。
こうしてようやく今年も出発できることになり、Pちゃんはその旨井門でカツサンドを買い、東北新幹線やまびこに乗り込む。
カツサンドを食べて喋っている間に、福島までの1時間半はサッと経ってしまった。

さて福島。
とりあえずは駅ビルを一応チェック(無意味)。
尾道へ行った時には、駅に降り立ち、民宿へも辿り着かないうちから駅前商店街にひっかかり、デッドストックの陶器やら古本やらボタンやら何やらを買いまくってしまったが、もう同じ過ちは犯さない。
どうせ帰りもここに戻ってくるもんねー、と素通りする。
そして最初は二本松市という町へ行くことになった。
二本松は福島から電車で20分ほど。
なぜ二本松か、というと、よくわからない。
なんとなく私たちのおたのしみ会にふさわしい町のような匂いがしたからであった。
果たして、降り立った二本松。
そこは、まるで、4月に行った四国の観音寺とそっくりなビミョーな町だった(『4月14日四国なんじゃこりゃ日記・観音寺』をご参照ください)。
いわゆる観光地ではない。
真っ昼間に駅前のロータリーを原付に乗った「不良」が一周して帰っていったり、道に人が歩いていない町だ。
一応「智恵子抄」の智恵子が生まれた町であるらしく、智恵子抄ならぬ「智恵子シュー」なるものが売られたりしている。
他にも、歴史好きな人ならば面白いものがあるような、そうでもないような気配もあったが、私たちは智恵子抄にも歴史にもそれほど興味がないため、ただ、シャッターの半分閉まった町を歩くのみであった。
そう、ただ歩いた。なぜなら、お店もほとんどやっておらず、喫茶店もないから。
4月の観音寺とほぼ同じ状況である。
仕方がないので郵便局で休み、一応町のマップらしきものを入手してみると、ひとつだけ興味をひかれるところがあった。
『古代玩具研究所』とある。
マップに書かれているからには有名な所なのだろうとそこを目指して再び出発するが、一向にある気配がない。
人に聞こうにも人が歩いておらず、にもかかわらずガソリンスタンドは大繁盛していて、てんてこ舞いしているので声もかけられない。
やっとのことでコンビニを発見し、アイスコーヒーとパピコを買い、場所を聞いてみると......誰も知らない。
え、有名なところじゃ......?
そこで住宅地図を持ってきてくれ、住所から大体の場所を見ていただくと、ただの民家。
しかし、せっかくここまで来たので行ってみることにする。
折悪しく、梅雨時というのに一点の曇りもない晴天、そして翌日わかることだが、この日は二本松が最高気温日本一を記録した日であった。
直射日光の下を帽子だけでフラフラ歩く、という行為はアラフォー女性の肌にとっては地獄よりさらに過酷な仕打ちだ。
Pちゃんは会社ではバリバリの(?)キャリアウーマン(のことを今時なんというか、よくわからないが)で、ほとんどがおしゃれ女性で構成されているらしい職場の上司にも部下にも信頼の厚いデキる女性であるが、ひと月も前から確保した有給休暇に、こんな炎天下の何もない町の国道沿いで悲惨な顔をしてパピコを吸っているとは誰も思うまい。
すでに有給休暇を取って行く「大人の女子旅」というイメージからは極北(実際には灼熱の地だが)の現実である。
そして、辿り着いた『古代玩具研究所』。
近所まで来て再び聞くと、作られている方が体調をくずされ今はやっていないという。
でも家はあそこの家だから行ってみてごらん、見せてくれるものがあるかもしれないよ、というアバウトな情報を頼りにおじゃましてみる。
すると吠えまくる犬に反応して、窓からおじいさんが顔を出してくれた。
そこで尋ねてみると、作ってるのは自分、今はよい木が出なくなったから休んでいる、でも前作ったのが少しだけあるから見せてあげてもよい、とのことで、股引姿で出てきてくださった。
埃をかぶった、でもとても貴重な木彫りなどを見せていただく。
木彫りのフクロウの中に更に小さいフクロウが二重構造で彫られていたり、ちいさいおひな様のダルマであったり、それらはどれもこれも、日本ではもうそのおじいさんしかできないというとっても繊細な技法で作られた素晴らしい作品だった。
小さいフクロウを一つ買わせていただいて、おいとまする。
おじいさんにはこれからもお元気でたくさん作品を生み出していただきたいと強く思う。

