忘れ物はないね?:2011-01-13

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2011年01月13日(木)遅ればせながらあけましておめでとうございます。

年があけて、風邪をひいたり、お腹をこわしたり、なんだかんだとお休みが過ぎ、年始からはなんだかやたらとバタバタして、ご挨拶も日記更新も遅くなってしまいました。

今年も、いままでに増して、スルドくユルく、心をこめて軽やかに音楽を作っていきたいと思ってますので、みなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。
年の始めだからといって、いつもたいして目標を立てるわけではありません。
立てるわけではないのですが、なんとなく、心掛けよう、と思うことを心に思い浮かべたりするのです。
今、心に思い浮かべているのは、『とにかく、字は丁寧に書こう』ということです。
中学まで書道を習っており、コンクールなどで賞状もいくつかいただくほどがんばっていましたが、高校あたりからいつしか、丸文字へのアコガレが強まり、その後、それがどんどんくずれ、へたくそな字になって数十年.....。
今になって、『ああ、あの時、丸文字にさえアコガレなければ....』と悔やんで見ても、なかなかにきれいな文字というのは書けないものなのです。
全く立派な上手な字でなくともよいのです。
私が好きと思える『気持ちのよい字』というのがあって、うまくなくてもよいから、せめてそういう字が書けたらいいのに、とつくづく思います。
この私の思う『気持ちのよい字』というのは、たいてい突然出会うのですが、ほとんどが、食堂とかラーメン屋さんとか、『手描きのお品書き』があるようなお店で書かれている『メニュー』です。(あ、この時期は年賀状、というのもありますね。)
どこかの町の小さな食堂とか、居酒屋さんとか、そういうささやかなお店に貼ってある黄ばんだお品書きの文字が、『サバの塩焼き定食 六二○円』『マカロニサラダ 三○○円』なんてちゃんとお習字を習って、丁寧にとても気持ちがよく書いてある文字だと、なんだかお店のご主人の心持ちが見えるようでうれしくなるのです。
別に下手だとよくない、という意味じゃなくて、その人なりのスタイルで『丁寧に書いて』あるのが見えるのが気持ちがいい。
このメニューを書くのに、背筋をのばして机に向かったであろう店主の(または店主の奥さん?)オフに、または夜な夜なちいさな年賀状に筆をとりあげて精神を統一する人々の様子に思いを馳せると、うーーーん、改めて、字を書くという行為は、しゃべる以上にモノを語るもんだなー、と思うのであります。

これは譜面もまったく一緒で、常々、譜面を書くという状況は、わりと差し迫った作業の最終段階であることが多いので、ついつい焦ってバババーと書いてしまいがちなのですが、演奏してくれる人に渡す譜面ほど、ていねいに書くべし!!!!と自分に喝を入れる年の始めでありました。


[link:1245] 2011年02月27日(日) 02:53

2003年6月16日までの日記


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