忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2003年10月24日(金)金色の靴

私はちょっと足が外反母趾気味で、ちょっと合わない靴を履いて歩くと親指の付け根の骨がすぐに痛くなって困る。で、靴は大好きなのであちこち買うのだけど、大体いつも総合的に気に入るのは、とあるデザイナーの靴である。
私はヒールのある靴があまり好きではない。なので大体においてぺたんこの靴を履いているが、ぺたんこの靴は冬にはアスファルトの冷たさが靴底を伝わって足を冷やし、それがお腹まで冷やし、しょっちゅうお腹がキュウッと痛くなって困るのだ。そんな折、靴の中側にモヒャモヒャ〜と毛が生えている(もちろんホンモノの毛ではない)靴を見つけた。そのとあるデザイナーの靴だ。靴を脱がなければわからないが、脱ぐと中がぬいぐるみの表面みたいになっているのだ。そもそも私は『見えないところが凝っている』というのが好きだ。というよりむしろ『見えるところだけ見栄えがよければいい』というのが嫌いだ。要するに舞台のソデに引っ込むと同時に踊りをやめるな、ソデに体が隠れて少なくとも1mぐらいは踊りつづけろ、ということである(この説明もどうか?)。しかし、かといってガクランの裏地に金色の龍の刺繍が...というのが好きかというと好きではない。それは明らかに『見られる』ことを意識して作られた裏地だからである。見られたいなら表地に龍の刺繍をすればよい。制服という抑圧の中で主張できる所は裏地しかないのだから、という理由は変だ。裏地に龍の刺繍をするような人はたぶん校則とかはすでに守っていないだろうし、守っているように見せかけて着用している制服も形が長すぎたり太かったり細かったりしておかしいのだから、いっそ守っていないのなら別に制服の表に龍の刺繍をすればいいのだ。『見ろー、龍だ龍ー』というほうがわかりやすくて楽しい。しかしどうしても裏地に龍の刺繍がしたければ、より見られる可能性の低いズボンの裏地にすべきである。しかしそのズボンも表向きは太かったり長かったり短かったりしてはやはり台無しだ。あくまで普通のズボン。というように、私の好みは『見えなくて当然。でもそんな見えなくて当たり前のところにこんなものが..』というのがそうである。しかもその見える方の側はあくまで「さりげない」のがよい。一見普通、でもよく見るとそうなんだー、というバランスは大切だ。
で、まあ話を戻すと、つまりその靴の中がぬいぐるみ状というのが結構うれしくて、つい買ってしまった。冬はあったかいかも、という思いもあった。しかし、その靴は表側が金色なのだ。金色。ぜんぜんさりげなくない。その点で私もかなり迷った。けど、案外履くといいかもな、なにしろ中がぬいぐるみ状になってるし、とわけわかんない納得をして買ってしまった。が、案の定、会う人みんなに『金色の靴履いてる、金色の靴だ』と指摘されてしまった。やっぱり目立つか...。そう、この靴は脱いで中のモヒャモヒャをわざわざ見せなければおばちゃんが社交ダンスに履いてるような金色の靴なのだ。やっぱり...。こうなると、もう会う人会う人『ホラみて中が毛なの。中が』といちいち脱いで中を見せないと気がすまなくなった。『金色の恥ずかしさ』を『中がぬいぐるみ状』で埋めようとしている。ガクランとかズボンとかそういうことでなく、体操着の裏に龍の刺繍をしてしまったような気持ちだ。早く汚しがかがってあんまり光らなくなってほしい(結局気が小さい)。
それとも、川口(義之)さんの提案のように、全身を金色の靴に合う服にしちゃうか。

[link:89] 2003年10月24日(金) 23:01


2003年10月27日(月)あっと言う間に月末なのだ。

このところ、もっぱらある目的のための曲作りをしていますが、きのうは鈴木博文氏のライブを観に赤坂へ行ってきました。久々の博文節を堪能しました。弾き語りっていうのは全てが丸裸になるので、もっともその人節が聴けるのであります。ゲストの青山(陽一)さんの弾き語りもやはり青山節全開で、堪能させていただきました。
打ち上げで最近死んでしまった湾岸の名物犬ハドソンの最期の様子などを聞き、やっぱり泣いてしまった。ハドや〜〜。

