忘れ物はないね?:2003-12-23

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2003年12月23日(火)ライブはしご

昼間、いつもゆわくちで華麗なマリンバさばきを披露してくれている浅田実可さんの朗読劇『ねこはしる』を観にいく。実はこれは音楽を頼まれていて、劇中の短い曲を8曲ほど作った。まず大前提としてマリンバ1台が主役、その他の楽器をプラスするとしてもピアノ1台まで、ということだった。あと、音楽といってもいわゆる『朗読の後ろでそのシーンを盛り上げるBGM』ということではなく、お話にでてくる会話と同じような、言ってみればセリフを語るに等しい音楽をポン、ポン、ポン、と置きたいという演出家の要望もあって、なかなか難しい作業だった。更に、お話がドラマチックなので、私なりの解釈で作曲したとはいえ、それが果たしてうまくフィットするかな、という不安も少なからずあった。また曲も思いのほか難しくなってしまって、それをマリンバでどうやって演奏してもらえるのかかなりドキドキしていた。
いざ本番を観たら、私がデモで出したテンポとか、息遣いとかとはまたひと味ちがった解釈がされていたり、当然のことながら、生で演奏する実可さん自身とピアノの人自身の風味がプラスされていて、感心した。『朗読劇』というもの自体、かなり難しい出し物だと思うので、観ている時にも「ああ、ここで音を作ればよかったな」とか、「もっとここにも曲作ってもよかったなあ」とか自分の反省ばかり思い出して、あんまり冷静に観ていることができなかったのがちょっと残念だ。あと3回ぐらいあると、だんだん普通に観客として観られるようになったかも。でもこういう作曲もまたいろいろやりたいなあ、と思った。実可さんにもまたどんどんこういうのをやっていってもらいたい。

一緒に行った仲良しのUさんSさんと別れ、夜は高円寺へ西村哲也さんのライブを観にゆく。
久しぶりに西村さんの唄がたくさん聴けてよかった。西村さんのマイペースぶりは本当にすごい。自分でどんどんレコーディングして、どんどんCD焼いて、京都からビューンと現れてライブでがんがん歌って、あっというまに夜行で帰ってしまった。今回のアルバムは前回からわずか半年で出してしまったし、来年もシングル、ミニアルバム、アルバムを立続けに出すと言っていた。すごいなあ。見習おう。

Uさんたちとお茶を飲みながら『カルチャー地平線論』を熱く語ってしまった。内容は自分の中での認知として、この人は地平線の上エリア(空の中で風の音を聴き、虹の上とか歩いてそう)か、あるいは下エリア(水たまりとかでびちゃっと転び、爪に土とか入ったりしてそうなど)かに勝手に分けていく(あくまで独断のイメージで)だけの簡単なジャンル分けなんだけど、共通のシュミを持つ人同士だとかなりわかりやすい分類法を発見した気分になり盛り上がる。

ライブ前に時間つぶしで入った古本屋で買った『ほたるのうた』というほたる観察日記の本が、実は以前買った単行本とまったく同じもののこども向け版だったことが判明しショック。「あ、これもほたるの生態観察の本だ!」と喜んで買ったのに、同じやつだった。なんでまたそんなマイナーな本を2册も....。

[link:128] 2003年12月24日(水) 16:02

2003年6月16日までの日記


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