忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

HOME

2008年11月05日(水)

横浜へ、『市電うどん』を観に行ってきた。
横浜で有名な存在であった『メリーさん』のエピソードをダンスにしたものだ。
会場は野外に建てられたテント。こうしてテントでの公演を観るのは十何年ぶりではないかしら。最近のテント公演は客席も快適なベンチになったのねえ、と感心する。
今回の公演は音楽も一緒に生演奏で、その演奏も坂本弘道さんや栗木健さんや川口さんや原さとしさんや斉藤哲也さん、とゴージャス。ステージでは我らが石丸だいちゃんはじめダンス隊の人々が鬼気迫るダンスを繰り広げているし、その両側上部に組まれた桟敷?ではバンドのみなさんが絶妙の息づかいですばらしい演奏をしているし、あっちもこっちも見なきゃならなくて大変でした。音響効果で、あるきっかけで音楽な鳴るということにはかわりないんだけど、演奏が生だとやっぱりぜんぜん違う。演奏する人も下の舞台を見ながら演奏するから息づかいとかも絶妙だし、その管制官的な役割をする人とそれに従って演奏する人の緊張感とか、ステージで行われている景色とひっくるまった完成度の高さとかもダイレクトに全部伝わってきて、大変に見応えがあった。
今回は役者さんや演奏者さんなどに身近な人々が多くいたこともあって、開演前からいろんな人に会えたのもうれしかった。久住さんが客入れの時に演奏していて、外で待っているとテントから久住さんのいつもの楽しそうなパンチのある歌声が聴こえてくる。出演してただいちゃんやイムラさんはじめ、名古屋から観に来てた天野さんや田岡さんや夕沈さんや、それからずいぶんごぶさたしていたマルタくんにも会えた。
こうして時々、元気そうなみなさんの顔を見られるのはうれしい。天野さんとかと少しだけ話して、あー、私にもまだ作りたいものがあるなー、と確認する。打ち上げでもう少し残りたい気持ちを我慢して、電車がなくならないうちに東京へ。
とりあえず東京駅まで帰って、新丸ビルの上の笑っちゃうような『都会っぽい』フロアで『エビとアボガドのチャーハン』を食べる。帰りに二重橋前の駅から地下鉄で帰ろうと思ったが、まったく行き着けず、泣く泣くまた東京駅からJRで帰宅。

オバマ氏当選で小浜市の人々が狂喜乱舞、というのはなんかすごく笑える。


あ!慶一さんがCM出てる!ちゃんと陶芸家に見えるなあ。

[link:1050] 2008年11月05日(水) 23:52


2008年11月09日(日)

寝ていると、突然耳元でプ〜ン.......プ〜ン...という。
あっ!と思って飛び起きた。この音は....蚊だ!すでにかゆい。
またプ〜ン.....
が狂う!かゆい!瞼をさされている!最悪だ!毛布にうずまって顔だけ出してるところを襲うなんて卑劣にもほどがある。
しかしもう11月で、そろそろ寒いというのに、なにがうれしくて今頃、どこから、なぜ私の寝床にまで来るのか!まあうれしいかどうかわからないが、どうせ蚊にとってみれば寒くなるから今のうちに血のすえるところに行っておこう、ということであろう。そんなにおいしいのか、私の血は!それとも「この季節に吸うべき血がなくなっても、あそこに行けば吸えるぐらい」キープ的な都合のいい女なのか。
どちらにしても眠いしかゆいしプ〜ンというし頭がおかしくなりそうなので、のこのこ起きだして蚊取りマット(?)を出してスイッチを入れたが、電源コードが短く、どうもおぼつかないほど遠い位置にしかセットできず、またそこから延長コードを取りに行き、すぐ足下までそれをのばす。そして頭まですっぽり毛布をかぶって寝た。それ以降のことはわからない。
しかし夜中のプ〜ンは本当に恐怖だ。

[link:1051] 2008年11月09日(日) 12:29


2008年11月16日(日)

