忘れ物はないね?:2011-09-24

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2011年09月24日(土)夏のあれこれ。

このところ、あれよあれよという間に時が経ち、気がつけばもう9月も終わり。
虫の声も、空も雲も、町の景色が、まるでページをめくったように、秋になりました。
台風や豪雨もあちこちでありました。
本当に近頃の天候の激しさには言葉を失います。

今年の夏は、うれしいことに色々なイベントにもお誘いいただいたこともあり、7月あたりから、西荻窪、千駄木、京都、横浜、下北沢、といつもより多いペースであちこちでライヴをさせていただきました。
古書ほうろうさんでは3年ぶり。拾得では4年半ぶり。横浜の試聴室も1年ぶりでした。
私のホームグラウンドとも言える吉祥寺 MANDA-LA2や下北沢lete、新しくご縁をいただいた西荻のサンジャックを含め、どの場所もそれぞれの場所にしかない魅力があり、大好きな場所です。
そういう所で、大好きな人たちに誘ってもらって、大好きな人たちと演奏ができ、大好きな人たちに見てもらえる、というのは、ほんとうに幸せなことだな、とつくづく思うのです。
特に、来日したスパンピナートブラザーズのフロントアクトでは、フロントアクトにすぎない私たちの演奏からみなさんあったかく観てくださって、お客さんもジョーイやジョニーたちもにっこにっこ笑って楽しんでくれているのが演奏しながらわかり、すごくうれしかった。

大体、演奏してる時は客席が暗く、お客さんの顔というのは意外とこちらからは見えないので、時々、そうやって客席の様子が見えた時、みなさんの笑った顔があちこちに、というのはそれはうれしいものです。
歌も演奏もおしゃべりもぜーんぶただの空気の振動だけど、そんな目に見えないものを発生させたり受け取ったりできる、そして一緒にその空気の振動の中で、歌ったり、笑ったり、踊ったり、時には叫んだり、怒ったり。
生まれてから無くなるまでの貴重な時間を、そういうことにがんがん使っちゃうようにできてる人間てすごいな、と思うのです。
他の動物ならば、生命をつなぎ、子孫を残すためのメカニズムが最優先でインプットされているはずの「生きる時間」ってものを、こんな、このうえなくすばらしいアホ(に思えるよう)なことに大半を使っちゃったりして。
やっぱり人間というのは、最高に頭がよく、そして最高にアホな生き物です。
それがそのまま世界であり、この世であり、昔であり今であり未来である、と思います。
この世、というものがどこかで生まれてから、現在に至るまでのながーいながーいながーい時間と、たった今、この一瞬瞬きをした瞬間は、つまりおんなじなんだ、と。
金太郎飴みたいに、切った断面でここが、あそこが、ちょっとちがう?というようなちょっとした歪みやズレこそあれ、このマクロでありミクロであり、真っ黒であり真っ白であり、明るく暗く、遠くて近い、大嫌いで大好きなこの世の渦はおんなじだな、と思う。
その、とある断面にいる私たちも金太郎飴の一部。
一緒に列車に乗り合わせたようなものです。
私がこれから作る音楽も、言ってみれば、大昔、そういうのがあっただろうし、この先のどこかでもそういう似たような空気の振動があることでしょうが、今、私はここにこうして乗り合わせたまわりの人たちとこの場があるからこそ、ここで音楽を作っているんだな、と思います。
みなさん、一緒に乗り合わせてくれてどうもありがとう。

11月には、1年半ぶりにMANDA-LA2でライヴをします。
アルバム準備も進行中。
列車は今日も走っています。

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[link:1264] 2011年10月14日(金) 22:16

2003年6月16日までの日記


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