忘れ物はないね?:2011-08-07

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2011年08月07日(日)生駒おたのしみ会 その二・帽子にまつわるエトセトラ

前回までの日記・その一はこちら
奈良の生駒は大阪難波から近鉄の特急(だっけ?)でわりとすぐ(ずっとしゃべってたため時間忘れた)着いた。
到着するとせんとくんが改札のところに立っていて、盛り上がり、すぐさま記念撮影する。
駅はいたって普通。特にひなびた趣があるわけでもなく、どーんと最新でもない。
何もなさ加減(というか、一面の水田)では、一昨年行った、茨城の真壁町がぶっちぎりで1位。
そこらに比べると、生駒は「何もない」わけではなく、いわゆる普通の生活商店街がパタパタとある。
が、範囲はとても狭い。そして、いい意味でも、ちょっとネタがないな、という意味でも、「とても普通」。
大阪のギラっとした感じからも、京都のしゃなり、とした感じからも一線を画している。
人も空気も雰囲気も、なんだかのんびりしていてマイペースで、丁寧な感じがした。
時間がゆっくり流れている。
そしてそこに降り立ってはじめて、この感じは、せんとくんの「特に媚びることなく、特に主張もなさそうな、しかし見る者の心になんとなくひたひたとしみ込んでくる」あの、やわん、としたおだやかな表情にすべて表現されていたんだ、とわかった。
奈良もせんとくんもやはりタダモノではない。

というようなことを考えながらも、到着したら駅ビルを一応チェック(無意味)。
駅からは近鉄デパートとか、そこそこ中ぐらいなショッピングモールのビルにつながっている。
売っているものも、東京でも見るようなエスニック雑貨とか手作り雑貨(ある意味手作りすぎてすごかった)とか、婦人洋品など。
去年は、突然ギャルメイク挑戦(こちらの日記 をご参照ください)を思い立っても駅ビルにはなんでも揃うイマドキの店がたくさんあったが、今回はそれはなさそうだ。
さーっとひととおりひやかして、駅ビルチェックは終了した。
さて、これからが本番だ。生駒駅に駅前にある「ぴっくり通り商店街」というところに行くのだ。
「びっくり」ではない。「ぴ(ぱぴぷぺぽのPだ)」だ。
例によって、「ぴっくり」とは何なのか、などは全く調べていないため、知らない。
が、とにかく行ってみることにする。
駅から階段を降り、アーケードに入る。
コムデギャルソンのでっかいハートの顔がバーンと真ん中についたTシャツを着たおじいさん(おそらく息子のおさがりか。)とすれ違う。
入り口にはソックスやレギンスなどを売る店。
一応このあたりの品ぞろえはどんなものかチェックする。
すると、東京でも名古屋でも見た事のないような派手なレギンス(スパッツのほうがしっくりくる)が大量にある。
ストライプとかドットとかレースとか花とか、そのぐらいならどこにでもあるが、その程度のものではなくて、なんか布自体の柄や生地感とかから奇抜な感じだ。
こういうのは意外とギャルが履くのか、想像どおり社交ダンスの人が履くのか、サザエさんの登場人物に出てきそうなマダムが履くのか、まったくわからない。
生駒のどのあたりの年齢の人が履くんだろうか。
あれこれ見ているうちに、Pちゃんが、「私、ここ(ぴっくり通り商店街)で帽子を買うわ。」と言う。
このあと、ケーブルカーで山頂まで行くのに、帽子を持ってこなかったらしい。
「エ?ここ(ぴっくり通り商店街)で?」
「うん。ここ(ぴっくり通り商店街)で。」
Pちゃんといえば、尾道に行った時も、駅前商店街の古い床屋(美容院ではない)でいきなり「私、ここ(尾道駅前商店街)で髪を切るわ。」と言い出し、
「ボブにしてください」との注文もむなしく、床屋のおじいさんに女学生(?)とまちがわれ段カットにされた伝説の持ち主。
どうも、旅先で盛り上がると、ちょっと場違いなすてきなことを思い立つらしい。
そして、あれこれ見るが、どうも見つからず、そのうち、一軒の荒物店の前に来る。
店先にはそれこそ、たらい、たわし、洗濯物干し、仏壇のローソク立て、虫かご、やかん、などあらゆる生活雑貨が積まれており、そこに麦わら帽子もある。
あきらかに農家のおじさん用だが、Pちゃんは試着している。さすがだ。
くどいようだけど念のために言っておくと、Pちゃんは銀座の、そのほとんどが女子というオフィスで、おしゃれ女子の上司からも部下からも信頼を集めるバリバリの(?)キャリアウーマン(今時はこういうのをなんというのか、何年も前から引き続きわからない)だ。
そんなPちゃんは、有給をとってまで決行した尾道の床屋で段カットにされ、二本松・飯坂(@福島)の旅で何も無い炎天下の国道をパピコを吸いながら歩き、ギャルメイクをし、今年は、生駒のぴっくり通り商店街で農家のおじさん用の麦わら帽子を試着(購入も視野に入り中)している。

