忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2007年06月12日(火)

なんかひっちゃかめっちゃかになっちゃっちゃってます。
leteの準備と手こずって遅れている豆本用の絵(まだ待ってくださってるだろうか。すみません。)と新曲を作るのに加えて、もう気がついたら8月のワンマンのチラシを作らなければ!という時期であった。そういう時にかぎってボタンがとれてお裁縫とか、書類作成とか(あ!契約書もだ!印鑑を押すのが下手。)腹痛とか、喉痛とか、出したはずの郵便が切手代が10円不足で戻って来たりとか、冷蔵庫に妙なランプがついたりとか、いろいろなことが一時に押し寄せてくる夏至近くであった。軽くめまいが。

近所の某コーヒーショップへ豆を買いに行き、いつも買ってるのとはちがうやつを買ってみようとお店の人(バリスタ?)に酸味や苦みなどのバランスを聞いた所、『こちらはこの太陽が表しているとおり、アフリカの照りつける太陽、また、この象は大地を表現しており(パッケージ説明?)、すがすがしい大地をしっかり踏みしめるような深くさわやかな酸味がふわっと. . . . .云々』という、わかるようでいて具体的にはまったくよくわからない説明をしてくれて、困りました。途中で笑いをかみ殺すのに大変でした。象がすがすがしい大地を踏みしめるような深くさわやかな酸味って?聞いている間、劇団四季のライオンキングの予告編みたいなのが浮かんでは消え、浮かんでは消え。豆の味ではなく、豆のイメージだけがよく理解できました。それも戦略か。

[link:852] 2007年06月13日(水) 21:47


2007年06月13日(水)

今日はアコーディオンのるつこさんとリハ。るつこさんのアコーディオンはとても弾んでいる。
私が家でアレンジしたりしてる時は実際のアコーディオンを用いていないので、実際弾くにはよろしくないアレンジのところがあるかもしれぬ、と心配していたけでも、るつこさんはそんなことはほいほいーっと飛び越えて、まるで丘の上でゆかいに踊っているように弾いてくれた。やっていくうちにどんどん楽しさも増して、るつこさんに参加してもらう曲がとてもたくさんになってしまった。生ピアノだったらもっとよかろうなあ、と思うが、生ピアノでなくとも充分楽しいはず。るつこさんのソロコーナーもやってもらおう。
るつこさんのアコーディオンはエフェクターもないのに12種類もの音色が出る。雨のうたにはガラスを伝う水滴のような音、カミナリがまじったらガチャめの音。でこぼこの砂埃が立つような音、しめったしずかな音、乾いて弾けたような音。
いろんな音からいろんな景色が出て来ます。

それにしてもお腹がすいたのであった。帰りに駅のお弁当屋さんでおにぎりと卵焼きときんぴらをフラーっと買ってしまう。それと甘味に求肥の入った若鮎(求肥大好き。麩まんじゅうも大好き)。しかしあの若鮎ってのはなんで甘いお菓子なのに、なぜ魚の形状にしたんだろう?しかも中身はビヨーンとした求肥だし。
。。。。。と思ったが、そういえば鯛焼も甘い魚のお菓子ですね。腹の中は餡だし。偏見だけど、クッキーとか焼き菓子ならなんとなくどんな形でも構わないような気がするんだけど、なんで中身の入っている甘いお菓子を魚の形にしようと思ったんでしょうね?最初に作った人は。
ちなみに私は若鮎も鯛焼もわりと頭から食べる派。

[link:853] 2007年06月14日(木) 23:25


2007年06月14日(木)

鉛筆描きの絵を筆ペンで清書する、書類に印鑑をポカポカ捺す、
新しい曲の続きをつくる、その間にもお茶を飲み飲み若鮎。
お茶は心と直結している飲み物だから、一人での仕事中や作業中にお茶を飲む回数が多い、というのは、無意識のうちに自分をほめたりなぐさめたり励ましたりしている回数が多い、ということでもある。なんかうまく行ったからご褒美で一息、その反対に煮詰まっちゃって逃げ出したい自分を励ますのに一息、とそんな具合。
喫茶去という禅の言葉がとても好きなのですが、『よくおいでになりました。まあ、まずはお茶でもどうぞ。』というそれ以上でもそれ以下でもないこの言葉の真意は、つまりどんな人にも(例えば自分のきらいな人や、大事な用に遅れて来て着いた途端言い訳をはじめる人などにも)『まあ、まずはお茶でもどうぞ』と言えてしまう心の持ちようにある。
たぶん今よりももう少し前の時代には、きっと個人レベルでどんな人の気持ちの中にもお茶を出す、出さない、の重要性がもう少しあったんじゃないかと思う。だからこそ、喫茶去の域なんかにはなかなか到達しようのない私みたいな不出来なタイプの人間は『フン、二度と来るなヨ、来ても茶なんぞ出してやらないよ、コンニャロめ!』というような憎まれ口をたたく場面がたくさんあったことでしょう。

テーブルをはさんで、ぼやーとストローでグラスをぐるぐるぐるぐるかきまわし続けるお茶も、あれはあれでいいもんですが、特にやっぱり目上も目下も目的も状況も関係なく『よくおいでくださいました。まあ、とにもかくにも、おひとつお茶でも』と出されるお茶には、それだけで何かが軽くなるようなナニカがあると思う。なんかこう今まで一人で背負ってきた思い荷物が、具体的な重さはそんなに変わらないのに、気がついたらアレ、なんかちょっと軽くなったんとちがう?あ、一緒に持ってくれてたんだ?うわあ、アリガトウ、みたいな。
私もいつもそうやって軽やかに何気なくお茶を出し続けたいもんです。人にも、それからまあ、自分でも。

