忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2003年06月19日(木)都内某所にて

先日曲を作った某CMの歌録りナレ録りに立ち会う。
今日はMAスタジオで歌も録るというちょっと通常のレコーディングとはちがった形式だった。歌い手さんは8歳とか9歳の男の子で、本番前に、とりあえず一部分を歌ってもらってその中から一番ぴったり来る子を決めてやってもらうというプチオーディションもあった。児童劇団から来る子だと聞いていたので、ひょっとすると場慣れした子役子役した子たちが来るのかも、と思っていたが、そんなことは全然なくて、どの子もみんな天然な子供で変な場慣れも緊張もしておらず、一生懸命な感じがそのまま歌に出ていてよかった。みんなよかったので、その中から一人に絞るというのは難しくて、みなさん悩んでいた。
しかし、ああいう子たちはしょっちゅうこういうオーディションみたいなことを受けているんだなー。コンペで後になって負けた知らせを受けてもかなり悔しいのに、現場に行ってその場でやってその場で結果が出て帰らされるとはキビシイ世界だ。がんばろうがんばろう、私も。

[link:2] 2003年06月19日(木) 01:26


2003年06月19日(木)たまった疲れをどうしようか

と思いつつ、雑用をあれこれ、な日。
以前からうちの近所には銭湯があまりないことが不満だったが、最近になってどうやら近くにも一軒だけあることが判明。ある道を通ると、たまにその付近の小道を『銭湯帰り』スタイルな人がある方向からふらっとやってくるので、気をつけていたのだ。その結果、ついに場所をつきとめ、今日行ってみた。しょぼーいちいさーい、ぜんぜん古くなーい、趣きゼロの銭湯だったが、銭湯は銭湯だしな、と割り切って入った。壁画もすごい手抜きな感じで、しかも洗い場のイスがないのがマイナス50点ぐらいだったが、一番近いのがそこだからしかたがないのである。来てるおばさん連中は全て知り合いらしく、井戸端度も満点。ひとりすごいよそ者感だった。ともあれ、夏の間は寒い時期とちがって、すごい気軽に銭湯に行けるのでよい。ところで、銭湯のフィギュア付きの入浴剤がいま出てるの知っていますか。もうフィギュアはいらないし、集めるちゃうのがいやだから、もういやなんだけど、気になるんだよね。

[link:3] 2003年06月20日(金) 00:04


2003年06月21日(土)キャビア、スモーク砂肝、ブルーチーズ

ちょっとした用があり、お世話になっているプロデューサー氏の事務所へ行ったところ、ちょうどその日の夜にプロデューサー氏のバースデイパーティーがそこで催される、とのことで、僭越ながら私までご相伴にあずかってしまった。
新しくてきれいなオフィスで、高級なワインやキャビアや生春巻きやローストビーフやブルーチーズなどうちの食卓にはめったに並ばないごちそうをたらふくいただいた。「スモークした砂肝」なんて、今までそういう存在すら知らなかったがとてもおいしかった。水入らずの中に私みたいなとんだじゃま者がいたにもかかわらず、快く迎えてくださって、感激でした。おかげで、取りにいった忘れ物の傘(つい先日忘れてきた)を再び忘れて、また取りに戻る始末。
ともあれ、楽しい一日。

[link:4] 2003年06月21日(土) 01:08


2003年06月22日(日)Pと会合

諸々の雑用をすませた後、わがドーナッツフィルムズの総指揮であるPちゃん(尾道で髪を切った人)と会合(ただの世間話)。
え?ドーナッツフィルムズ?と思った人のために、成りゆき上この場を借りて発表することにします。
え〜この度、Pちゃん(尾道で髪を切った人)とサカイユウゴ、そして加藤千晶の3人はマルチクリエイティヴ集団『ドーナッツフィルムズ』を結成したのでした。じゃじゃーん。
ドーナッツフィルムズは、今後マルチでクリエイティヴかつドメスティックなインシデントをドキュメンタリーにソフトアンドドライにヒューマニティーあふれるオーバーアクションでグローバルに発信していきます。

ということを熱く語り合った数時間でした。

[link:5] 2003年06月22日(日) 01:24


2003年06月23日(月)それはどうだろう

数人のメンバーで『ごはんを作る際、自分は下ごしらえがきらいだ。』『いや、あとかたづけがいや。』『作りながら器具とかを洗っていって、ホカホカの料理ができると共に流しもかたづいているのがベスト。』『下ごしらえの時、後で洗わなければいけないからいやだな、と思いつつ、切った食材なんかはひとつひとつボールや小皿に入れて準備する。』などの意見が飛び交った今日。
話してみると、その場にいた4人が4人とも「食事を作り、後片付けをするまで」の一連の流れにそれぞれ一家言あり、それが微妙にちがうことがわかって面白かった。
中でも『作りながらどんどん片付けていくのはキライだ。』と主張したある人が、その理由として『料理を作るという行為をしている時は、目的の矢印が<おいしい料理を食べるぞ>というほうへだけ向かっていたい。一方、後片付けをしている時はその目的の矢印が<終わったからさあかたづけよう。どんどん洗っちゃうぞ。>という方向だけにむかっているべきだ。だから「作りながら片付ける」という行為は、ちがう目的の矢印が同時に存在することになって、いやだ。作りながら片付けると、まず純粋に料理を食べる、という目的にむかうのではなくて、はじめから「後片付けまで終わった状態」に向かって進んでいるようで納得できない。』と主張していたのが面白かった。そりゃあもっともだ。
私などは『片付けるのが嫌いだからできるだけ作りながら片付けちゃおう』と思って洗ったりしているのだ、と自分で思っていたけど、よくよく考えてみると、本当に理由はそれだけではなくて、ただ単に料理もできた!流しもきれいに片付いてる!やった、すっきり!みたいなゲーム感覚的要素が多分にあるのではないか、という気がしてきた。きっと自分の手際のよさ炸裂!よしっ。みたいないい気分になるのだ。
どうなんだろう?私。

[link:6] 2003年06月23日(月) 02:02

2003年6月16日までの日記


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