忘れ物はないね?:2005-05-02

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2005年05月02日(月)

久しぶりに日記書きます。家でずーっとこもって、どうしてもしっくりこないあと一曲の歌詞ずーっと考えてました。そのために歌録音がのびのびになってました。なにも手につきませんでした。こんなに詞で苦しむことは大変珍しい。というか初めてです。なぜなら、自分の曲の時は曲と詞を分けて考えないから。同時にできるから。だから、このデモの段階で歌詞の一部分しかできておらず、曲全体の情景の見えぬままオケだけ完成しちゃって『もう、ぜったいオケは変更ナシだかんね!』『今更コトバが乗らないからメロディー変えたい、とかなんて、誰がなんと言っても録り直しはあり得ませんから!』というように、できあがったオケにずっしりとプレッシャーをかけられているのがますますつらく、ますますできん、といった具合でした。あと二行!あと一行!ってわけにはいかないのがツライ。あとひとつ言葉が埋まらないために、やっぱり最初から作り直し。もっかい練り直し。って何回やったか。
でももうできたもんね。ふん。しかし、それとともに、歌詞を作るのためにこんなに背景を緻密に作りこみ、広辞苑、インターネット、図鑑、とあらゆるものを駆使して調べものをしたのも、『ピタゴラスイッチ」で書いた『おんなじとこちがうとこ』以来でした。あれもネタ調べにたいそう時間をかけました。
と、ここまで書いておきながら、しかし今回の詞は、別段どうということもないものに仕上がったので、これはこれで満足です。
そのリサーチの副産物として、経緯ははしょりますが、どうも私、バードウォッチングがしたくなっているようです。今まで鳥ってぜんぜん興味なくて、どちらかというと嫌いだったのですが(今もハトはきらい)、見た事もない色の期間限定の鳥とか、そのへんにいる鳥でもスズメやハト以外の鳥とかは『アリ』かもしれない。間近で見てみたい、と思うようになってしまった。アルバムがアップしたらなんかどっかの森とかへ行こうかなあ。

[link:428] 2005年05月03日(火) 02:32

2003年6月16日までの日記


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