忘れ物はないね?:2008-04-11

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

HOME

2008年04月11日(金)

まったく自分の方向音痴さには腹が立つのを通り越してほとほとあきれる。電車の逆方向に乗るというのはもはや日常で、中央線では吉祥寺から東京駅方面に帰るはずが、三鷹を通り越し、武蔵境で『おや?ここは.....?』と気がつくし、代々木公園から日比谷方面に帰るはずが、代々木上原終点で電車を降りるはめに。
今日は今日でやけに道のりが長かったなあ。西麻布で打ち合わせの後、日比谷経由で千駄木の古書ほうろうへ行くはずが、陽気もよくタリラリ〜と歩いていたためか日比谷で千代田線に乗り換えるところを出口に向かってまっしぐらにエスカレーターをのぼり、出口と改札しかないところで思いっきりUターン(後ろの人ガン見)。ホームを端から端まで歩いて千代田線に乗ったところ、今度はいつまで経っても千駄木に着かないのでよくよく見てみるとそこは赤坂。赤坂までくる前に恋せよ乙女〜、いや気づけよ乙女、いや自分。何度も言うけど、なぜ何の疑いもなしに逆方面に乗るのか?行き先を確認していないならまだしも、これで、乗る前には一応方向を確かめているつもりなのがなおさら恐ろしい。
帰りに銀だこでたこ焼きを買って帰ろうとすれば、5〜6人並んでいて、『まあこのぐらいならすぐでしょう』と列にならんだら一向に列が進まず(一人一人がたくさん買って行く。家族の夕食?)、それが気に入らなかったのか、通りがかりの老婆に『ケッ、あたしゃ並んでまで買いたかないねえっ!』と悪態をつかれる。なんだか長い一日でしたよ、あたしゃ。
というような具合でしたが、古書ほうろうのチケットの受付は始まっておりますです。ごーるでんうぃーくなので、みなさまレジャーにお忙しいかしら。どうぞ遊びにいらしてくださいましね。


[link:971] 2008年04月12日(土) 23:44

2003年6月16日までの日記


Copyright©2001-2003 Chiaki Kato, All rights reserved.
Contact Us
Do you know DonutFilms?