お店の奥からおばちゃんが出て来て、丁寧にすすめてくれる。似合う、とか似合わない、とかは誰も触れない。
けれどさすがに、もうちょっと農家のおじさん専用ではないのはないものか、と思い見渡すと、ザルやかごの下に婦人用の緑色のツバの大きな帽子があるのが見えた。
悪くない。さっそくそれを掘り出し、Pちゃんにかぶせると、今日のPちゃんのフルーツ柄のチュニックに、緑色がとてもよく似合う。
帽子もシンプルでツバは大きくUVカットで、諸々よさそうだ。
すると、さきほどのおばちゃんがすかさず「それはお買い得。680円。」と言うではないか。
「エ?680円?」耳を疑う安さだ。
というわけで、Pちゃんすかさず購入。
680円なら、この旅でかぶってかぶってかぶり倒してボロボロになっちゃっても惜しくない値段だ。
いい買い物をしたPちゃんがうらやましいが、私はこの日のために下ろしたお気に入りの帽子を家からかぶってきており、帽子はまったく必要ない。
帽子どころか、何も買う必要はない。
今回、私の装備は完璧なのだ。
尾道ではどしゃぶりで靴がダメになり、奥多摩では山なのに下駄履き、二本松ではサンダルの靴擦れで足がロボットのようになり、これまでは毎回、どの旅先でもことごとく(やむを得ず)商店街で靴を買うハメになったが、今回は足元も履き慣れたペタンコサンダル。格好も帽子もバッチリだ。

ということで、まず帽子を買ったPちゃんと、その次は腹ごしらえだ。
お店はケンタッキーとかうどん屋さんなど。
私たちのおたのしみ会は「食」にはこだわらない。
というか、おたのしみ会は基本的にこだわりのお店がありそうな所には行かないので(実際にはきっとあるんだろうが)、そういうお店に入ることはない。
尾道で(はこだわりのお店もいっぱいあったが)の最初の夜はまさかのほか弁だった(道草しすぎて、あらゆるお店が閉まり、ほか弁買って民宿で食べた。ほか弁のお店も終わりがけだったので、おばちゃんがものすごいサービスしてくれた)。
どこでもいいのだ。わざわざ旅に出たのに旅先でファストフードとかでも文句は言わない。そう、たとえ大阪へ来てお好み焼きを食べられなくてもだ。
世の中には「ただラーメンを食べに博多へ」飛んだり、「ただソーセージを食べるためにドイツへ」行ったりする人もいるし、そうでない人々も「旅に出れば、来たからにはそこの名物であるナニナニのひとつも食べて帰ろう」と思う場合が多かろうと思うが、おたのしみ会ではそういうことを思ってはいけない。
そういうスピリット(?)的なことでは、敬愛してやまない内田百ケン(門構えに月。入力するとどうしても以下の文章がが文字化けしてしまうので)先生の阿呆列車さながら、というような思いも頭をよぎったが、よく考えると、百ケン先生の「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って出掛け」、「用事がないのに出掛けるのだから一等で(帰りは帰って来るという用事があるから三等もアリ。無駄遣いはしない。)」というのは、実はその正反対である「ただラーメンを食べに博多へ」飛んだり、「ただ上海蟹を食べるために上海へ」行ったりするのと同じ「贅沢」である。
だから、やはり違うのだ。
私たちのおたのしみ会は、そんなスピリットとは無縁なのだ。すべての意味で。
用事はない。予定もない。下調べもしない。第一に、行き先はなんとなく。
しかし、行った先では「徹底的に観光し、シャッターの半分閉まった店にすら入り浸り、そこを掘り下げる」のだ。
目的は後からついてくる。
結果的にどうしようもない無駄遣いにつながることもある(例:真壁に行った時は一日雨で、栃木の駅ビルから一歩も出ず、妙なテンションで妙なインポートショップでなぜかプラダのかわいいバッグを見つけてしまい、買う。)