[link:854] 2007年06月16日(土) 00:42


2007年06月15日(金)

およそ半年ぶりぐらいにしずちゃんと電話で話した。
しずちゃんといえば、南海キャンディーズの、じゃなくて、もちろんわが自慢の友、イラストレーター早川司寿乃である。
しずちゃんが名古屋に越してしばらくたったんだけど、知らない間に4月から中日新聞に連載されていた菊池寛の小説の挿絵を描いていたのであった!そりゃもう見ないかん、とさっそく母に切り抜きを送ってもらった。しずちゃんの絵には、ほんとに昔から『どこでもないどこか、でも、きっとどこかわからないけどこの宇宙のどっかにはああいうとこがあるにちがいない、と思わせるような、つまり非現実なのになぜかとても現実味の感じられるめったにない景色』があって、そういう景色を見るたびに、いつもそこへ行きたくなる。しかも、なんかその辺の縁の下をくぐれば意外とひょいとこういう場所へ行けるんじゃないか、と思えてしまう。
そんなしずちゃんと、私が電話でしゃべることはというと、まったくほんとにどーーーーーでもいい、むだ話。やれメダカが増えた、犬に噛まれた、でかい竹を買って来て鉢に植えた、ツバメが巣を作った、カメが迷い込んで来た、猫が庭でねずみを取って食べたらしいがその猫の見当はついている、そいつは玄関の戸におしっこをかけてったあのノラにちがいない、どんぐりが一度枯れたがまた芽がでてきた、新シリーズのバームクーヘンは云々、バームクーヘンよりあたしゃ饅頭がよい、アゲハの幼虫がみかんの葉を食べるので困る、やっとかめ探偵団の新しいのはまだ出ないか、最近の物忘れについて、朝はぞうきんがけ、など。今思い出して羅列してみてもまるで大した話をしていない。
なにより、二人とも年はやや違っているが、物忘れ、うっかりの具合、会話のトロさ、などのレベルが同じなので、会話のテンポがまことに合っている。なのでこのようなトロい話ばかりなのにフと気がつくと40分や1時間はすぐに経っている。が、電話を切ってから、ハテ何をしゃべったか、と思い出すと、前述のような状態なのだ。
でも、こういう果てしなくどうでもよいようなことの連続で暮らしはつづき、そんな中からうまれてくる絵や音楽こそがやっぱり自分なんだな、と改めて思う時間でもある。

[link:855] 2007年06月19日(火) 00:22


2007年06月19日(火)

8月4日のライヴのチラシをやっとの思いで入稿。浜松町の印刷屋さんへ行く。ここは激安、激早、『どなたさまも現金でお願いします』というわかりやすいところで、毎回ここで印刷している。今日は入ったところに鳥かごがあり、黄色のインコと水色のインコがいちゃいちゃしていたので、記念に一枚撮影してみる。カメラを向けると急にギャーギャー暴れ出したが、偶然にもカメラ目線で。
その後、今度は御茶ノ水へ移動し、ご案内ハガキをいつもお願いしているYさんに原稿を受け渡して、打ち合わせ。駅の隣の喫茶店で話していると、突然バーン!という、何かが破裂したようなバカでかい音がして、周囲は一時騒然となった。喫茶のマスターをはじめ、そこでお茶を飲んでいたお客さんの7割が鞄もそのままに外へ駆け出して行った。外はそれ以上にたくさんの人がダダーッと音のしたほうへ押し寄せて人だかりになっていたのだが、結局音の原因はよくわからず、『どうやら車がどうかなったらしい』『へえ』『どの車?』『あれかなあ?でも見えないからよくわからん。』「へえ』という感じで、ぼんやりと騒ぎは終わってしまった。
帰り際に、御茶ノ水の高架下にある古いビルの前を通った。そこにはどういうわけか、大変古いビリヤード屋さんが二軒ならんでいて、一応そのどちらにもお客さんがいて、スコン、スコンと玉をついていた。二軒のうち、激しく古いほうは、ほんとに30年ぐらい前からそのまんまの状態で営業をスタートしたであろうと思われるような感じで、『店貸切もできます』という貼り紙の脇に『○月×日 △△病院様 11時〜2時』『クジライ様 毎週1回午後』などと黒板にチョークで書かれていて、なんだか今はいつなんだ?という気持ちになった。高野文子氏の『るきさん』には、『横町医院の婦長さんのお誕生会にみんなでゲートボールをする』という場面が出てくるが、ここのビリヤードはそんな感じ。いわゆる『ビリヤード』ってものにぼんやりと思い描く『ちょっと前のトレンディドラマっぽい感じ(←このイメージは私だけかもしれんが)』はまったくない。『プールバー』ではなく、完全に『ビリヤード』。お店の名は『青葉』。素敵だ。今度あそこでライヴしたい。貸切で。
22日のleteはチラシが間に合ってなくて、ほとんど宣伝できてないのですが、みなさんぜひ来てね。夏至なので8時スタートです。お仕事帰りにちょいと涼んでってください。

856.jpg 512×384 (original size)

[link:856] 2007年06月20日(水) 00:44

2003年6月16日までの日記


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