蚊の次はゴキブリである。
蚊騒動の数日後、用事で実家へ帰っていた日の深夜であった。
そろそろ寝ようとコンタクトをはずした。そして眼鏡をかけようと眼鏡ケースをあけると、ぼや〜っとしている視界の中で『サッ』っと茶色いものが動いた。コンタクトをはずしているのではっきり見えなかったものの、本能的に『アッ!』と思い、思わずふたたび眼鏡ケースを閉めてしまった。
え?なに?見間違い?
でも..................あれは..........!............あの、茶色、あの動き.............、あれはもしや!『アレ』か????
しかし眼鏡はまだケースの中である。
というか、なぜ眼鏡ケース?なぜ、私の眼鏡ケースの中にゴキブリが?そもそも、フタをしめておいてあった眼鏡ケースになぜ『アイツ』が?見間違いであってほしい。が、確認はできない。
頭は真っ白、視界はぼんやり、手元にはフタを閉めた眼鏡ケース。家人の寝静まった洗面台の前で完全にフリーズしてしまった。
とりあえずフタを閉めたものの、さてこれをどうするか。これから何をすればよいのか。えーとえーとえーとえーとえーとえーと..........
えーとえーとえーとえーとえーとえーとえーとえーと......、そうだ!まずコンタクトをもう一度入れよう!というわけで、コンタクトをもう一度入れ、視力はとりあえず確保した。
で、えーとえーと.......そうだ、ジップロックだ、ジップロックに密封してしまおう!と思いつき、ジップロックに眼鏡ケースごと入れて『ピッチリ』と密封。そしてここからが怖いんだけど、眼鏡ケースを袋の外からつかんで隙間をあけてみる。と、ウササササササーと体調約2cmの茶色い『アレ』が走り出てきた。やはり見間違いではなかった!
うわーーーーーっ!いや、落ち着け、落ち着け、ジップロックは密封されてるから大丈夫(でも透明)。とりあえず眼鏡ケースからは追い出したので、次は眼鏡ケース(眼鏡入り)を救出せねば。震える手で、袋の隅に『アレ』を追いつめ、こっちにこないように袋をねじって隔離し、眼鏡ケースを取り出し、すばやく再び『ピッチリ』と密封した。
さあ、これをどうしたもんか。袋が透明なのでとりあえずジップロックごと古新聞に挟んで見えないようにして、空き瓶で『ごめん、ごめん』と半泣きで新聞の上からバンバン叩く(しかしその音にも家族は誰ひとり起きてこない)。
.............しーーーーーん...............。
もう絶対ご臨終だろうと思い、新聞ごと丸めて棒状にした。
しかし!万一息がまだあり、万一ジップロックが破れていたら、夜中のうちに這い出してくる恐れもあると思い、上からさらにガムテープでぐるぐる巻きにする。そして、朝起きてきた母に伝えなければ、と思わず『ゴキブリ殺した』と油性サインペンで殴り書きしてしまう。
しかし書いた後で『ゴキブリを叩くために丸めた新聞だな』と解釈してそれをほどいて古新聞の束に戻すといけない(冷静に考えればそんなことするわけないが)と思い、その横に『死んでる』と書き足す。が、その後すぐにこれだと死体がどこにあるかが不明なので、さらに『この中(字が小さすぎ失敗、もう一度)この中』と書く。
よくサスペンスなんかで、意味不明のダイイングメッセージを解明していくのを見ると『こんな妙に思わせぶりだけど意味不明のことじゃなくて、もっと一目瞭然のことをズバッと書いて死ねばいいのに』と思ったものだが、ゴキブリ一匹でこうなのだから、そりゃあ息も絶え絶えに自分の血かなんかで書き留めるメッセージなんて意味不明になるわけだよ、と身を持って知ることになった。ああ、人とはまさに精神の動物であることよ。
こうして ”ガムテープでぐるぐる巻きの上から『ゴキブリ殺した 死んでる この中 この中』と油性サインペンで殴り書きした棒(長さ40cm、直径約5cmぐらいか)”ができ、やっと一息。ここまでですでに発見から30分ぐらいか。
あとは眼鏡ケースである。『アレ』がうろうろと歩き回ったと思われるので、そのままにするのは気持ちが悪い。まず眼鏡は石けんで洗った。しかし、私の眼鏡ケースはケース自体はプラスティックだけど、内側にもひゃもひゃの布が貼ってあるのだ。しかし、洗うしかあるまい。石けんでごしごし洗って、裏の物干に吊るしておいた。
そして戦いは終わった。
たかが3〜40分ではあったが、長く、孤独な戦いであった。
その後、寝ようとしたのだけど、気持ちが昂ってぜんぜん寝られず、夜は更にふけていったのであった。

