忘れ物はないね?:2010-07-10

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2010年07月10日(土)航海は続く

リハも終盤。
初日には、お互いに話の噛み合ってるのか噛み合ってないのかさえよくわからず、そしてお互いに人見知り(?)であった中尾さんとも少し意思の疎通ができるようになってきた。
しゃべりながら演奏する、ということも勉強した。
そして、この曲がこんなふうになるのか!という発見のみならず、人の器の大きさ、懐の深さ、そして自分の器の小ささなどにも改めて気がつき、逆に自分でも思わなかったところで私わりと神経太いな、と思うことがあったりして、色々面白い。
そして、わかったことは、どんな時でも、そこには力強く支えてくれる人たちがいて、もっと思い切って投げ出してしまえば投げたものはどうにかなっていくものだ、ということだ。
また、自分が投げたものが自分に返ってくることもあって、それはそれで、それに対しても意外と自分でもどうにかなるもんである。
言い方がずいぶん無責任のように聴こえるかもしれないけれど、
そうではなくて、これは私にとってはとても重大な成長なのだ。
もちろん、支えてくれる力強い人たちがいる、ということについては昔も今も変わりはなく、それぞれの人たちにその時その時で力強く支えてもらっているという安心感は変わらない。
ただ、今回、無理矢理自分を外国航路の船に乗せてみたことで、外国を旅したような気持ちになった。
思い描いていたものと違うところもあるし、そしてそれ以上に素晴らしいものの発見もある。
外国へ来たことで、一緒に旅している人の顔も違って見えることもある。
同じ窓からも見える景色が違い、着るシャツの色も違って見えるのだ。
それがとても面白い。
来てくださった方々にもこの面白さが伝わったらいいな、と思います。
新曲も数曲登場します。

写真は関島さんと中尾さんのお二人。間にかかった傘ごと、なんか力が抜けてて、いい仕事してます。

1234.jpg 640×480 (original size)

[link:1234] 2010年07月12日(月) 02:48

2003年6月16日までの日記


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