忘れ物はないね?:2006-07-14

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2006年07月14日(金)

13日はお世話になってるプロデューサーさんと千駄木の天外天へ行った。有名店だけあって夜は高価なのだが、お値打ちでとーっても美味しかった。給食風に言うと大おかず、小おかず、スープ、ごはん(おかわりもできる)、ザーサイ、デザート、で1200円。うーむ。しかもすごくうまい。ごちそうさまでした。その間中、仕事の話をいっさい忘れ、まったく関係のない話でおおいに盛り上がった昼下がりであった。

その帰り、ふと古本屋で買った『サボテン 作業12ヶ月』というのがすこぶる面白かった。『引き続きサボテンには休んでもらい、移植のしたくをするとよろしい』、『温暖期に密閉しておくと、湿度が50℃以上にもなり、サボテンが煮えてしまいます』など、説明がことごとく面白い。そしてこの平尾博、という作者が心からサボテンを愛してやまないことがよくわかる。しかし、かといってサボテンを猫かわいがりせず、『必要のないものは必要ない、わざわざ遠方からそのために購入する人もありますが、そこまで気を遣うことはない。それよりもまず身近の材料をいくつかそろえて工夫し、サボテンに慣れさせるのがよろしい。』などと時にはまるで親が我が子をつきはなしたり、またここぞという時にはせっせと世話としたりしながら成長を見守っていくさまそのものに、サボテンに接しているのがたまらなく好感がもてる。
あるいは、栽培施設は『手持ちのサボテンが20鉢程度ですとつい小さいものを考えがちですが、〜中略〜 サボテン園芸ではコレクションが大きな要素を占めるので、将来の増加を見越して事情の許す限り大きめのものをつくりたいものです。』など、先の見通しのこともちゃんと忘れない(途中で飽きてやめるかもしれないことはこの際考えない)。
軽い気持ちで買ったサボテン愛好の本だが、何ものに対しても、優しいばかりでもだめ、厳しいばかりでもだめ、時には押し、時にはだまって見守る姿勢、というのを今更ながらに学んだ。

[link:681] 2006年07月16日(日) 00:54

2003年6月16日までの日記


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