そして古代玩具研究所を後にして、帰り道。
私の足はもう限界だった。否、すでに限界は超えていた。
今回は大丈夫だもーん、と浮かれてサンダルで来たのがいけなかった。
足は靴ズレでもうロボットのようにしか歩けない。
ドラマであれば、「雨の中、ハイヒールを両方の手に持って、裸足でふらり、ふらり、と歩くシーン(古)」、なところである。
が、現実はそうではない。
思えば、尾道で土砂降りなのに布の靴でずぶ濡れになり、使い物にならなくなって商店街で靴を買い、数年後の奥多摩バードウォッチングでは、バードウォッチングの本当の意味をいまひとつ理解しておらず(涼しい山でかわいい鳥を見つけては喜ぶ、というイメージだった)呑気にゲタ履きで行って、山道で壮絶な痛い目にあった私。
まさか二本松の地でも再び町の靴屋さん(というか、はきもの屋さん?)に駆け込むことになろうとは。
トイレサンダルのワゴン、おばちゃんツッカケ、中高生用スニーカー、着物の草履がほとんどを占める店内を歩き回り、ギリギリの選択で2400円のズック(スニーカーではない、デッキシューズみたいな形)を購入する。
イマドキの、ほんの少し先が細くなっているアウトラインだが、イマだからなのか、リアル80年代からそのままなのかはよくわからない。
が、よくよく見てみれば、カワユイ♡と言えないこともない。ごちゃごちゃと色々な言い訳が心の中を巡るが、とにかく買うことにして、今すぐ履きたいんです、とお店のおばちゃんに泣きつくと、「はいはい、あら、足が痛いのね。」と、それはもう丁寧にヒモを通してくれた。
それから、すぐに履こうとする私を引き止め、『夕方に靴を下ろすからコレおまじないね』と両方の靴の裏にスミをちょん、ちょん、とやってくれたのだ!
このおまじないは、(全国的なものだと思うけど)私もうちの祖母からも母からも、靴は午前中に下ろすもの、と叩き込まれていて、どうしても夕方以降に下ろす時は、裏にスミか黒のマジックを塗られたものだ。
でも旅先だし、足はロボットだし、そんなことは頭に浮かびもしなかった。
なのに、おばちゃんはそんな状況でも、まるで当然のように、新しいズックの裏にマジックでチョン、チョンと黒いのをつけてくれた。
泣きそうである。
なんか、沁みた。
二本松、古代玩具のおじいさんと、この靴屋さんのおばちゃんでもう充分だ。

おまじないの靴を履くと、一気に元気になり(ただ足が楽になっただけだけど)、また駅に戻って福島に帰った。

つづく

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[link:1231] 2010年07月01日(木) 18:16


2010年07月08日(木)旅日記の途中ではありますが、11日にアップップリケショー6を開催するにあたって、そのあたりのことを。

中尾勘二さんのすばらしさを言葉でしかも簡潔に表現するのは難しい。
中尾さんは、例えばスタジオで『ここはこうして、ここはああして、次はこんなにしてください。』『はいはい、こうね、チャッチャッチャ』というようなタイプの音楽家ではない。
ひとつの曲の景色や骨組みが体になじむまで、自分の中で煮たり焼いたり乾かしたり放っておいたりする。そこから出て来たものをまた周りに反応させていく。
まるで、『表面は平熱のようなのに、水に入れてみたら驚くほど熱されていて一気に水を沸騰させてしまう石』とかのようだ。
長く寝かせる時間と、ものすごい早さで反応する瞬発力。
いざ、一緒に演奏して中尾さんから出て来るものを聴くと、その両方がとても意味のあるものとして、その威力が発揮されているのがよくわかる。
今回、中尾さんにどうしても一緒に演奏してください、とお願いするにあたり、中尾さんご本人からまず言われたのは
『時間がかかりますよ。』
そして、
『で、時間がかかって出たものも、思ってるのとちがう可能性があります。』
でも、私は中尾さんと一緒にやりたかった。
とにかくまず、中尾さんの静かだけれどトンデモなく熱を帯びたグルーヴと、お茶目でちょっと笑えてきちゃうような、それでいて、同時に泣けちゃうようなトロンボーンが好きであった。
そして、譜面で伝えられないものを体で受け取って、投げる、という究極ともいえる演奏スタイルの人と演奏したかった。
なぜなら、私の作る曲の多くは、特にこれまでのものは、『それぞれの楽器を奏でる人が自由に』とか『何かに反応して』とか、で成立するタイプのものではなかったから。
そういう曲を作りたいという思いはあったのだけど、結果的になぜかそうならなくて、緻密にピースを作り、組み合わせることで全貌が出現する、ような感じになってしまう。
つまりそういう自分をちょっと壊してみたくなったのだ。

かくして、船は出た。
自分で漕ぎ出したのだから、最後まで漕がねばならない。
他の人たちにも乗ってもらっちゃってるから、むろんのことだ。
私が望遠鏡をのぞきながら『あっちだ!』『いや、こっちにちがいない!』『あれ、まちがえた!』などと大騒ぎしている中、中尾さんが静かな顔で水の下でエンジンをまわしている。トバオさんは寡黙な、しかし的を得た方向へ舵をとる船頭である。
関島さんは、そのすべてを、時にはアグレッシブに、時にはゆりかごのように支えてくれる頑丈な船体である。小舟ではない。
関島さんやトバオさんのすばらしさもここで語りたいのだけど、やはり同様に、簡潔に言葉で表現するのは難しいので次回にすることにする。
しかしつまり、『漕ぎ出した海は広く、時に波も荒く、天気も怪しいが、船は頑丈、エンジン快調、舵も的確』である。
望遠鏡をのぞく私だけが、猿のようにハチャメチャであるが、この機会に恵まれて本当によかった、と心から思う。

7月11日のアップップリケショーは、最初の島である。近くに見えて実は遠くにある島のようにも思えるし、彼方むこうと思っていたらいつの間にか見えていた浜辺にも思える。でもここが着地点ではないことはわかる。そして、もう二度と同じ航路を描けないこともわかる。
せっかくこのメンバーに乗り込んでもらったのだから、このメンバーのみなさんとしかできない航海をしたい。
乗り込んでから、最初の島に着くまでの貴重な『第一章』をすべてひっくるめて、大事に演奏します。
どうかみなさま、観に来てください。

[link:1233] 2010年07月10日(土) 02:53

2003年6月16日までの日記


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