忘れ物はないね?:2005-03-15

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2005年03月15日(火)

今日は祖母の88歳の誕生日。おばあちゃんおめでとう。
米寿かー。すごいね。つくづくこの喜寿(77歳。「喜」の略字が七を3つ書くことから)、米寿(88歳。八十八を重ねて書くと「米」になる)、卒寿(90歳。おなじく「卒」の略字は縦書きで九十と読める)、白寿(99歳。「百」から「一」を引くと「白」)、などという字からとか形からきている洒落のきいた日本の習わしなどを聞くと、つくづく良いなー。と思う。
そのおばあちゃんに、数日前、今日届くように祝電を打った。
しかし祖母は母方で、うちの実家に同居しているため苗字がちがう。しかし日頃の郵便物はいちいち「加藤方」と書かなくても祖母宛に届くため大丈夫かと思ったら、電報はそうはいかないらしく、確認のために電話をしたらまたうちが留守だったようで、おまけにもう何年も前に区画整理で住所の名称と番地のみが変更になったのだが、それすら把握してくれていなくて、もう半分取り乱したような電話が電報の配達担当の人からかかってきた。で、数年前の住所を教えてくれといわれた。なんかアナログです。しかしそのわりには電報とどける前に電話って.....。昔は電話がなくて電報だったんですから。とかいろいろ思ったが、もとはといえば「加藤方」を抜かして言ってしまった私がいけなかったわけで、担当の方にとんだお手数をかけてしまいました。で、留守だったうちの実家になかなか連絡がとれないその担当の人はもうすごいあわてようで何度も何度もこちらに電話をくれ、あげくの果てにはこんがらがっちゃって、私に『△×○様(祖母の名前)に電報が届いてますが、そちらで受け取っていただけませんでしょうか?』ってもうめちゃくちゃ。「祝電だから今日中に!」って思ってくれてのことだろうけど、明らかに手元の地図がすっごい古いらしいってのがバレバレで、もうちょっとちゃんと調べてくださいよ、と思ってしまった。すごい高い電報代払ってるんだから。それでもなんとか夕方には無事届いたらしくよかった。

とかなんとか朝からバタバタしつつ、午後からはCMの録音。そこでプロデューサー氏が「花粉症が治まる周波数のナントカ波が出ているMP3プレイヤー」を見せてくれた。普通のMP3プレイヤーとおんなじようにただ聴いてるだけでひとりでに鼻水くしゃみが治まるという。氏も『気のせいかもしれんが聴いてる間は鼻も出ないけど、はずすとまた出る』と。ほんとですかあ?でもちょっとそれやってみたい。いやかなり、やってみたいー!

[link:405] 2005年03月16日(水) 02:22

2003年6月16日までの日記


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