さて翌朝、あの『棒』をみた家族は、棒の大きさと、その大げさな形状からその中に数匹ものゴキブリが死んでいる、というこれまた別の恐ろしい解釈をしたようで、そんなにたくさんのゴキブリが出たことは未だかつてないので、どこからきたのか!と、ちょっとした騒動になっていた。そして、それとは別に眼鏡ケースをみて母は『あの子は大雑把でズボラで(おいおい)眼鏡を拭いてる姿すらろくに見たことない(そんなことはない)のに、実家に帰ってきてまで夜中にこっそり眼鏡ケースを洗うなんてどうかしちゃったのではないか、いつのまにそんな几帳面になったのか、それとも急に潔癖症になるほど何か大変な心境の変化があったか、よっぽどストレスが溜まってるんだろうか......』と本気で心配したそうで、そのあたりはちょっとイイ話というか、お母さんありがとう、というお話であったのだが、母の中の私像を明確につきつけられ、軽い衝撃を受けた瞬間でもありました。
写真は17歳のこりんちゃん。写真きらい〜、の瞬間。

1052.jpg 271×430 (original size)

[link:1052] 2008年11月16日(日) 17:57


2008年11月21日(金)

先日からお出かけがいくつか。
15日のカーネーションは、休養中の矢部さんに代わりタマコウォルズから中原ムーさん。が屋台を支え、いぶし銀の腕がうなる男所帯に花を添えてました。花、とはいえプレイは超男前、どしょっ骨ドラマーのムーさん、きれいなお姉さんが叩いているとはとても思えない。まさに豚肉パワー全開か。矢部さんとはまた違うフレッシュな切れ味の、しかし土臭く骨の太いイカしたグルーヴに感動しました。その初めてのムーさんを大きな器で包みつつグルーヴを引き出し、波にしていく直枝さん、大田さん、友情出演で登場した鳥羽オサムどんの懐深いプレイにも感動。みなさん、年を重ねるごとに男ぶりをあげていってるし、昔の曲をやっても、新曲も、すべてが等しく、ちゃんとまさに『今』のものになっていてすごい。

さて写真は、いただきものの『ペリカン』の食パンです。知る人ぞ知る浅草の有名店。予約をしないとほとんど買えないという超人気店で、一度食べてみたかったアコガレのお店です。
包みの袋もかわいくて、その中にコツンと収まっている小さめの四角いパン(一番人気は山型パンですって)。トーストしてバターをのっけて食べました。お・い・し・い〜!
パンのスタイルは浮ついたところがなくて頑固一徹の職人技というかんじ。絶妙な歯ごたえととなんともいえない小麦のいいにおい。私は特に食パンの全耳(一斤の一番端っこ)が大好きなのですが、この全耳はまちがいなくベスト3に入るおいしさでした。
老舗ということは十分知っていましたが今HPを見たらなんと創業は昭和24年!それからスタイルは変わっていないそうです。HPの雰囲気そのままのシンプルさでますます好きになってしまいました。

さて、本日より、エンディングテーマを担当しました『中華学校の子どもたち』が横浜ニューテアトルで公開されます。横浜に続いて来月6日からは銀座シテパトスでも公開が決定しました。お近くのみなさま、ぜひご高覧くださーい。

1053.jpg 512×384 (original size)

[link:1053] 2008年11月22日(土) 11:24


2008年11月22日(土)

まだまだ先と思っていた来年2月のライヴがのチラシを作らなければ。MANDA-LA2はどろグラ以来。ああ、がんばれ私。

先日栗コーダーカルテットのライヴを赤坂BLITZへ観に行きました。BLITZといえば、およそ10年前に原田知世さんのツアーの東京公演がここであったなあ!昔のBLITZでしたが。その時は博文さんがバンマスで、川口さんと初めてご一緒したんでした。その会場で栗コーダーを観るなんてすごいなあ!と感慨深かったです。
栗コーダーは小さな会場でも大きなホールでも、『栗コーダーらしさ』が全然変わらないすばらしいバンドだなあ、と改めて思いました。笛来い、ピアニカ来い、サックス来い、テューバ来い、ギター来い、打楽器来い、どんな楽器もどんと来いで、曲も演奏もすばらしい。だけど、栗コーダーの一番すてきなところは、そうやってどんなにたくさんの楽器を演奏しても、たとえ笛を吹いていなくても、さらにはそこにゲストが入って4人でなくなっても、がっちり『栗コーダーカルテット』なところだ。なんだか先輩ミュージシャンのみなさまがたをつかまえてエラそうですが、なんといってもそこが私の一番すきなところなのだからしかたがない。ブラボー!と思います。


[link:1054] 2008年11月25日(火) 21:06

2003年6月16日までの日記


Copyright©2001-2003 Chiaki Kato, All rights reserved.
Contact Us
Do you know DonutFilms?

k-diary script by Office K.

※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。