忘れ物はないね?:2013-01-10

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2013年01月10日(木)

スタジオにて作業後、エンジニア氏と雑談中、ひょんなことからミッフィーの話になり、ミッフィー談義から、話題はいつしかミッフィーにそっくりな、しかし、決してミッフィーのパチモンなどではなく、古くからベルギーっ子をとりこにしている「ムスティー」へ。
そこでエンジニア氏と、ミッフィーとムスティーの、このあまりにも似ているふたつのキャラクターの、根本的な違いについて、検証してみました。

ひとつは顔の角度。
ミッフィーは近年3Dのパペットアニメーションが登場してからはナナメの目線などの表現があるが、昔ながらの絵本などにある絵は、思い出す限り、顔は基本すべて平面でこちらを向いているか後ろを向いているのがほとんど。
体がどちらへ向いていても、顔は基本平面。

一方、ムスティーはもとからナナメや横や、普通の私たちと同じように自然な角度の顔が表現されている。

そしてもうひとつ、ムスティーには手や足に関節がある。
ミッフィーの手足、ムスティーの手足に注目すると一目瞭然です。
ムスティーは非常に人っぽい。

ミッフィーとムスティーは、顔はたしかにとても似ていますが、デザイン、という観点からみるとまったく違うなあ、ということがよくわかりました。

ミッフィーはもう、その存在、背景、一場面一場面が絵としてデザインされたもの、ムスティーは、あくまで「お話の場面を描いた」もの、という感じ。
顔のいろんな角度が普通に描かれてるのも、手足に関節があるのも、そういうところから来ていると思います。

ますますどちらも捨てがたい。

と、ここまで来たところで、さらに話は進み、いわゆる人気キャラクターというものの性質(?)についての勝手な分析もしてみました。

ミッフィー、スヌーピー、○ティーちゃんなど、世界を代表する各氏だけれど、おなじ、「みなから愛されている人気キャラクター」という一線に並んでいるように見えて、それぞれの背景はずいぶん違って見えるのです。

本当の所、というか、「本当」もへったくれもない妄想の見解なので、関係者の人も怒らないでほしい。

ミッフィーやスヌーピーが、なんとなく、あの世界に自分たちで立ち、成功しようが人気者になろうが、スタイルをそれほど変えず、楽しんで仕事している感じがするのにくらべ、○ティーちゃんは、とにかく生まれた時からたくさんのマネージャーや事務所やとりまきがおり、いろいろなしがらみの中で、あの位置に立たされている感じがする(あくまで妄想です)。
あれこれコスプレしたり、ダースベーダーやキッスなんかにもなったり、ああ、仕事がんばってるんだなあ、えらいなあ、よっぽど支えなければいけない何かがあるんだなあ、と思ってしまう。家に帰ったら絶対別の素顔があるのんだろうなあと思わせる感じ。

たぶんいろんなキャラクターを見ると、人は勝手に無意識にその背景を作ってると思うので、いろんなキャラクターについて改めてそれを話してみると面白い。

[link:1292] 2013年01月15日(火) 23:43

2003年6月16日までの日記


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