で、食にこだわらない私たちは、商店街の脇の中華料理店に入った。
遅めのお昼時で、店内にはお客さんが3組。
テーブルはたくさん空いている。
私たちが入り口を入ってすぐ、お店のおばちゃんが出て来る前に、入り口脇に座っていたおっちゃんが、ものすごく自然に「ああ、ここに座ったら?」と自分のテーブルに私たちを招く。
他にテーブルはどーーーんと空いているのに、いそいそと自分のテーブルのお皿やコップを片方に寄せたりしている。
え、なに?なんで?
とても不思議だ。
もちろん別にそれでもよかったのだけど、他のテーブルがたくさん空いているのに、知らないおっちゃんとひとつのテーブルに相席するのはあまりにも変な気がして、私たちがぼんやり立ち尽くしていると、奥からお店のおばちゃんが出て来て、何事もなかったように別のテーブルに案内してくれた。
なので、おじさんには丁重にお断りして別のテーブルにつく。
すると、今度は向かいに座ったPちゃんの後方の、別のテーブルにいた三人のうちの一人の女性がフと目に入った。
さきほどPちゃんが試着した農家のおじさん風の帽子のさらに原型(何の?)に近づけたような、ベトナムの人が被っているような帽子を、あごの下のヒモもきっちり結んで被っている(室内だけど)。
そして私と目が合うと、ピースサインをしてきた。
え?え?なに?
思わず私の後ろに誰か知り合いがいるのかと思い、振り返って見てしまったが、誰もいない。
彼女は私にむかってニッカリと笑いながらピースをしているのだ。
なんで?
彼女たちのテーブルには、ナントカ飯店のナントカコースのように、料理のお皿がぎっしり並んでいて、連れの男性二人はピースする女性には何の気もとめず、普通に料理を食べている。
............。
なんと謎なお客ばかりの店か。
しかし、不思議と嫌な感じはまったくない。
みなのんきに楽しそうにごはんを食べている。
なので、わたしたちもなんだか夢の中にいるような妙にリラックスした気持ちになり、Pちゃんはエビチャーハン、私は冷やし中華を静かに食べた。
冷やし中華を食べ終わっても、先から店内にいた不思議なお客たちは一向に店を出る気配はなく、私たちは後から入って先にお店を出る格好になった。
その後、古本屋や洋品店をひやかす。
ぴっくり通り商店街は意外に短く、お店もすぐに見尽くしてしまった。
洋品店でどこから来たのかを問われ、東京です、と答えると、「へぇ、お母さん、東京ですって。東京からまた何の御用でここへ?」と失笑され、「いえ、ただ、あの、ぴっくり通り商店街に来てみたかったのです」と言うと、更に目を丸くして、「へー、それはそれは...すごいピンポイントですね。」と大笑いされた。
そこで、「ぴっくり通りのぴっくりって何のことですか?」と聞いてみると、「ああ、ぴっくり?ええっとねえ....さあ?」との答えで、どうやらぴっくり通り商店街の人もよくわからないようだった。
しかし、「意味はわかんないけど、ここのぴっくり通り商店街は日本で一番短いアーケード商店街なのよ。」と教えてくださった。
「へぇ…。」道理で短いと思った。が、その時のわたしたちには、それはわりとどっちでもいい情報で、それほど気にもとめなかった。
けれど、これが後で重要な意味を持ってくるのである。
雑談の後、若いマダムと熟年マダムのお店を後にして、ぶらぶらとケーブルカー乗り場へ向かった。

