忘れ物はないね?:2007-06-28

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2007年06月28日(木)

ぼやっとしている間に6月も終わり。6月は30日までですね。
このところ、絵を描くのに専念しています。暑いのでタオルを頭に巻いて、魚屋さんのおばちゃんのようです。
夕方、外をとうふ屋さんのバイクが『トフー』といいながら走って行って、一度買ってみたいと思うんだけど、どうしても間に合わない。このとうふ屋さんはよくきく『プ〜(ラッパ)と〜ふ〜』というのとはちょっとちがい、『ビャー(ブザーのようなラッパ)トフー!』と早い。そして3秒ぐらいシーンとして、たちまちブィーンといってしまうのです。ここに住んで7年目だけど、一度も挑戦できない。今度しっかり曜日と時間をおぼえて待ち構えててみるか。

私は小さい頃なりたかったのは『とうふ屋さん』と『歯医者さん』で、歯医者さんは自分がかかるのは死ぬほど怖くていやだったが、歯医者さんになればみんなの『のどちんこ』が見れるんだ!と、何か歯医者さんになると『ものすごく得なこと』があるように思っていました。それと同時進行でなりかったとうふ屋さんは、昔よく母についていっていた市場のとうふ屋さんで、とうふの水槽が滝のように段々になって、その段ごとにいろんなとうふが浮いており、注文するとおねえさんが青い透明のうすっぺらーいプラスティックの容器で滝の中に手を突っ込んでフワ〜ンと豆腐をすくってくれるのがたまらなかった。大きくなって、トルコのスパークリング温泉観光地『パムッカレ』を見た時、ものすごく心ひかれ、コレダ!と思ったものです。『とうふの滝』と形状はほぼ同じ。パムッカレ全体は石灰棚だそうです。どうやらそういう段々になっているところに水がたまり、流れ、あふれている光景が好きなようです。理由はよくわかりませんが。それから、いつかいつかパムッカレに行きたいと思っていたけど、もう今は石灰棚がどんどん汚くなってしまって、一部しか立ち入ることができないそうですが、でも行ってみたいなあ。


[link:864] 2007年06月30日(土) 00:34

2003年6月16日までの日記


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