忘れ物はないね?:2004-03-27

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2004年03月27日(土)花見宴会見物

ディックブルーナ展が今日までだったと勘違いして、しかも入館は4時30分までだった!と、昼下がりにとるものもとりあえず家を飛び出したもののよくよく聞いてみれば明日までだったことが判明。なので今さら行っても閉館ぎりぎりでゆっくり見られないと判断し、途中下車して谷中墓地へ桜を見に行った。
谷中墓地は名前のとおり墓地だが、桜がたくさんあって、このシーズンはあちこちでお花見客が宴会をしている。
どのグループもそこが『お墓の前である』、あるいは『お墓の中である』ことにまるで気がついていないようなお店のひろげようである。ビニールシートをひろげて車座にお弁当をつつき手拍子で歌うおじさんグループ、テーブルまでちゃんと持って来て、カセットコンロをぐつぐつやってる人たち、コンビニで売ってるおでんが入ってる四角いおでん鍋みたいなやつまでセットしてる人たちもいた。外国人ばっかりのグループはデッキチェアをならべてバーベキューしていたし、子供は墓石に腰掛けて足をブラブラさせながらゲームなんてしちゃってた。当然みんな荷物はどっかの某家の墓石の角においたり、お皿やコップまでおいたりしてる。その光景がとにかくおかしくて、それも含めてこの谷中墓地に眠っている亡くなった人々は一年に一度、桜の季節に自分のまわりがにぎやかに楽しくなっていいなあ、と思った。

[link:188] 2004年03月28日(日) 00:34

2003年6月16日までの日記


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