忘れ物はないね?:2011-03-14

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2011年03月14日(月)いま思うこと

東北地方太平洋沖地震で被害に遭われたたくさんの方々に、心からのお見舞いと、亡くなられた方に心からお悔やみを申し上げます。
どうかこれ以上被害が広がらないように、そして、一人でも多くの方の命が助かりますように、強く強くお祈りいたします。
大変な状況のもとでがんばっておられるみなさま、どうか、どうかがんばってください!

こういう時、とにかく、何かできないか、自分にできることは何だろう、と考え続けてしまうのですが、考えれば考えるほど、自分がいかに無力であるかを改めて思い知るばかりで、気が遠くなりそうです。

でもなにもしないことも協力のひとつである、と思えるようになりました。
自分が実際に必要とされた場面で的確に的確なことができるまでは、静かに、ちゃんと状況と動向を見続けることが、今の自分にできることなんだ、と思います。

みな、それぞれにできることや立場が違うので、足し算方向の協力でき、それが本当にプラスに働く力がある人はぜひやるべきだと思います。

でも、自分は、まずは引き算の協力。
次にできることといえば、的確なところへ寄付をする、正しい呼びかけに応じる、求められたら提供する、というような、不足を補うための協力。
それから、世間の、とかじゃなくて、できる限り個人個人の気持ちは尊重する。
たぶん、私にはこのぐらいが精一杯です。
これぐらいのことでは、ほぼ無力にちかいですが、でも、それがちゃんとできるようにがんばりたい。
あとは、これはただの自己満足だと言われる覚悟ですが、とにかくこれ以上、苦しむ人が増えないように念を送る!

「がんばって」という言葉をこれまで、あまり使うのは好きではありませんでした。
なぜなら、なんとなく自分が部外者で、とても無責任にこれを言っている気がいつもするからです。
でもそれも、よくよく考えてみれば、「そういう無責任な感じがする自分」が自分でイヤなだけで、それってつまり、自分を擁護しているだけなんです。

もう、そんなことはどうでもいいです。
今、この場においては、もう何を言っても、何をしても、自分は役に立てない「部外者」に違いないんだ、ということを受け入れた上で、ここで言わなくていつ言うんだ、と思うので言います。
スルーでかまいません。
部外者の自己満足のつぶやきです。
でも心からこう思っています。
どうか、どうか、がんばってください!


[link:1247] 2011年03月18日(金) 00:25

2003年6月16日までの日記


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