そんな話の後、飼い犬は飼い主に似ている、という話題になり、博文さんに「じゃあ加藤さんは犬も目が離れているんだねえ」と言われた。そうです、離れてます。でもうちの犬が私と似ているところは「富士額」なのです。私は自分の富士額があまり好きではないので、前髪を下ろしていますが、私も犬も富士額なのです。どうでもいいことですが。

[link:91] 2003年10月28日(火) 01:13


2003年10月30日(木)ひきこもって曲かき

もうひきこもってかれこれ何日になろう。
いや別に一歩も外に出てないわけじゃ全然ないんだけど、ほとんど何もしていない(曲作り以外は)。何をそんなに根つめてやってるんだ、と思われれるだろうなあ。実際、ひきこもったからといっていい曲ができるとは限らない。今取りくんでいるのはゆわかしと口ぶえでもおなじみのマリンバ奏者浅田実可さんのソロライブのための音楽なのだ。基本的にマリンバ一台、場合によっては+ピアノの可、というとってもシンプルかつ少人数演奏用の曲。そしてなんといってもテーマとなっているあるお話がある。テーマが明確、そしてシンプルであればあるほどなかなかに難しいのである。どれもこれもよいような気がしてしまう。フレーズはどんどん浮かぶ。でもこれがこうなるのが一番よい、というのがふっと見えなくなってしまうことがある。うーむ。しかし〆きりは10月末だ。今日はたまの解散ライブをやっているなあ。

[link:92] 2003年11月01日(土) 00:33


2003年10月31日(金)まだやり遂げていない

まだやり遂げていない感のぬぐいきれないマリンバ曲の件を一旦保留にし、某ミーティングへ。来年、某バンドのライブにピアノで参加することになり、打ち合わせに行った。情報はまだ公開されてないようなので、『K』としておこう。そのうち公開されることでしょう。その打ち合わせが「らんぶる」というふるーい喫茶店であった。いわゆるルノアールみたいなところ。やたら広くて、どんな人達のどんな会合にも対応してる店だった。で、その前に「ハイチカレー」というコーヒーとカレーのお店でその店名物の「ドライカレー」を食べた。ここも1973年創業というふるーい喫茶店のようなレストランのようなお店だ。カレーもそこそこおいしく、お店がなんてったって落ち着いてよい。しかし、料理が出てくるのも早いが下げられるのも早い。ちょっと早すぎる。私の中での「お皿を下げられるのが早い店」のナンバー2だ。1番は名前は忘れちゃったけど名古屋のお店で、閉店間際でもないのに、サンドイッチの最後の一切れを持ち上げた途端(まだ食べてないうちに)お皿を下げられ、なくなっていたコーヒーまで下げられた。途中で置くところがない。テーブルの上にお水以外なにもないのにサンドイッチを片手にもぐもぐしているというマヌケな図になった。よいお店なのでハイチもそうならないように願うばかりだ。うーん、今日もたまの解散ライブをやっているなあ。

[link:93] 2003年11月01日(土) 00:48


2003年11月02日(日)コージーコーナーのケーキはやはりデカい。

浅田実可さんのライブのための曲をもって打ち合わせ。なんとなくひとりでやっていると見えてこなかったものが打ち合わせると見えてくる。なるほど、適切な打ち合わせは実に大事だ。コージーコーナーに併設されてるレストラン、っていうかコージーコーナーレストランでの甘い打ち合わせだったが、ケーキがでかすぎる。コージーコーナーがケーキがでかいことが売りだとはうすうす知っていたが、これほどでかいとちょっともったいない。食べ切れない(食べたけど)。おかげでコーヒーも足りなくなり、おかわりした。ごちそうさまでした。

[link:94] 2003年11月02日(日) 23:49

2003年6月16日までの日記


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