ケーブルカー乗り場は土日だけど、がらんとしていた。
ここから、生駒山頂へ行くのだけど、なぜか、ここのケーブルカーはものすごい。
何風かさっぱりよくわからない、ブル号とミケ号というド派手な犬の形、猫の形(どっちも一緒に見える)をしたケーブルカーなのだ。
乗り場まで階段を登っていくと、発車を待つブル号に、数人の家族連れや、恋人同士、一人だけで手ぶらで乗っている(ケイタイでゲーム中)高校生ぐらいの外国人、おじいさん、というこれまた謎の顔ぶれの乗客がいた。
このド派手な車両は山頂に遊園地があるからだろうとは思うけど、山頂へ行く手前にも病院のような施設や神社や民家があり、ケーブルカーを普段の足として利用している人もいるようで、それらの人々は、車内にハイテンションな音楽が流れ、すれ違うたびに「向こうから合図が来たら手を振るよ♪」と車内放送があるこのケーブルカーにダンマリで乗っている。
途中、駅で乗り換え、更に遊園地色の高まった、ケーキの形のケーブルカー(スイーツ号)で山頂の遊園地に到着した。
到着したものの、私たちはあの変テコなケーブルカーに乗れればそれでよかったので、遊園地はなんとなく一周すればいいよね、ぐらいに思っていた。
しかし、深い深い夢の入り口がそこに口を開いていたのだ。
土日なのに、人はまばら。それなのに園内の係員さんはやけにたくさんいる。
入ったところに「シニア割引 60歳以上の方 自己申告」という看板があり、その後ろの柵に囲まれたコーナーではさっそく犬が吠えまくっている。
え、すごい鳴いてるよ、どうしたどうした?と少し気を許し、ふれあい広場らしきところに近寄った時点で、私たちは生駒山頂遊園地の罠(?)にまんまとかかっていたのだ。
向こうにちらちら見える芝生のステージでは犬劇団による「孫悟空」。
頭上をゆっくりまわる飛行機の乗り物。
やけに回転が早く目のまわるティーカップ。
すっごく低い急降下マシーン(2階のベランダぐらい)。
人力の二人乗りバイキング(ゆりかご状のブランコ?)。
倉庫にドカーンドカーンとアンパンマンやドラえもんや宇宙ロボットがいるゲームセンター(のようなところ)。
80年代すぎるゲームセンター(のようなところ)。
手描きのぞんざいな背景がすてきなレーシングカーの乗り物。
テキトーな模様のガンダム風なドシーンとした中型ロボ(それほど大きくない)。
出発の間隔がとてもテキトー(人が来ると乗せて出発する)なぷかぷかパンダ(遊園地の上をまわるモノレール)。
「一足足をふみ入れると そこは錯覚とハイテクと恐怖の世界」とかかれた「ホワイトハウス(という名の魔法の舘)」。
やけに明るい声で「大おばけ屋敷、地獄門はこちらだよ♪」とスピーカーから誘うおばけ屋敷。
またがって100円を入れると動くじゃじゃ丸。
ただごとではないこの感じ。
園内まるごと古く、昭和の匂いに包まれているが、乗り物や施設はどれもこれもきれいで、丁寧に手入れされ、みんなに大事にされているような雰囲気がある。
ぬいぐるみ生地の乗り物は、色は褪せているが、傷みは補修され、ちゃん大事にされている様子がうかがえる(でも、活動エリアは隣の駐車場みたいな所)。
遊具の色のハゲたところは誰かが手でペンキを塗り、売店にあるコカコーラのベンチもよく見ると、色が塗り直され、手描きで「coca cola」と描いてある。
ひやかすだけのつもりだったが、楽しすぎる。
あっという間にいろいろな乗り物に次から次へと乗り、こんなことなら回数券を買えばよかった、と思うような散財ぶりだった。
そして、一休みに遊園地はずれのお茶所へ。
八月の日射しと、ヒグラシの鳴き声に包まれながら、缶詰のさくらんぼの乗ったせんじ氷をつついていると、今はまるで夢の中で、それも、いつか昔にほんとうにあった夏の日の褪せた午後の中にでもいるようだった。
Pちゃんと二人、頬杖をついて、ああ、わたしたち、60歳になってもまたこの遊園地に来よう。
ほんとうは一ヶ月ぐらいここに住みたいけど、などと話し、目をつむってヒグラシの音の中に埋まったりした。

こうして至福の時を過ごし、さて行くか、と立ち上がって帽子を被ったその時、コトは起きた。
私の被ってきたお気に入りのおニューの帽子が、壊れている。

つばが3cmぐらいの幅でぐるりと360度はがれているのだ!
つまり、8cmぐらいの幅だったつばが5cmぐらいになっている。
しかも、ストローハットのつばはくるくると蚊取り線香状に縫い合わされてできているから、はずれた輪っかの先はつながって帽子の本体にくっついている(この先もほつれていく)。
輪っかを持ち上げると、ぶらーんと帽子のハンドバッグのようだ。
がーーーーーん!
ていうか、え?え?なんで??いつの間に??
さっきまでうかれてかぶり、写真にだってバッチリ写ってるじゃないの。
それにしても、こんな派手な壊れ方をした帽子をみたことがない。
愕然として、意味もなく壊れた帽子の写真をとったり、近くや遠くから眺めたりしたが、事実は変わらない。
まだ日も照っているし、どうにかして帽子は被らなければいけないが、輪っかつきのままでは被れないし、このままぶらさげていても、このつなぎめはどんどんほつれて、帽子はなくなり、ただの一本の長いヒモと輪っかになってしまう。
ということで、お店でハサミを借り、断腸の思いで、輪っかと帽子を切り離した。
糸がバラバラに出ているし、切り離したところで、このまま被っていれば、ここからまたほつれていくのは時間の問題だ。
泣きたくなった。
ついさっきぴっくり通り商店街で帽子を買ったPちゃんに、「私はちゃんと帽子あるからいいもんね」と自慢げに思った自分が懐かしい。
それともこれはバチが当たったのだろうか?
ごめん、Pちゃん、農家のおじさん風の帽子を笑って。
というか、こんなことになるのなら、私もあそこで帽子を買っておけばよかった。
完全にお揃いになっちゃうけど、あの680円のを買えばよかった。
Pちゃんの緑色の帽子がいっそうキラキラして見えた。
帽子のショックをかかえたまま、遊園地を出て、来た道を戻った。
ケーブルカーは変わらず楽しい山の音楽家を鳴らしながら急な山道を下り、途中の駅で頭にターバンを巻き、松葉杖をついたインド人のおじいさんが乗って来て、後ろのおじいさんと「骨折ですか。」「はあ、だいぶいいのです。」などと話をするのを聞きながら山を下った。
ちょっと学校でいやなことがあった日の帰り道みたいな気分だった。

