忘れ物はないね?:2007-02-03

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2007年02月03日(土)

下北沢のスズナリへ少年王者舘の天野天街が脚本・演出するITOプロジェクト『平太郎化物日記』を観に行く。
これは!すごい!ごっつオモロカッタ!少年王者舘の芝居もごっつオモロイのだが、こちらは舞台が糸あやつり人形サイズなので、生身のニンゲンの舞台では不可能なような縮尺のマジックがふんだんに盛り込まれ、いわゆる此処にいるワタシおよびワタシを取り巻く色んなモノの大きさや空間の様子がほんとによくわからなくなりました。普段目に見えている、現実と思っているモノの大きさなんて、やっぱり極めてテキトーなんだな、と思えてくる。よく何かの大きさがわかりやすいように、タバコなんかと並べて写真に写っていたりするけど、そのタバコだって大きさは自分と比べてとか他の今現実にあると思われているモノとの比較でしかないし、自分の大きさとかだって現実と思われている空間に対してでしかないんだから、確実に絶対にその大きさで、その時間だ、という確かなものはなにもなくて、ぜんぶ『そういうことになっている』にすぎないんだもんなー。と改めて思った。
あ、言ってることよくわかんないですかね?
ともかく、でもそんなふうに『そういうことになっている』この場所でワタシという不確かなものが不確かなものを好きになったり何かを伝えたりつながったりしながら消えて行く、『此処』というのはそういう場所にすぎないけども、そうであるからこそワタシたちは此処でこんなふうにして熱くなったり冷たくなったりして通り過ぎ続けて行くんだなあ、と、確認のようなことを思った。ものすごく簡単なことなんだけど。明日までの公演はとーっても混み合っているようなので、もう観られないかもしれませんが、機会があったらぜひたくさんの人に観てもらいたい。

さて、トップページでも諸々お知らせを更新しています。
3月はライヴがたくさんあります。チッチ&クックも1本追加になりました!

[link:794] 2007年02月07日(水) 19:37

2003年6月16日までの日記


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