そして、結局、私もぴっくり通り商店街で大きなつばの帽子を買った。
(ついでにりんごのお皿も4枚300円で買った。)
そしてそのおかげで、一番帽子の要る山頂で帽子はこわれ、日が沈んでからデカイつばの帽子を持ち歩くハメになった。
つまり今年は、靴が帽子になっただけだった。
しかし、それならなぜせめてケーブルカーに乗る前に壊れないか、帽子め。

つづく

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[link:1262] 2011年09月24日(土) 17:42


2011年08月07日(日)モンクと足穂がやってきた

生駒おたのしみ会日記の途中ですが、あまりにもうれしいので、自慢日記です。
ついに、我が家にやってきました。
漫画家でブルースマン、そしてチッチ&クックのチッチの師匠でもある久住昌之さんの切り絵です。
展覧会で一目惚れしてから、紆余曲折を経てついに手元にやってきました。
久住さんは漫画も音楽も、そしてそのキャラクターも素晴らしいのですが、切り絵も本当に素晴らしくイカしていて、その作品が展覧会で壁にズラズラと並ぶと圧巻です。
数々の著名人を切った作品は、どれも抜群で、あれもイイ!これもイイ!と思ってしまうのですが、中でも、どうしても欲しかったのが、今回のモンクと足穂です。
この世、あの世に、尊敬して愛する音楽家は数多くいて、誰か一人、といわれても答えに困ってしまうのですが、三人答えろ、と言われたら、たぶん常にそのうちの一人はこの人を答えると思う、セロニアス・モンク。
そして、それと同じことを作家で聞かれたら、やはりこの人を答えると思う、稲垣足穂。

この二人の人物が、久住さんにかかると、もうまるでおんなじ町に住んでた知り合いを思い出して切ってるんじゃないか、ってぐらい、そのキャラクターごと、雰囲気ごと、見事に切り絵に表現されています。
例えばどんなに立派な人や気難しそうな人だって、人であるからにはどっかかんかちょっと「ぷっ」って笑えちゃうような一面があるはずで、久住さんの切り絵は、どんなにすごい人も、偏屈だったり変わり者なんだろうな、というような人でさえ、なんとなく見る人を「ぷっ」とさせるような一面を漂わせて額におさまっているのだ。
そして、モンクも足穂も実際会ったことないから、実はどのぐらいどんな人であったのか知らないはずなのに、「ふふ、やっぱりこういう人だったんだよね」という気分になって、ますます親しみが沸いてしまうのである。
不思議....。
本当にうれしい。大事にします。

そして、久住さんの先日リリースされたばかりのソロアルバム「MUSICOMIX」もすっごくよかった。
そのタイトル通りの内容は、そのまま久住さんというヒトを表している。
どんなに我慢しても、一曲通して笑わずに聴いていられる曲がない。
もともと、音楽はそうでなくちゃ、と私は思っているから、どうやってももニヤニヤしたり「ぷっ」となっちゃったりするってすごいことだ。
アレンジも演奏も最高にイカしているし、すごい曲もあるけど、最高にクールでかっこいいのに、かっこよければよいほど笑えてしまうし、ダイナミックであればあるほど笑えてしまうし、時々、切ない曲ですらあるのに、泣きそうになりながら、やっぱり笑えてしまう。
それは久住さんの描く漫画も、エッセイも、切り絵も、音楽も、ぜんぶ一緒だ。
ほんとにイカしています。大好きです。

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[link:1260] 2011年08月07日(日) 23:26


2011年08月07日(日)こっちが足穂。(下のつづき)

月の表面の感じとか、見えますか。
最高。泣ける。

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[link:1261] 2011年08月07日(日) 01:58

2003年6月16日までの日記


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